文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月25日】1998年夏のある日、私は誤って毒キノコを食べて、命の危機に瀕し病院に運ばれて救急治療を受けました。病院から3回も危篤の連絡があったそうです。1カ月以上入院しているうちに、病院は私が亡くなるのを恐れ、腎機能不全が回復したことを理由に退院させました。
当時、私の家は貧しく、夫の給料だけで生活していたため、治療するお金がありませんでした。入院費は夫の勤務先(会社)から小切手で病院に支払われ、毎月夫の給料から少しずつ返済していました。他に手立てがなく、私は家で療養するしかありませんでした。その間、毎朝6時に地元の人々が私の家の前の土手で煉功音楽を流しながら、煉功していました。私はその音楽がとても美しく感じ、見に行きたいと思いました。
私は重い体を引きずりながら、ふらふらと外の煉功場に行きました。そこに掛かっていた横断幕の文字に惹かれました。また、煉功することで病気が治ると聞き、顔が腫れ、目がむくんでいた私にも笑顔と希望が湧きました。私は心の中で「法輪功をやろう」と決めました。
こうして私は法輪大法と縁を結び『轉法輪』を購入しました。毎日真剣に読み、集団煉功に参加し、師父の説法ビデオを見て、自分を煉功者として扱ったところ、気づかないうちに体が軽くなっていきました。私はとても嬉しくて、この功法が本当に素晴らしいと感じ、修煉の道を歩み始めました。
一、修煉の道で遭遇した心性の試練
ある日、私は街で野菜を買っていた時、80元(約1700円)以上のお金を拾いました。すぐに近くの交番に届けました。警察は「どうして拾ったお金を届けたのか?」と尋ねました。私は「私は法輪功の修煉者であり、師父がそうするように教えてくれました」と答えました。
それから間もなく、中国共産党(以下、中共)は大法への迫害を始めました。当時、私はひとりの同修と一緒に故郷の同修たちに師父の法像を届けに行きました。帰ってくると、都市部では人が逮捕されているという話を聞きました。その後、私たちは同修らと連絡を取り合い、世の人々に真相を伝えなければならないと話し合いました。同修が私にたくさんの資料を渡しました。その時から、私たちは集団煉功の環境を失い、心は落ち着かず、まるで天が崩れ落ちたかのような暗い日々を過ごしました。
その頃、私は娘の店を手伝っていました。公に修煉することはできませんでしたが、さらに多くの人々と接する機会があり、真相を伝えるのに有利な状況でした。この時期に、心性が試される出来事に出会いました。例えば、私は偽札の見分け方を知らなかったため、多くの偽札を受け取りました。それに娘は激怒し「この店はお母さんのおかげでつぶれる」と言いました。私は冷静に娘に「これらの偽札はすべて私の責任にするよ」と言いました。偽札を買い取ってくれるという人もいましたが、他の人に被害が及ばないようにと思い、それを拒みました。こうして数年かけて、偽札の見分け方を学びました。
この件に関連する金額はまだ少額に過ぎません。ある日、詐欺師がミネラルウォーターを1本買い、「水が期限切れだ」として、私に2000元(約4万円)を要求しました。周りの人々は私に警察を呼ぶよう勧めましたが、私は警察を呼ばずに「待っていてください」と言いました。店にはそんなに多くのお金がなかったので、家に帰ってお金を取ってきて彼に渡しました。次の日、その一味の別の男が現れ「お前は彼にお金を渡すべきではなく、俺に渡すべきだった」と言って、再びお金を要求してきました。私は「これ以上やると、警察を呼びます」と言いました。彼は私たちが一日中忙しく働き、夜も店の前でタバコを売っているのを見て「こんなに辛い仕事をして生計を立てているなんて知らなかった。もし知っていたら、騙さなかった」と言いました。私はすぐに「あなたにはまだ善良な心があるのですね。良かったです。私は法輪大法の修煉者です。もし他の人に出会っていたら、大変なことになっていたでしょう。どうか『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と唱えてください。もう二度と人を騙さないでください」と言いました。その後、彼らは他の人を騙したため逮捕されました。
私は、このような出来事はすべて、私の心性を試し、向上させるためのものだと悟りました。
二、情に対する執着が招いた災難
2020年、私の夫は肺がんでこの世を去りました。以前、彼に修煉を勧めたことがありましたが、彼は「あなたが病院というあんなに厳しい環境でも煉功を続けているのを見たけど、僕にはできない」と言いました。私は「やった分だけ恩恵を受けられるよ」と伝えました。彼は毎日「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書き続け、3年間一日も欠かさずたくさん書いていました。最後に亡くなる日も、たくさん書きました。
そのため、私はなかなか気持ちの整理がつかず「夫も師父の説法の録音を聞き、師父の説法は素晴らしいと言っていたのに、なぜこんなにも早く亡くなったのか?」と、ずっと心が葛藤していました。夫への情を断ち切ることができず、執着心が生まれました。当時、私はそれが執着心だとは気づかず、長い間その心を捨てられなかったために、重い病業に見舞われました。毎日眠れず、心臓の動悸がして、ベッドから起き上がるとさらに酷くなりました。120番の救急車が何度来たか分かりません。学法しようとしても、全く頭に入らず、ただ師父の説法の録音を聞くしかありませんでした。
この状態は1カ月近く続きました。私が悟らないので、師父が私にアドバイスをしてくださいました。「私はどうしてこうなってしまったのでしょう? なぜこんなことになってしまったのか? 法をどうやって学んでいたのか? 私は法を学ばなければなりません」と考えました。心を静めて師父の説法を聞き、本を読み始めました。その結果、体は次第に正常に戻り、ベッドからおりて仕事ができるようになりました。
三、商売をしながら人々を救う
私はある大学の門前で商売をしています。店に来る学生や市民が物を買ったり、電話をかけたりする時に、私はその時間を利用して法輪功迫害の真相を伝えます。急いでいる人には「どうか『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と心に念じてください」と伝えました。当時、お守りはまだありませんでしたので、紙幣に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書き、小さなメモを添えました。そのメモには次のように書きました。「幾千万年もの輪廻を経て、今日この縁を結ぶことができました。この貴重な善縁をどうか大切にしてください。この世の虚像があなたの目を惑わせています。この嘘に満ちた世界で、どうか物事を見る目を研ぎ澄ませ真実を見極めてください。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心に刻んでください。それはあなたに健康と穏やかさを永遠にもたらすでしょう」私はこのようなメモをたくさん書きました。学生の中には、メモを見て感動し「今の時代に、こんなに他人のことを考える人がいるなんて」と言ってくれる人もいました。
2008年の地震発生の際、学生たちは私の店に殺到して、家族に無事を伝えるために電話をかけました。彼らは私の店の棚の物が地震による被害を全く受けていないのを見て驚いていました。彼らの学校の図書館では本がすべて床に落ちていたと教えてくれました。私の店のものが全く被害がなかったことを、とても不思議に思っていました。
ますます多くの学生が電話をかけるために店に来ました。店の椅子はすべて埋まり、多くの人が立って順番を待っていました。私は「あなたたちの家族は大丈夫です、安心してください」と言って、全員に小さなメモを渡しました。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書かれたメモでした。学生たちに家族にそう念じてあげるように伝えました。次第に学生たちは落ち着き、私の店に留まり、空腹になると物を買って食べ、家族から無事を知らせる電話が来るまで待っていました。
ある日、ひとりの学生が物を買った時に、店に携帯電話を落としたまま帰って行きました。私の娘が「この携帯はすごく良いもので、何千元もするだろう。ちゃんと保管しておこう」と言いました。1週間後、その学生が成都市から戻り、私の店で朝食を食べている時に携帯のことを尋ねました。私は「なぜ電話をかけて聞かなかったの? どうして? 安心していたの?」と聞くと、彼は「あなたが善良な人だから、ちゃんと保管してくれると思っていました」と答えました。
学生たちは卒業する時、店に来て一緒に記念写真を撮り、別れの挨拶をしてくれました。学校の外国人教師もよく店に買い物に来て、自分で焼いたケーキをくれることもありましたが、私は丁重にお断りし、代わりにお守りを渡しました。彼女は喜んで受け取り「もうすぐ国に帰って結婚します」と言いました。帰国する前に彼女は店に来て、私と一緒に記念写真を撮って別れを告げました。私は「このお守りがあなたに健康と幸福をもたらしてくれるでしょう」と彼女に伝えました。
四、日常生活の中で人々を救う
今、私は毎日朝3時40分に起床し、朝の煉功、学法を行い、午後には外に出て法輪功迫害の真相を伝えています。ほとんどの人は聞いてくれますが、聞こうとしない人もいて、時には「中共からお金をもらっているくせに、反党活動をしている」と言われることもあります。私は「私は何十年も苦労して働き、年金保険料を支払ったからこそ、今年金を受け取っているのです。彼らは私たち庶民に養われているんですよ。あなたの年金も同じで、一生、一生懸命働いた末にもらえるものです」と言うと、相手は納得し「あなたの言っていることは理にかなっている」と言ってくれました。
また、ある日、ゴミを拾っているおじいさんに真相を伝えました。彼は「ゴミを拾わなければ食べていけないんだ。息子は自分の子供を育てるのに精一杯で、私にまで手が回らない」と言いました。私は「それなら、なおさら自分の身を守らなければならないでしょう?」と言い、三退のことを尋ねました。彼は「していないし、信じてもいない。以前、何人かが同じようなことを話していた」と答えました。私は「その人たちはあなたを救うために来ていたんですよ。命の危険を冒してまで救おうとしていたんです。通報されたら刑を言い渡されるでしょう。過去3年以上にわたるパンデミックで4億人が亡くなったんですよ」と話すと、彼は三退をして、お守りを受け取りました。帰り際に「これらのことを教えてくれてありがとう」と言いました。私は「私に感謝するのではなく、大法の師父に感謝してください。師父が私にあなたを救うように教えてくださったんです。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心に念じてください。そうすれば、あなたは無事でいられるでしょう」と言うと、彼は「しっかり覚えました」と言って去って行きました。
ある日、店のカウンターに、非常に美しい、分厚くて重たい財布が落ちていました。中にはおそらくかなりの額のお金が入っていたと思います。財布は、少し前に店に立ち寄ったお客さんが落としたものだとわかりました。その人はよく隣でトランプをしていました。私が財布を届けに行った時、彼女は怒ったような顔をして顔色が黒く、唇が青ざめていました。私が財布を彼女の目の前で見せると、彼女はすぐに私に抱きつき、喜んで飛び跳ねながら「ご馳走させてください」と言いました。私は「結構です、そんな必要はありません」と断りました。その後、彼女に私は法輪大法を学んでいることを伝え、真相を話し、お守りを渡しました。彼女は「今日は本当に良い人に出会えました」と嬉しそうに言いました。私は「本当にそうですね。これからは気をつけてください。悪い人に出会っていたら、今日は怒って病気になったかもしれませんよ」と言うと、彼女は何度も感謝の言葉を繰り返しました。私は「私に感謝するのではなく、私の師父に感謝してください。師父が私にこうするように教えてくださったんです」と答えました。
市場で野菜を買う時、私は売り手に「売れ残りの野菜を売ってください。家に持ち帰って料理しますから」と言いました。売り手は小さいものやしなびたものを私にくれ「本当にあなたは良い人ですね」と言いました。私は「私は法輪大法を学んでいるんです。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と覚えてください」と伝えました。
またある日、私の店の向かい側でパイナップルを売っている青年がいました。午後6時頃、一群の城市管理行政執法局(以下、城管)のスタッフがやってきて、何も言わずにパイナップルの入った籠と椅子を持ち去ろうとしました。パイナップル売りの青年は怒り、パイナップルの皮むきナイフを手に取り、城管のスタッフに突進しました。城管のスタッフたちは怖がって、次々と自分たちの車に乗り込みました。しかし、青年は諦めず、車の前まで追いかけて、切りつけようとしていました。その場にいた何人かが仲裁に入り、彼を引き止めましたが、皆、彼に誤って傷つけられることを恐れていました。人々はナイフを握っていない彼の左手の袖を引っ張っていました。学校の門の前には夜間自習に行く学生が群がっていて、人で溢れかえり、道路は塞がれ、城管の車も動けない状態でした。惨事が起こりかけていました。私は法輪大法の修煉者ですから、黙って見過ごすわけにはいきません。すぐに青年の前に駆け寄ると、彼はすでに人に掴まれていた左手を振りほどいていました。私は急いでナイフを持っている彼の右手を掴み、穏やかにこう言いました。「こんなことをしないでください。私はあなたと争う力はありませんが、本心から言います。ナイフを下ろしてください。たかが一籠のパイナップルじゃないですか。ご家族があなたが夕食に帰るのを待っていることを考えてください。外でこんなことをしてどうするんですか?」と話しました。彼の手はすぐに力を抜きました。その時、城管のスタッフが車から降りてきて、ナイフを取り上げ、皆その場を立ち去りました。
翌日、城管のスタッフがナイフを私の店に持ってきて「昨日の青年はあなたの親戚ですか?」と尋ねました。私は「彼のことは全く知らず、ただ彼が川向こうの村の人だと知っているだけです」と答えました。城管のスタッフは「明日、彼に環衛局に来てパイナップルを持って行くように伝えてください。彼のパイナップルには一切手をつけていません」と言いました。そして「昨日はあなたのおかげで助かりました」と感謝され「おばあさんが一言で彼を落ち着かせたのはすごい」と言われました。私はこう伝えました。「私が何をしているかわかりますか? 私は法輪大法を学んでいます。私の言葉には正のエネルギーがあるんですよ。今後、人の物を勝手に持って行かないでください。ちゃんと話し合って解決してください。私の店の前のテーブルや椅子も何度も持って行かれ、オレンジも籠ごと持って行かれました。でも、私はあなたたちと争うつもりはありません。最後に一つだけ覚えてください、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と。そうすれば、恩恵を受けるでしょう」
五、師父と大法を信じることで、師父は私のそばにいてくださる
一度、同修が渡してくれた三退のリストを歯磨き粉の箱に入れて保管していたのですが、提出しようとした際にどうしても見つからず、とても焦りました。それは多くの命に関わるものでした。私はすぐに心を静めて、両手を合わせ、師父に「どうかこのリストを見つけるのを助けてください」とお願いしました。すると、すぐに見つけることができました。
一度、街角に立っていた時、数人を乗せた三輪車が他の人にぶつからないように避けた結果、私の足の甲を轢いてしまい、そのまま振り返ることなく走り去りました。その時、あまり痛みは感じず、家に帰って足を確認しても腫れや赤みもありませんでした。私は、師父が弟子のために苦しみを引き受けてくださったのだと分かりました。
また、ある日、夫が自転車に私を乗せて出かけていた時、タクシーに衝突され、自転車はぐちゃぐちゃになってしまいました。タクシーの運転手は逃げ去りました。大学生の一人が走ってきて、私たちの靴を拾い集めてくれました。そして「怪我はありませんか?」と尋ねてくれました。私は「大丈夫です」と答えました。夫は少し足を擦りむいた程度でした。私は、師父が私たちを守ってくださったのだと知っていました。
ひとりの同修がトラブルに巻き込まれました。その同修は心性を守ることができず、私のことを警察に情報を供述し、私が彼女に真相資料や師父の説法録音を渡したと警察に言いました。警察は家宅捜索にやってきました。まず店にやってきて、あちこちを捜索し始めました。私は店の外に立ち、師父にお願いしました。「どうか彼らが大法に罪を犯さないようにし、滅ぼされる命とならないようにしてください。彼らが何も見つけられないようにしてください」。結果として、彼らは何も見つけられませんでした。私が隠したものが見つかりそうになった瞬間、警察のリーダーが突然「家を捜索しに行こう」と言い出し、家に行きましたが、そこでも何も見つけられませんでした。それでも諦めず、彼らは私を警察署に連行しました。その夜、警察署ではぐっすりと安心して眠り、正念はさらに強くなりました。師父が再び弟子を守ってくださったと分かっていたからです。せっかくここに来たのだから、彼らに真相を伝えようと思いました。翌朝、彼らは不当に私に尋問し「資料はどこから手に入れたのか?」と聞いてきました。私は「まず、この資料は私が読むべきものです。そして、あなたたちも読むべきです」と正念を持って答えました。彼らは「これだけの資料があれば、刑罰を下すのに十分だ」と脅してきました。私は「それはあなたたちの自由です。でも、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあることを忘れないでください。検察院の門前にあった三体の遺体、男性は検察院の職員で、女性は刑務官、そしてもう一人は小さな女の子でした。彼らは悪事を働いたために悪報を受け、自分の子供まで巻き添えにしてしまったのです。人が何をしているかは、神が見ているのです。大法弟子は、人々が危機に直面した時に救おうとしているのに、迫害されているのです。それは天理に反することです。あなたたちがしていることは、神がすべて見ているのです。よく考えてください」と伝えました。すると彼は「あなたはこんなに善良な人なのに、どうしてこんなことを学んでいるのですか?」と尋ねてきました。私は「まさに法輪大法を学んだからこそ、師父が私たちに善良な人になるよう教えてくださったので、私はこんなに善良になったのです。以前の私がどんなに多くの病気を持っていたのかを知っていますか? 歩くとふらふらしていました。それが法輪大法によって治癒し、命を救ってもらったのです。今の私が病気に見えますか? あなたたちは私のような善良な人を捕まえて、業を作っているのです。大法弟子には冷たい水を飲ませ、冷水で体を洗わせています(すでに何人かの同修が私に、彼女たちは飲むものも使うものもすべて冷たい水だと教えてくれました)」と言いました。彼らは反論できず、私を監房に戻しました。その夜からは、私たちはお湯を使えるようになり、ある同修は半月も体を洗うことができなかったので、喜んで体を洗いました。それ以降、彼らは私たちにあまり干渉しなくなり、ある女性の警官は私たちに虎皮唐辛子と炒めた美味しい肉の細きりを持ってきてくれました。一週間後、私たちは解放されました。私は心の中で、再び師父が私たちを助けてくださったのだと理解しました。そして、警察も真相を知り、自分の命のために正しい選択をしたのです。師父の恩に感謝します。
午後、帰宅して食事をし、夫と一緒に水道管の工事に出かけました。私は再び真相を伝えて人々を救うことができるようになりました。接触するこれらの人々はみな夫の知り合いであり、彼らはみな私たち、そして大法を認めてくれました。
師父の慈悲深い御加護の下、私はこのようにして多くの困難を乗り越えながら修煉を続けてきました。
これまでの数年間、今回初めて修煉体験を文章にしました。心の中では師父と大法に対して申し訳ない気持ちもあります。しかし、師父が私に与えてくださった知恵と勇気に感謝し、この文章を書くことができました。
もし法に則っていない部分があれば、どうか同修の皆さんにご指摘いただきたいと思います。
編集責任者:ホン・ヤン