文/中国雲南省の大法弟子
【明慧日本2024年11月24日】末後の時期に現れる様々な社会の奇怪な現象は、魔が人間界を攪乱した結果です。
師父は「しかし、知らないうちにこれらの魔も人間に生まれ変わりました。しかも、大量の魔が人間に転生したのです。魔が多くなければ、鉄鋼を精錬することができず、火を強くしたり、製鋼炉の火を激しくしたり、そこまでの高温にすることができません」と説かれました。(『各地での説法』「二〇一八年ワシントンDCでの説法」)
「大量の魔が人間に転生した」と言われたので、私はその数が非常に多いことを理解しました。そうでなければ石炭が足りないのにどのように製鋼できるでしょうか? ですから、旧勢力は1999年のような大きな魔難を巻き起こしました。そして、どの大法弟子の周囲にも、家族や親戚、友人、あるいは仕事やビジネスパートナーの中に、このような人が非常に多くいる可能性が高いです。 旧勢力は彼らを用いて大法弟子を鍛えていますが、人間の中での私たちは非常に見分けがつかないのです。善と悪が共存し、真実と虚偽が見分けにくいのも「迷い」の特徴の一つでもあります。
魔が転生した人間は、魔性の強い悪人であるかどうかわかりません。彼らは時としてとても優しく、人々に対して親切で、家族や親しい友人に対しても良いのですが、実際には彼は魔が転生した存在であり、彼の使命は人類を堕落させることです。表面上、彼らが行っていることは正当で、あなたのために良かれと思っているように見えることでも、実際にはそれは邪悪なものであり、いつの日か彼らは悪の出発点、悪なる手段、悪なる目的を用いて、世の中で悪事を働き、同時に正体をさらけ出すことになります。
神が人間に生まれ変わったとしても、人の中には慈悲や善があり、時には悪があるようには見えません。彼らは同じ善と悪が共存し、善を充実させ、悪を取り除けば、神の道を歩むことができます。悪や執着的なものを発揮し続けると、着実に佛性を充実させず、魔の妨害や迫害に陥りやすいのです。
「現代人の多くは天上から降りてきた神であり、人間の行為がなければ、人間の世で生活することができません。ですから、転生の時、獣性(じゅうせい)を与えられ、人間の世で生活し、人間の行為を備えるようになったのです。釈迦牟尼が誕生したとき、母親は白い象を見たのではありませんか? 天上から来た人は皆この状況です」(『再び棒喝』)
私は、神が人間に転生する際、獣性を持たされ、善と悪が共存する形になったと悟りました。同様に、魔が人間に転生する際にも人間性と善の特性を与えられ、善と悪が共存する人間となりました。神と魔が共に存在し、真珠の中に魚の目玉を紛れ込ませるように、見分けがつきにくい状況で、共に人間の世で生活し、「迷い」の社会を構成しました。
師父は「人生はあまりに短いのですが、最も恐ろしいのは人間の世界に正理がないことです。宇宙で人間の理は逆になっています(神が人間に説いた法理を除く)」(『なぜ人類が存在するのか』)と説かれました。
人間には善と悪が共存していますが、人間の理は宇宙の理に照らせば「逆理」になるため、全体としては負のエネルギーや魔性が優位に立っています。しかし、人の表面文化は正と善を推賞し、邪と悪に反対し、そのため、悪人は悪事を働く際に、正理の名を借りなければいけないのです。これこそが、人間の社会における一つの立派な二面性の登場です。
以上は私個人の理解です。至らない点があれば、同修の皆さん、どうか慈悲深くご指摘いただければ幸いです。