文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月20日】中国国内では、共産党が決めた「敏感日」とされる日になると、宣伝機関が急いでデマをまき散らします。特に中国国内の党支部では、強制的に邪説を転載しなければなりません。最近、私の所属する支部でも転載が行われていますが、それも行き詰まっており、転載されている内容は数年前のものばかりです。この時、私の最初の反応は激怒であり、すぐに正念を発して、皆がその記事を見たり転載したりしないようにしました。しかし、最初の反応が怒りだったため、正念を発している時も、その記事を書いた人が病気になって仕事に行けなくなるなどの報いを受けるようにと念じていました。最終的には誰も転載しなかったのですが、私の怒りは収まらず、相手を引き裂きたい衝動がずっと消えませんでした。
夜になって冷静になり、私は突然、自分に慈悲が欠けていたことに気づきました。私の最初の反応は、相手を哀れむことではなく、憎しみの感情を抱き、相手が早く報いを受ければいいと願っていました。これは善念ではなく、旧勢力の考え方に符合しています。旧勢力はこのような人を「不合格」生命とみなし、急いで解体しようとしているのではないのしょうか?
夜に法を学んでいると、本の中から「物事を立体的に見なさい、平面的に見てはいけない」と、ずっと悟らせてくださいました。そうだ! 物事を平面的に見るのは人間であり、立体的に見ることこそ神なのです! 私はその時、表面しか見ておらず、転載する人をどうしようもない人と見ていましたが、なぜ多次元的に物事を見ようとしなかったのでしょうか?
さらに、邪悪な共産党から迫害を受けて以来(この迫害を認めてはいけないが)、明慧ネットを見る機会を失ってしまいました。このことで非常に苦しく、それまでもっと大切にしていなかったことを悔やんでいました。時間があれば常人のサイトを見ていましたが、注目しているのは天災や人災ばかりで、潜在意識の中で世界がもうすぐ滅びるかのような感覚を抱き、もっと天災が起こってほしいとさえ願っていました。これもまた慈悲ではありません。
上記の出来事を通じて、私は後に恐ろしい思いをしました。私は悪の物質を助長しているのではないでしょうか? 天地を滅ぼすのは誰のすることでしょうか? それは旧勢力や邪悪な共産党のすることです。では、私たちは何のためにこの世に来たのでしょうか? 私たちは人を救うために来たのです! 師父は明示されています。「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」(『洪吟二』「法は乾坤を正す」)。私の慈悲はどこへ行ってしまったのでしょうか? 私の善良はどこにあるのでしょうか?
ある時期に私は夢の中で、旧勢力が中国国内の大法弟子を嘲笑しているのを見ました。旧勢力は「彼らはとても善良で、善良すぎて騙されやすい。まるで愚かでとても純真な感覚だ」と言っていました。それを見て、私はこれが間違っていると感じました。私たちは善良であるべきですが、同時に智慧も必要です。私たちこそがこの舞台の主役なのです。どうして脇役に支配されてしまうのでしょうか? 彼らが言うことをそのまま信じて、それに従うなんて、絶対にあってはならないことです。
わずかなことではありますが分かち合いたいと思いました。不足があれば慈悲をもって指摘してください。皆に感謝します。