【明慧日本 2024年11月28日】農村の青年法輪功学習者である私は、幼い頃から両親と共に煉功場で法を学び、今日まで26年が経過しました。現段階の家庭環境における修煉の経験を綴り、同修と交流したいと思います。
一、結婚生活と苦悩
同僚の紹介で知り合った夫の実家は10数キロ離れており、家庭環境は一般的でした。周囲の人々は密かに、「夫の母親の評判が悪く、父親は家のことに無関心で、弟は働かない無駄遣いばかりの人物だから、結婚すれば一生安らかな日々は送れない」と忠告してくれました。縁であったのでしょう、なぜ結婚を決めたのか自分でも理解できません。幸い夫は勤勉で実直であり、酒もタバコも口にしない性格でした。
結婚後、住宅ローンを返済するため、義母は100畝の土地を借り、夫は実家に戻って農作業に従事しました。夫は毎日疲れ果てて帰宅すると、ベッドに倒れ込むように横たわり、他のことは何も構わなくなりました。私は仕事の他に家事全般を引き受けていましたが、夫は不満そうな表情を浮かべ続け、耐えられず口論になることもありました。当時、夫の気性も荒く、口論になると物を投げつけ、時には壁を殴ったり、頭を壁に打ち付けたりして、顔中血を流すこともありました。
二、多くの学法による自己修正
多く法を学び、法に照らして自分を見つめ直しました。なぜ怒りを感じていたのでしょうか。それは義理の実家からの援助が一切なく、むしろ負担になっているからでした。もし義母が他家のように子どもの世話を手伝ってくれたり、経済的な支援があれば、怨みは生じなかったのではないでしょうか。これは利益心ではないでしょうか。面子心、不平衡な心、妬む心もありました。働かずして得をする義弟を妬んでいました。私たちは一方的に尽くしても評価されません。修煉者である私がそのような比較をするべきではありません。
以前は義弟の不品行は両親の甘やかしが原因だと考えていました。問題が起きるたびに両親は急いでお金を出して収めようとし、息子を苦しませたくないという思いでした。一方で長男がどれだけ苦労しても、長男だから家族のために尽くすのは当然だと考えていました。私はそれを不公平だと感じていましたが、この人間世界の恩讐関係を私に見通せるはずがありません。夫が実家を手伝うのは孝心であり、両親を慈しむ気持ちの表れです。「百善孝為先(訳註:孝は全ての善事の始まり)」というように、孝行は全ての善行の基本です。真・善・忍を修煉する者として、夫の善行を支持すべきでした。
義母も大変な立場でした。女性が家を切り盛りするだけでも大変なのに、家計を破綻させる息子まで抱えているのです。私は義母を気の毒に思い、嫁としての務めを尽くし、孝行を果たすべきでした。怨みの心を持つべきではありませんでした。
このように探していくと、全て私の過ちであったことに気づき、深く後悔しました。これからは必ず良くしていこうと決意しました。法理によって人としての執着を打ち破り、「嫁姑は天敵」「義母は本当の母ではない」といった人間レベルの考えを捨て去り、人間の次元を超えた高い境地の法理で自分を律していこうと思いました。私の行動を通じて、世の人々に大法の素晴らしさを証明し、この気の毒な一家を救度していきたいと思います。
三、徳を以て怨みに報い、暗きより明るみへ
私は義母への嫌悪と怨みの心を手放し、農閑期には義母を我が家に招いて数日滞在してもらい、お世話をしました。祝日や誕生日には食材や果物を買って持参し、一緒にお祝いをしました。年末には新しい服を買い、お年玉を差し上げ、親族の温かみを感じていただきました。「私たちのことを何一つ気にかけてくれなかった」という偏見を完全に捨て去り、自分を本当に法に同化させようと努めました。そうすれば世の人々も大法の光を目にすることができます。
昨年の冬、義母は突然の脳卒中で入院しました。夫は日中は仕事をし、夜は病院で義母の看病をしていました。日中の看病を義弟に頼もうとしましたが、義弟は夫からお金を受け取ると、二日間看病しただけで疲れたと言って帰ってしまいました。私は母に息子の面倒を頼み、日中は病院へ行って義母の看病をし、一緒に「法輪大法好、真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)」を唱え、師父の説法を聴いていただきました。
義母の症状はかなり重く、言葉が出ず、よだれが流れ、半身が不自由で、意識も朦朧としていました。医師から処方された薬は電子機器を使用して点滴する必要があり、ベッドから離れることができず、排泄の世話も必要でした。私は毎日心を込めて看病し、おいしい物も買って差し入れました。義母の回復は早く、一週間で歩けるようになり、言葉も話せるようになりました。義母は申し訳なさそうに「私はあなたの面倒を一度も見たことがなく、産後の世話もしなかったのに、病気の私の排泄の世話までしてくれて…」と言いました。私は「私は修煉者ですから、当然のことです。退院されたら功法をお教えしましょう」と答えると、義母は受け入れてくれました。
義母の退院前日、義弟が戻ってきました。医師が義弟に薬を買いに行くよう頼むと、義弟は義母にお金を要求し、義母の財布の中身を全て持っていってしまいました。義母が「お兄さんと義姉さんのこの数日間の病院での出費は、全て二人の自前のお金なのよ」と言うと、私は「親が子を育てる時にお金を要求することはありませんでした。親が年をとって病気になった時に、子が幾ばくかのお金を使うのは当然のことです。まして私は修煉者ですから、師父は全ての人に親切にするよう教えています。自分の親には更に孝行を尽くさなければなりません」と答えました。
退院後、義母は本当に私の家に二日間滞在し、功法を学びました。以前は誰かが義母の前で私を褒めると、義母は「私の息子が良いのです。息子は何もかも良いのです」と言っていましたが、今年は誰かが義母の前で息子を褒めると、「私の嫁も良い人です。嫁が良くなければ、息子がいくら良くても意味がありません」と言うようになりました。
夫に対しても、家に帰って何もしなくても私が全て引き受け、指図することもやめました。以前の良くない態度や不機嫌な表情も改め、優しく穏やかな口調で話すようになりました。すると、それまで夫に対して不満に思っていた問題、例えば自分の両親にだけ親切で私の両親に冷たい、無関心で手伝わない、その場しのぎの対応、気性が荒いなどの欠点が、少しずつ改善されていきました。まさに「春風化雨(穏やかで優れた教え)」というようでした。周りの人々の全ての態度は、私に見せるための演技であり、それによって私の執着心を露わにし、認識させ、取り除かせるためだったのです。これは師父が私のために用意してくださった修煉の道であり、皆が私の向上を手助けしてくれていたのに、以前の私はそれを大切にしていませんでした。今は理解できましたので、しっかりと修煉し、師父が私のために敷いてくださった天への道を無駄にしてはいけないと思います。
四、息子が私を精進させる
息子のことについてもお話ししましょう。三歳までは外祖母の家で過ごし、私は仕事帰りにそこへ行っていました。日中、外祖母は息子に師父の説法を聴かせ、大法の歌を聴かせ、夜は私が大法の書籍を読んで聞かせました。大法の薫陶の下で、息子は純真で善良な、けがれのない子に育ちました。幼稚園に入園後は、私が送り迎えと世話をする必要があったため、仕事の時間の都合上、退職しました。これにより法を学び功法を練習する時間が増え、人を救う活動もできるようになりました。
師父の守護と大法の加持のもと、息子は賢く、物事の習得も早かったため、学業の面で心配することは一度もありませんでした。息子は物語を聴くのが好きでしたので、『天涯導法(天涯に法を求めて)』『童謡』『三字経』『伝統文化』など、大法のウェブサイトから音声や動画をダウンロードして聴かせました。時間があれば大法の書籍を読んで聞かせ、『洪吟』を暗唱できるよう教えました。息子は大人しく座って聴いているわけではなく、いつもブロック遊びをしながら聴いていましたが、しっかりと心に留めており、時折法理について私と話し合うこともありました。私が間違いを犯した時も、いつも法の要求に従うよう注意してくれました。
ある時、クラスの特に手に負えない子供について息子と話し合いました。息子は「クラスにそういう子がいると、先生は毎日心配で、クラスメートも心配です」と言いました。私が「そうね、保護者も心配よね。その子に息子がいじめられないかって」と言うと、息子は「お母さん、僕のことは心配しなくていいよ。僕には師父の守護があるから。心配するのは『情にとらわれる者は自ら苦しみを求める』(『洪吟』「人となる」)ということではないの?」と言いました。ああ、本当に恥ずかしく思いました。もう少しで情に動かされて間違いを犯すところでした。
息子は私に注意を促すだけでなく、私の鏡となって、執着と不足を映し出してくれました。普段とても素直な息子が、時折様子が違って、物事をだらだらとしたり、理由もなくぐずったりする時がありました。そんな時は自分を振り返れば良いのです。必ず私が怠慢になっているか、心性が向上していないかのどちらかでした。私が自分を正すと、息子は自然と元に戻りました。
ある時、息子があまりにも素直なため、私は欢喜心(喜びの執着心)と息子への情が生じ、夫に「私は息子のことが日に日に好きになっていきます」と話しました。ところが翌日、息子はまるで別人のように、一日中父親の首に抱きついては「パパが一番大好き!」とキスをして、私のことは全く相手にしませんでした。さらに驚いたことに、「僕はパパに育ててもらったんだ。ママは半年しか面倒を見てくれなかったし、おばあちゃんは全然世話してくれなかった」などと、普段とは全く違う様子でした。私は自分を振り返りました。師父が私のそばに置いてくださった小さな同修は、私の修煉を助けるためであって、親子の情にふける日々を送るためではありません。私は自分の情を排除し始め、正念で清除すると、翌日には息子は元の様子に戻りました。
師父が私のために用意してくださった息子に感謝しています。いつも私のそばで注意を促してくれる息子を、私もしっかりと導いていかなければなりません。
現在の教育は本当に人を堕落させます。気をつけていないと、子供たちは邪党のものを植え付けられてしまいます。私は息子に「先生がそういう良くないことを教える時は、心の中で『法輪大法好、真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)』と思うのよ。私たちは師父についていくだけで、邪霊についていってはいけないわ」と教えました。息子はそれを理解し、時には他の子供たちのことを心配して「大法を修煉するお母さんがいない子たちはどうすればいいの?」と尋ねてきます。そこで私たちは真相資料を持って、マンションの廊下で配布したり、小さいステッカーを貼ったりして、他の人々にも真相が分かるようにしています。
道を歩きながら「息子、今は外出する人が少なくなって、みんな病気で家から出られないのを見てごらんなさい」と話すと、息子は「お母さん、だから私たちがこういうことをするのは、ちょうどいいタイミングですね。もう一度、人々にチャンスを与えましょう。これから毎日来ましょう」と言います。息子のこの言葉を聞いて、とても感動しました。私は人を救う活動をする時、恐れの心や気がかりがないわけではありませんが、息子は人を救うことだけを純粋に考え、無私の心でいます。これは大法が育んだ生命であり、普通の母親である私には教育できないものです。
この20数年の修煉の道のりでは、最初に法を得た時の喜び、家宅捜索を受け、両親が連行された時の恐怖、学業や仕事の忙しさによる怠慢、そして法理を悟った後の確固たる信念など、様々な経験がありました。紆余曲折を経て今日まで歩んでこられたのは、師父の絶え間ない見守りがあったからこそです。私にどのような功徳があって、偉大な師尊の弟子となり、この歴史の新しい一頁で、師父の正法を助ける大法徒となることができたのでしょうか。以前の至らなさを悔やみ、今なお大法弟子であることを無限に大切に思います。
師父の見守りに深く感謝申し上げます! 自分をより良くし、師父の慈悲深い救度と、衆生の切なる願いに応えていきたいと思います。