文/広東の大法弟子
【明慧日本2024年12月7日】私は2009年に法を得た大法弟子であり、15年間の修煉の道のりにおいて、師父の慈悲深いご加護の下で「真・善・忍」を修めることにより、生まれ変わったように変化しました。そして、私の周りの家族も大いに恩恵を受けました。
「百善孝為先」という言葉があります。大法弟子として、私は孝とは単に両親や年長者への敬意や愛情を示すことだけでなく、彼らに真相を理解させ、邪悪から遠ざけ、素晴らしい未来を得てもらうことだと思っています。ここでは、私の義父と義母が真相を理解し、退党した後に心身ともに健康になり、家庭が和やかになった話をシェアします。
最初の真相伝え
私の義父母は北京のある大学で幹部として働いていました。彼らは若い頃に中国共産党に入党し、長年にわたり体制内で邪党文化の毒を深く受けていました。義父母は退職後の待遇が良く、生活条件も恵まれていたため、常に幸せな生活は中共の恩恵だという観念を持っていました。
私と夫は南方に家庭を構えており、義父母は毎年南方に来て一緒に年越しをしています。ある日の夕食時、夫が「職場の上司が入党申請書を提出するように言っている」と話しました。義父母はこれを聞いて大いに乗り気になり、積極的に夫に入党を勧め始めました。
当時、私は法を得てからまだ日が浅く、大法についての理解も十分ではありませんでしたが、修煉を通じて大法の素晴らしさを実感していたため、家族に真相を伝える機会をずっと探していました。そこで私は夫に「中共は世界最大の汚職政党、腐敗政党だ。絶対に入党しないように」と伝えました。夫もその場で「自分は絶対に入らない」と明言しました。これを聞いた義父母は少し不機嫌になり、夫が今は嫁の言うことしか聞かないと感じ、私が夫の出世を妨げていると思ったようでした。
その後しばらくして、義父母は私が法輪大法を修煉していることに気づきました。ある日、私が配車サービスの車に真相資料を置いていたところを、義母に見られてしまったのです。義父母は中共のテレビでのデマや中傷を信じ込んでいたため、私に対して疑念を抱くようになりました。しかし、面子を気にしてその場では何も言わず、私の夫にこっそり「余計なことはしないようにさせなさい」と囁いていました。そこで私は、義父母と話をする機会を作り、真相を伝えようとしました。義母は腰椎椎間板ヘルニアの持病があり、私は「腰の痛みはどうですか?」と尋ねました。義母は「ここ数年、北京の大病院で専門医に診てもらったけれど、治らない。時々まだ痛む」と答えました。そこで私は義母にこう言いました。「法輪大法は佛法の修煉です。私も修煉を始めてから身体がとても良くなりました。以前は慢性盲腸炎や坐骨神経痛などに悩んでいましたが、すべて治りました。先週、私が階段を下りている時に滑って転んだのを見てましたよね。腰を強く打ちつけて、あなたやお父さんは病院に行ってX線を撮った方がいいと言いましたが、私はすぐに起き上がって『大丈夫です』と言いました。今、腰はすっかり治っています。これが大法の不思議な力です。お母さんも、一緒に修煉してみませんか?」
義父母は隣で何も言わずに座っていましたが、私は特に気にせず「天安門焼身事件」の偽りの事件について真相を伝え続けました。また、貴州の「藏字石」の写真も見せて、「中共のデマ宣伝を信じないでください。嘘を信じるのではなく、三退(党・団・隊を脱退)して初めて安全が守られるのです。早く退党してください」と話しました。
すると、義父は急に顔を真っ赤にして、しばらく我慢してから「なんでこんなこと信じるんだ!」と激怒しました。私は「法輪大法は佛法であり、現在、世界中の100以上の国で人々が法輪功を修煉しています。博士や修士など高い学歴の人々も多く、さまざまな職業の人が修煉しています」と答えました。義母は立ち上がって、両手をポケットに入れながら「さっき共産党が悪いって言ってたけど、中国の経済は今すごく発展しているじゃない? それは共産党の指導のおかげじゃない? 退党は反党よ!」と言いました。私はさらに詳しく説明しようと思いましたが、義父母はこれ以上話を聞こうとせず、自分たちの部屋に戻ってしまいました。
義父母に真相を理解してもらうことができず、私はとても辛い気持ちになりました。その後、自分を内省してみると、彼らの立場や受け入れ度合いを考慮せず、ただ自分がどのように話すかばかりを気にしていたことに気づきました。話すスピードも速く、まるで筒から豆をこぼすように一方的に話してしまっていたのです。また、自分には争う心があり、義父母と議論をしようとしていました。純粋で善良な心を持って話をすることができず、さらに義父母の心のわだかまりを解くことにも心を配れませんでした。
加えて、自分自身にもまだ党文化の影響が残っていることに気づきました。例えば、家事を少し多めにこなすと、不公平だと感じて夫に不満を言ってしまい、義父母に大法弟子の善の一面を伝えることができなかったのです。私はとても恥ずかしく、後悔しました。そして心の中で「私はしっかり修煉し、大法の教えに従って行動しよう。いつか必ず義父母に大法の素晴らしさを感じてもらえる日が来る」と誓いました。
年が明け、義父母は北京に戻ることになりました。出発前に私は義母にUSBメモリを渡し、義母が「これは何?」と聞いてきました。私は中に『共産党についての九つ論評』の動画が入っているとは言えず、「とても貴重な映像なので、ぜひ義父母に見てほしいです」とだけ伝えました。義母はそのままUSBメモリを荷物に入れて持ち帰りました。後日、私は義母に「映像を見ましたか?」と尋ねましたが、彼女はやや嘲笑気味に「あなたが何を渡してくるか、その時すぐにわかったわ。だから見てないよ」と言いました。
再び真相を伝える
義父母が北京に戻った後、夫が失業しました。その後の2年間、夫は収入がなく、ずっと家で過ごしていました。私たちは義父母に心配をかけたくなかったので、このことはずっと隠していました。2年が経ち、再び義父母が南方に年越しにやって来ました。義父母は息子が家にずっといるのを見て、不思議に思い、何度も問い詰めました。そこで夫はようやく真実を話しました。このことが義父母にとって大きな心配事となり、義父は焦って心を痛め、義母も血圧が上がってしまい、毎日ため息をついていました。家の中は重苦しい雰囲気に包まれていました。
その当時、家の支出はすべて私一人で負担していました。義父母がそれを知ると、とても気が引けたようで、お金を渡そうとしてくれました。私は義母に「中国の伝統では、私たち子供が年長者を敬うべきで、あなたたちにお金を出してもらうわけにはいきません。それに、私の給料で家計は十分賄えるので、安心してください。どうぞそのお金はしまってください」と伝えました。さらに私は義母を慰めて「夫が仕事をしていないのは一時的なことです。みんな彼を責めるのはやめて、焦らず自然の成り行きに任せましょう」と言いました。
義父母は、私がこのように理解を示していることにとても安心したようでした。
義父母は家に家政婦を雇うのを嫌がったため、私は進んで家事を引き受けました。義母は肉を食べられませんが、義父は肉好きなので、義父母それぞれの好みに合わせて料理を作りました。義父母は麺類が好きですが、私は南方の出身で麺料理を作るのが苦手だったので、義母に教えてもらいながら餃子や肉まん、薄餅、手打ち麺を作れるようになりました。習得してからは、よく義父母にこれらの料理を作りました。義父母はとても満足しており、義母は親戚と電話で話す際に、私の料理がとても美味しいと褒め、私のことを「孝行な良い嫁だ」と言ってくれました。
義母はアレルギー体質で、少しでも気を抜くと肌が赤くなったり痒くなったりします。そこで、私は彼女に綿100%の部屋着を買い、洗剤やスキンケア用品もできるだけ植物由来のものを選んであげました。天気が良い日は、布団を屋上に干して、ふかふかで香りの良い状態にして、義父母が気持ちよく眠れるようにしました。私は自分の行動で法輪大法を証し、日常生活のあらゆる場面で義父母に大法の素晴らしさを感じてもらえるよう努めました。義父母は毎晩寝る前に本を読む習慣があったので、私は明慧期刊の『真相』、『明白』、『天地蒼生』、そして『共産主義の最終目的』などの書籍を彼らのベッドサイドに置いておきました。義母はすべての本を一冊も漏らさず読み、義父も一部を手に取って見ました。週末の空いた時間には、義父母と一緒に明慧の「五一三征文」ラジオ放送を聞くようにしました。次第に義父も聞き入るようになり、耳が少し遠い彼は音量を大きくして、真剣に耳を傾けていました。明慧ラジオで流れる真実味のある感動的な物語が、義父母の心に大きな感動を与えました。
私は黙々とこれらのことを続け、義父母はそれを見て、私に対する態度が次第に良くなっていきました。私が功法を煉ることにも、義父母はもう反対しませんでした。義母は私の真似をして足を組もうとし、一度で両足を組むことができました。私は大切な書籍『轉法輪』を義母に渡して読んでもらいましたが、義父はまだ心配があるのか、義母に読ませるのを躊躇していました。もしかすると、まだその時が来ていなかったのかもしれません。義母は本を返してきました。
義母はこう言いました。「今回来て、あなたがすごく変わったのを感じたわ。前はせっかちで、言い方もきつかったけれど、今は性格が穏やかになって、人の面倒もよく見るようになった。まるで別人のようだわ」私は笑いながら「これは大法の師父がそうさせてくださったんですよ」と答えました。あっという間に元宵節も過ぎ、義父母は北京に戻る準備をしていました。私は「今こそ義母に真相を伝えなければ」と思い、心の中で師父に加持をお願いし、智慧を開いていただけるよう祈りました。そして、2人にしっかりと真相を伝え、真の済度を得てもらいたいと思いました。
その夜、夫は友人との集まりに出かけていたので、私は義父母の部屋に行って一緒に話をしました。私はこう言いました。「お父さん、お母さん、あなたたちは本当に優しいお2人ですし、今の社会の腐敗にうんざりしていることでしょう。今の中国共産党の支配下で、社会の道徳は急速に崩れています。ここ数年で逮捕された腐敗した役人たちを見てください。その汚職の金額は目を疑うほどです。ちょっと考えてみてください。もし池の中に一匹だけ腐った魚がいたとしたら、それはその魚自体に問題があるかもしれません。しかし、池の中のすべての魚が腐っていたら、それは池の水が問題だということです。同じように、今の中国社会は政治も役人も腐敗し、軍隊や司法、医療、教育までもが腐敗しています。その根源は中共にあるのです。中共は私たち中国人を滅ぼそうとしているのです!」と。
義父母は「確かにその通りだ、今の官僚たちは根っこから腐っている」と同意しました。私は言いました。「お母さん、以前、今の良い生活は某党の恩恵だと言っていましたが、実はそうではありません。今あなたが良い生活をしているのは、昔に積んできた大きな徳のおかげです。あなたの年金は一生懸命働いた結果であり、党からの恩恵ではありません。共産党は農業をしませんし、生産も行いません。社会の富を生み出しているのは人民であり、人民が中共を養っています。中共は人民に寄生する吸血鬼です。共産党は運動を起こし、平和な時代に8000万人の中国人を殺したり、害を加えたりしました。法輪大法は仏法であり、中共は修行者を迫害し、さらには法輪大法の弟子たちの臓器を生きたまま摘出して高値で販売しています。これらの悪行は天の罰を受けるでしょう。あなたたちが党に入るときに誓ったのは、終身党のために尽力し、いつでも党のために犠牲するということ。それは毒の誓いです! 法輪功は私たちに「真、善、忍」の基準で善良な人間になるよう教えており、最も正しい道を歩んでいます。「三退」は安全を守るためのものであり、政治を行うのではなく、人を救うためのものです。あなたたちに退党を勧めて、毒の誓いを消し去り、災難から遠ざかるように言っています。私の親であるお父さん、お母さん、あなたたちが平安で美しい未来を持つことを願っています。あなたたちのために「心蓮」と「明徳」という仮名を考えましたので、党を脱退することを宣言しましょう、いいですか?」
義母は義父を見て、義父はしばらく考えた後、はっきりとこう言いました。「じゃあ、退党しましょう! 私たち2人とも退党します!」義母は「心蓮」という名前がとても気に入ったと言い、退党することに同意しました。私は続けてこう言いました。「私たちの中国の伝統的な考え方に従い、天と仏を敬い、善行を積むことで神仏の守護を得ることができます。今、あなたたちが最も正しい選択をしたことで、神仏はきっとあなたたちを守ってくれるでしょう。私たちの家庭が和やかで、家族が繁栄することができるのです」
義父母は笑顔になりました。
大法の護り コロナ期間「陽」が1人もいない
義父母が退党してからわずか3カ月余り後、夫のかつての上司が夫をある世界の500強企業に推薦してくれました。夫は無事に採用され、部門マネージャーに任命され、以前の倍の収入を得ることができました。私たちは義父母に電話をかけて喜びを伝え、義父母は息子が良い仕事を見つけたことを非常に喜んでくれました。私はこう言いました。「あなたたちの正しい選択が、私たちの家族に神仏の護りをもたらし、大きな福報を得ることにつながりました!」義父母は何度もその通りだと認めました。
2020年初頭、武漢コロナが発生した際、私は義父母にそれぞれ美しい護身符を贈り、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」という真言をいつも念じるように伝えました。これにより、疫病を避け、安全で健康でいられると言いました。義父母は喜んで受け取りました。
2022年11月、感染症対策が全面的に緩和された後、感染症が急激に広がりました。義父母が住む大院では、ほとんどの人が感染し、多くの人が白肺の症状を呈しました。その中で、多くの高齢者が次々と亡くなり、若い人たちも命を失いました。しかし、義父母は大法の護りの下で、コロナの3年間、無事で健康に過ごしました。師父の慈悲による済度と、仏の恩恵に無限の感謝を捧げます!