文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月24日】私は農村に在住の女性大法弟子で、1997年に法を得ました。当時、村には法を学ぶ拠点があり、10数人が集まっていて、ほとんどが高齢者で、病気治療と健康増進のために来ていました。私も病気を治したいという気持ちで、村の同修の家で師父の説法ビデオを拝見しました。すると、たったの2、3時間で、すべての病気がなくなり、身体が軽くなりました。そして、最も重要なのは、どうやって人間として生きるかを理解したことです。
集団で法を学んでいた日々は本当に楽しく、毎日、仕事を終えた後、夜の学法を心待ちにしていました。それは本当に清らかな環境で、とても平和でした。業を消す時でさえ嬉しくて「師父が私を見守ってくださり、業を消してくださったのだ」と思っていました。『轉法輪』を学んでからは、どうやって良い人になるかを知り、私は智慧に満ちた人生を開くことができ、少しずつ「真・善・忍」の教えに従って行動するように心掛けました。我が家は大通りの近くにあり、常にたくさんのゴミがありました。特に強風が吹くと、さらに増えました。村では清掃員が決まった時間に掃除をしていましたが、上司が視察に来ないと普段はとても汚れています。私はボランティアで、報酬を受け取ることはなく、ゴミが落ちているのを見ると掃除をしました。普段、鉄を運ぶ車から落ちた鉄くずを拾って、誰もが怪我しないように心掛けていました。
冬に雪が降ると、私は急いで雪掻きを始めました。車両が雪を踏みつけると、雪が固まって掻きにくくなり、さらに滑りやすくなります。修煉していない私の夫もとても勤勉で、雪掻きを手伝ってくれました。彼は何度も急な崖の部分を掃除し、車が滑り降りないように気を使ってくれました。彼は本当に大法の恩恵を受けており、他人のことを考えることができるようになりました。私の家の東隣に住んでいたおじさんは既に亡くなっていますが、生前は私の家庭菜園にお茶や尿を持って来て捨てていました。私の夫はとても怒り「彼が私たちをいじめている」と言いました。しかし、私は「もうそんな年齢なんだから、仕方がないわ。彼と同じレベルに立たないで、あそこに植えているミニトマトは私たちが食べなければいいんだから」と言いました。それに、私は彼に食べ物を買ってあげることもありました。
おおよそ2000年代のことですが、私と夫は外出中に高価なスマートフォンを拾いました。値段は4千元(8万円)以上でした。私たちはそのスマートフォンを使って持ち主に連絡しようとしましたが、初めて使うため、電源を入れようとしましたが画面がどうしても点灯しませんでした。その時、子供がうまく操作してくれて、幸運にもパスワードなしで開くことができました。そして、電話をかけて持ち主に連絡を取ることができました。当時は中国共産党が法輪功を激しく弾圧していた時期で、夫は外資系工場の仕事を失う状態まで追い込まれました。私たちはまだローンを返済している最中で、夫はそのスマートフォンを見て非常に喜んでいました。私は「師父が私たちに良い人になれと言っている。私たちは他の人のことを考えなければならない」と言いました。持ち主はきっととても心配しているでしょうし、スマートフォンの中にはたくさんの情報が入っているはずです。こんなに高価なものを失くしたら、さぞかし心痛だろう。それに、私たちは人の貴重なものを手に入れたのだから、どれほどの徳を積むでしょうか? 夫は「私は何も欲しいとは思っていない」と言いました。この出来事を通じて、彼も恩恵を得たと思います。大法に従って行動することが、どのように人間として生きるかを夫も理解しました。そして、福徳を積むことにも繋がったのです。
現在、農村には高齢者が多く、子供たちは自分の子供のために忙しく、親を世話する余裕がありません。条件が整っていても、高齢者の世話はあまり気が進まないのです。そのため、高齢者の生活はあまり良くありません。あるおばさんは、2人の息子と1人の娘を育て上げ、さらにその子供たちの子供も育てましたが、自身は70歳を過ぎていて、配偶者もいません。毎月の年金は100元(約2000円)ほどで、子供たちがそのお金を管理し、彼女には一銭も渡さないのです。私は彼女によく食べ物を差し入れています。ある時、彼女の携帯電話が壊れてしまい、町に新しい携帯電話を買いに行かなければなりません。彼女が私に頼んできたので、私は「車は家にあるし、夫も休みだから、夫に連れて行ってもらいなさい。自分が欲しいものを選びなさい」と言いました。
私の叔父は独身で、我が家の庭の外のバルコニーでトウモロコシを干しています。雨の日には私は大きなビニールシートをかけ、晴れた日にはそれを取り除いてあげます。また、彼には毛布やシーツ、カバーも渡しています。彼は私を見ると、いつも優しく笑いながら話しかけてくれます。
普段、私は美味しいものを作っては義父母に届けたり、義父母に私たちの家でお風呂に入ってもらったり、洗濯をしてあげたりしています。子供が帰ってくると、義父母にお小遣いをあげています。義父と私たちの家で育てた木の売上金は、私は一銭も受け取っていません。夫には兄弟が2人いますが、義父母の年末年始の料理は私が全部作っています。
実際、日常生活の中で、私はよくできていないところもあります。「宇宙の特性である真・善・忍と同化したい」と心の中で常に念じていると、私の顔つきも善良に変わり、もともと短気だった私の言葉も優しくなりました。自分勝手だった私が、他の人のことも考えられるようになったのです。
1999年「7.20」、中共が法輪功を迫害し、真実を覆し、法輪功に対して悪質な攻撃を行った時、私は北京や地方政府を訪問して状況を訴えましたが、不当に拘束され、町政府や老人ホームに不当に収容され、数え切れないほどの拷問を受け、死にそうな思いをしました。その後、耐えられずに妥協し、法輪功の弟子としてしてはいけないことをしてしまいました。しかし、その後、法を学ぶことで、自分が間違っていたことを理解しました。師父と大法のおかげで、心の広い、健康な、常に他人のことを考える良い人に育てられたのに、どうして邪悪に従って心に反して妥協したのでしょうか。
私は、子どもの頃から比較的臆病で心配性な人間でした。邪悪な迫害の中で生きることもできないほどの拷問に苦しんだ影響はまだ消え去っていませんが、私は恐れを克服し、対面で真相を伝え、三退を勧めることで、人々に中共の邪悪さを認識させ、安全を確保するよう促しています。自分で法輪功迫害の真相資料を作成し、2、3種類の資料を組み合わせて、ジッパー付きの袋に入れて配布しています。配布する際は、常に恐怖や不安が伴いますが、私は師父の法を暗唱しています。一番恐れていたのは、ある見知らぬ小さな村に行ったときのことです。昼間に見に行き、資料を配ることに決めましたが、雨などの理由で数日後に行くことになりました。この数日間、緊張と恐れでいっぱいでした。私は法を学び、正念を発し続けました。その晩はあまり眠れませんでしたが、私は決意を固め、そこの衆生を救うために必ず行くことにしました。持っていた資料は、ちょうど良い量でした。配り終えた後、天気が暗く、道が不明だったため、出口がわからなくなりました。私は師父に「師父、出られなくなりました」と言いました。その瞬間「もう街に出ている」と、頭の中に浮かびました。そうして無事に家に帰ることができました。
慈悲深く偉大な師父のもとで正法修煉できることは、私にとって非常に幸運で、非常に幸せなことです。私には一つの願いがあります。それは、人々が中共を見極め、この邪教組織から退くことを願っています。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と覚えてもらい、天災や人災、大淘汰が迫る中で大法の救いを受けて、幸せで素晴らしい未来を手に入れることができるように願っています。