文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年12月17日】数年前、私は友人に2万元(約40万円)を貸しました。その友人は急にお金が必要になったと言うので、私は迷うことなく貸してあげたのでした。
それから2年後、ある日偶然その友人と会った私は、貸したお金の話を持ち出しました。しかし、友人は驚いた様子で、「お金なんか借りてないよ、そんなことはなかった」と言うのです。私は「本当に忘れたのですか?」と聞きました。「一昨年、あなたは5000元(約10万円)を返してくれたではないですか。そのとき残りの1万5000元(約30万円)は後で返すと言っていました。その時、AさんとBさんも隣にいたではありませんか?」と具体的に話しました。しかし、友人は「そんなことはないよ。君の記憶違いだ」と突っぱねたのです。
その時、私は怒りと悲しみで体の震えが止まりませんでした。不愉快極まりなく、自分はこんなにも不当な目に遭っていると思い、「どうして私にはこんな友人がいるんだろう?」と思いました。証人を呼んでどちらが正しいのか対決させることもできず、心の中で彼を責める気持ちが膨らみました。「借りたお金をなかったことにするとは、なんて恩知らずなんだ!」と怒りで体が震え、名利心(訳注:友人に裏切られたことによる世間体を気にする心)が湧き上がりました。そのせいで私は、食事ものどを通らず、夜も眠れなくなりました。
私の妻も修煉者です。妻は「もう気にしないでおこうよ。もしかすると、前世であなたが彼に借りがあったのかもしれない。それに、このお金を失うことで災いを避けられたと思えば、これも修煉の一環よ。私たちは修煉者なんだから、こんなことで争ってはいけない」と諭してくれました。妻の言葉が正しいことは頭では分かりました。私は口では「放下するよ」と言いながら、心の中ではどうしても整理がつかず、悔しい気持ちが消えませんでした。
数日前のことです。地元の知人の子供の結婚式に出席すると、そこでまたあの借金を踏み倒した友人に出くわしたのです。その瞬間、心の中の怒りが再燃し、思わず「天よ、どうしてこの悪人を裁かないのだ!」と心の中で呟いてしまいました。怒りと怨みが込み上げ、知らず知らずのうちに彼を呪う気持ちまで抱いてしまいました。
帰宅した私は、気分がひどく悪くなり、心臓の鼓動は速くなり、血糖値も急激に上がってしまいました。体はみるみるうちに痩せていき、いくら自分の内に向けて探しても原因が分かりませんでした。
今日の午前中のこと、妻と一緒に『轉法輪』を一講勉強した後、明慧ネットの怨恨心を取り除く内容の交流文章を読みました。数ページ読み進んだ私は、心を動かされました。「これはまさに私のことを言っているのではないか?」と感じたからです。
私は確かに怨恨心を抱えていました。あの友人が借金を返さなかったことを恨み、心の中で彼が報いを受けるよう呪ってさえいました。これではまるで常人と同じではありませんか? 私は名利心に振り回されていたのだと気づきました。
考えれば考えるほど、自分の非が見えてきました。「慈悲の心はどこに行ってしまったのだろう? こんな状態では修煉者として失格だし、師父の慈悲深いお導きに対して申し訳ない」と思いました。
そして、「私は修煉者だ、この心は必ず取り除く」と心に誓った瞬間、お腹が「ゴロゴロ」と鳴り始め、まるで下痢をするような感覚に襲われました。急いでトイレに駆け込み、なんと3回も駆け込むことになりました。その後は、全身が軽くなり、どこも苦しくなくなり、血糖値も血圧も正常に戻ったのです。
師父に感謝いたします! そして明慧ネットに感謝いたします! おかげで私は目覚め、修煉者としての心で物事を考えられるようになりました。心性が大きく向上し、人生で非常に困難だった試練を乗り越えることができました。「内に向けて探す」ことは、まさに宝なのだと実感しました。
午後になって学法グループに参加した私は、さっそくこの経験を同修たちに話しました。すると同修たちは「このことを文章に書き出すべきだ」と勧めてくれました。 そして、怨恨心は本当に害が深く、しばしば自覚することなく現れてしまう、とも教えてくれました。怨恨心は「恨み」という物質から成り立っており、それには中国共産党が人々に植え付けようとしている敵意や闘争文化による影響が深く染みついているそうです。それに慣らされてしまっているので、この心に支配されていることにすら気づきません。
私は、もっと多くの同修に早く怨恨心を修めて取り除いてほしいと願っています。それは私たちの修煉を妨げ、身体にも悪影響を及ぼすのものなのです。この問題を重視し、必ず修めて取り除きましょう!