文/河北省の大法弟子が口述(同修が整理)
【明慧日本2024年12月1日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私の修煉の道には、忘れられない経験があります。師父が一度道を外れた私のような弟子を見捨てず、導いてくださったことに深く感謝しています。法を正す修煉の意義を理解した後、私は時間を大切にして人々に大法の良さと迫害の実態を伝え、より多くの人を救うようになりました。
一、大法に出会う
1998年の秋、私は建設現場で働いていた時に法輪大法に出会いました。当時私は25歳でした。それ以来、師父に導かれ、返本帰真の修煉の道を歩み始めました。
当時、私たちの工事現場の宿舎には20~30人が住んでいました。その中には法輪功を修煉している一人の大工がいて、数冊の法輪大法の書籍を持っていました。当時の宿舎は非常に簡素で、テレビもなく、今のようなスマートフォンもありませんでした。携帯電話やポケットベルを持っているのは、経営者くらいでした。そのため、休憩時間に何かの資料があると、みんなが奪い合うように読んでいました。
ある日の昼休み、私は好奇心からその大工に「これは何の本ですか?」と尋ねると、彼は「法輪功」と3文字で答えました。その時、私は少し驚いて、「聞いたことがないですね」と言いました。
その後、私も本を手に取り読み始めました。それは師父の説法でした。私はその内容に心が強く触れました。師父が説かれる法は、それまで聞いたことのないものでした。そして、私は非常に興味を惹かれました。それというのも、私は以前から人類社会の不可解な現象や人生、宇宙、広大な世界について強い興味を持っており、その分野の書物を読むのが好きだったからです。
特に印象に残ったのは『北米第一回法会での説法』でした。師父が宇宙の構造について語られた部分を読んだ時、この宇宙の奥深さに感嘆しました。「この宇宙はこんなにも大きいのか!」と衝撃を受けました。一重一重で、無限に広がる壮大な宇宙の概念が、それまでの私の知識を完全に覆しました。私は師父が説かれる法に非常に強い興味を抱くようになりました。毎晩仕事が終わると、私は飢えたように師父の法を読み、夜遅くまで読み耽りました。その大工は、私が縁のある人だと感じ、他の同僚から『轉法輪』を返してもらい、私に読ませてくれました。
当時、私はかなりのヘビースモーカーで、1日に1箱のタバコを吸っていました。ある日、私はタバコをくわえながら『轉法輪』を読んでいました。その時、ある同僚がこう言いました。「法輪功の本を読んでいるのに、どうしてまだタバコを吸っているんだ?」その言葉の意味がよく分からず、戸惑いました。すると、大工の同修が同僚に向かって「彼はまだそこまで読んでいないんだよ」と説明しました。
その後、『轉法輪』の第七講を読んだ時、ようやく同僚が言っていたことの意味が分かりました。それは「タバコをやめるべきだ」ということでした。その場面を今でもはっきり覚えています。手には吸いかけのタバコを持っていましたが、どこからともなく強い力が湧いてきて、ためらうことなくタバコを揉み消して捨てました。さらに、残っていた半箱のタバコもその場で捨てました。「タバコを他人にあげることもまた害を与える行為なのだ」と認識しました。
『轉法輪』を読み終えた時、私は「人間は佛になることができるんだ! これはなんと素晴らしいことだろう! 僕も修煉したい!」と修煉をすることを固く決意しました。それを見て、大工の同修は私に五式の功法を教え、さらに私を書店まで連れて行って、師父のすべての講法の本を買いました。こうして私は、法輪大法の修煉を始めました。
二、心身ともに変化
『轉法輪』を一通り読み終えた数日後、師父が私に灌頂してくださったのを感じました。ある晩、朦朧としていた時、突然体が動かなくなり、体に強い電流が流れるように感じました。その電流は頭から足先へ、また足先から頭へと何度も往復し、その強さで全身が震えました。私は横向きに寝ていたのですが、頭が小刻みに震えているのが分かりました。それでも恐怖心はなく、「大法はなんて不思議だろう!」と感動しました。その経験が、私の修煉の意志をさらに固めました。
第五式の功法の坐禅をしている時に、手のひらが熱気を発するのを感じました。片方ずつ手が熱くなっていました。また、夜寝ている時、師父が私の体を調整してくださっているのをはっきりと感じました。例えば、左足を持ち上げて下ろし、次に右足を持ち上げて下ろす動きが繰り返されることがありました。さらに、体全体が空中でひっくり返されるような感覚や、師父が私の体の特定の部分を手で押して調整してくださる感覚もありました。その間、体は動かせませんでしたが、意識の中で師父が治療してくださっていると分かっていました。
修煉を始めてから、体が非常に軽く感じられ、心も穏やかで明るくなり、仕事をしても疲れを感じなくなりました。特にある時期は、階段を上る際に浮いているような軽さを感じました。大法の修煉を通じて体験したこれらの不思議な現象は、すべて師父の励ましであり、私に大法の素晴らしさと超常さを示してくださったのだと悟りました。
それと同時に、私の心性にも大きな変化が現れ、人生観や世界観が根本から変わり、自分自身を真・善・忍の基準に従って律するようになりました。私は工事現場でレンガ積みの仕事をしていましたが、通常2人で1つの壁を積み上げます。この作業では、どちらか一方が「やりやすい側」を担当することになるため、どちらもその側を希望し、壁を積み終えると次の壁の「やりやすい側」を先に確保しようと奪い合いが起きていました。修煉を始める前は私もそのように争っていました。
しかし、大法を学んだ後は、真・善・忍の基準に従い、自ら「やりやすい側」を他人に譲るようになりました。そして、「やりにくい側」を担当しても楽しくやっていました。それは、大法の法理を通じて、「苦しみを受けることは良いことであり、それによって業を消すことができる」と悟ったからです。
また、食事の配給時にも変化が現れました。以前は、誰もが先に食事を受け取ろうとしていて、割り込む人も少なくありませんでした。私自身もそうでしたが、修煉を始めてからは割り込むことをやめ、他人が私の前に割り込んでも不満を抱くことなく、穏やかさを保てるようになりました。
三、揺るがない信念
1999年の春、私は工事現場で働いていました。当時の現場は外部と隔離されており、テレビや携帯電話もなかったため、中共が法輪功への弾圧を始めたことも知りませんでした。年末、仕事が終わり帰省するため長距離バスに乗った時のことです。バスに乗って席に着くと、突然、ヘルメットをかぶり、長銃を手にした軍人が乗り込んできました。彼は険しい表情で、「法輪功を修煉している者はいるか? 全員、鞄を開けろ!」と命じました。乗客たちは無言で鞄を開けました。
その軍人はバスの後部座席から順に鞄の中身を調べ始めました。その時、私は状況が全く分からず、鞄の中には『轉法輪』が入っていました。しかし不思議なことに、彼は私の鞄を調べず、そのまま通り過ぎました。後になって、これは師父が私のような新しい学習者を慈悲深く守ってくださったのだと理解しました。
家に帰った後、テレビをつけると、法輪大法と師父を誹謗中傷する報道が次々と流れていました。その時初めて、中共が法輪功を禁止し迫害していることを知りました。それが本当なのか嘘なのか、当時は判断がつきませんでしたが、一つだけ確信していたことがあります。それは、私自身の体験を通して、師父は正しい方であり、大法は正しい法であるということです。当時の私の理解では、テレビでの報道は私に対する試練であり、私の修煉への心を試すものだと思いました。「修煉への信念は揺るがない! 決して変わらない!」と信念を固めました。
まだ修煉してから1年しか経っておらず、理解は浅いものでしたが、私は法輪大法の素晴らしさと不思議さを身をもって体験しました。その体験が私の心に深く根付き、中共がどんなに噓偽りの宣伝をしても、修煉への決意を揺るがすことはありませんでした。それ以降、テレビで大法を誹謗する番組が流れると、すぐに電源を切ってみないことにしました。そして、家では引き続き学法と煉功をし、外部の影響を受けることなく修煉を続けました。
当時、私は大法を修煉するという私の確固たる意志は正しいと思っていましたが、しかし後になって振り返ると、その頃の私はまだ個人の修煉の段階に留まっていたことに気付きました。
(続く)