文/法輪功修煉者
【明慧日本2024年12月16日】師父の新経文『修煉と宗教』を学んだ後、私はすぐに「宗教」という言葉の英語の定義を調べました。「宗教」は近代西洋の言葉である「religion」(レリジョン)の現代語訳です。religionはフランス語またはラテン語に由来し、その原義は「義務、束縛、敬意」(obligation,bond,reverence)です。中世紀の英語では「修道院誓いの下での生活」を意味しました。
したがって、「religion」の本来の意味から言えば、宗教とは「教義」によって生き方を制約することになります。そして、法輪功修煉者は「真・善・忍」を用いて自らの言動を抑制、指導し、師と法を尊重し、これは本来の西洋が宗教への定義と一致しています。異なるところは、我々が教会や教堂、寺院という形ではなく、目に見えない形で一般社会で修煉していることです。
では、中国語の「宗教」という言葉はどこから来たのでしょうか? 最も初期の古代中国では、宗教は氏族の教えを指していました。1869年に日本とドイツが日独条約を締結した際、日本人は「exercise of religion」を訳すために「religion」を「宗教」という漢字に訳しました。「宗教」という言葉が日本の学界に広く受け入れられたのは1874 年になってからです。その後、「religion」の標準日本語訳となり、19世紀末に中国に導入されました。 (ウィキペディア)
西洋(東洋を含む)における宗教の変異に伴い、宗教的修煉はますます意味合いの薄いものとなりました。人々は形だけを重視するようになり、ある種の人間の文化となっています。現代人は宗教に対して固定観念を持っています。宗教について話すとき、頭に浮かぶのは教会、寺院、および礼拝、祈り、誦経、出家、行脚などの儀式とその形態です。
現代宗教の変異と中国共産党の反神(無神論)教育の結果、多くの中国人の心の中では、宗教という言葉は反義語(良い言葉の反対語)になりました。
法輪功が宗教であるかどうかは、人間の認識にすぎないのです。私たちの修煉は、出家したり寺院に入ったりせず、人心を真っ直ぐに指すものです。家族、職場、さらには社会全体が私たちの修煉場であり、修煉者としての歴史的使命を最大限に発揮できるようにするものでもあります。それを我々修煉者は知っています。