文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年12月23日】
師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
実生活の中で、一度道から逸れた道は二度と戻ることはできないとよく言われますが、中国共産党(以下、中共)の迫害により私が法輪功から逸れた道を師父は再び私に与えてくださいまし。このことを思うたびに、師父と大法に対して言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいになります。
1997年、18歳の時に、私は幸運にも法輪大法の修煉を始めました。それから27年経ち、私は10代の若者から中年男性になりました。私が歩んできたすべての歩みは、師父の多大な犠牲と慈悲深い配慮に満ちていました。
中共の迫害により、私は大学卒業後すぐに職を追われ、将来有望なキャリアを失いました。中共の警察に拷問と洗脳を受け、長期の懲役刑を宣告されました。その結果、大学を卒業して社会に出てからの私の人生の軌跡は完全に変わってしまいました。修煉の面から見れば、それは私の心性の欠如と業力の負債によるものだと分かりました。そのため、どんな苦難に遭っても、師父と大法に対する確固たる信仰を失わなかったのです。また、私自身の苦しみは、衆生を救うことに対する潜在的な影響に比べれば小さなものだと分かっていました。迫害を受けている間も、大法の素晴らしさを実証するために、あらゆる努力をして前向きな考え方を示しました。中共の暗い監獄の中でも、私は頭を高く上げて、誰に対しても威厳を持って向き合いました。
しかし、私は心の中でずっと一つの願いを抱いていました。迫害によって受けた損失を、私はどう埋め合わせたらよいのか。刑務所から釈放されたとき、私はすでに中年で、常人から見れば人生の最盛期は過ぎていました。私は心の中で、自分がこの世に物質的なものを得るために来たのではない、物質的なものに執着してはいけないとはっきり分かっていました。しかし、私はやはり人間界で生活し、できるだけ常人社会に適応して修煉する必要があります。そうしてこそ、大法を実証し、衆生を救うことができるのです。慈悲深い師父は私がこの考えを抱いているのを見て、私に新しい道を用意してくださいました。
一、社会に復帰し、正しい修煉の道を歩む
私はすぐに小さな個人商店で仕事を見つけて生計を立て、家族を安心させました。仕事は肉体労働でした。私は修煉者の基準を守り、一生懸命働き、困難に文句を言わず、2カ月間休みなく働きました。しかし結局、借金に苦しむ店主は私に正規の給料ではなく数百元しかくれませんでした。彼も苦労しているのだから、私がこれ以上苦労させてはいけないと思いました。そこでは生計を立てることができず、法を学ぶ時間も煉功する時間もあまりなかったので、辞めることにしました。
偶然のように思えるきっかけで、友人が私の学部の専攻に関連した医療関係の仕事について教えてくれました。週に1日半の休みがあり、定期的に休日があり、仕事量は少なかったのです。主に午前中に仕事をしていたので、午後は法を学ぶ十分な時間がありました。職場の環境は快適で、職場では無料の昼食が提供されました。私は、これは師父の慈悲深い計らいで、仕事と修煉を両立させてくれるものだとわかり、とても大切にしていました。
私は毎日一生懸命働き、同僚と仲良く過ごし、すべての患者に優しく接しました。上司からの理不尽な要求、同僚からの故意の排除、または難しい患者に直面したとき、私はこれを自分の心性を向上させる機会と捉えました。毎日、向上する機会があるように感じました。
ある朝、仕事を終えて手術室の換気をしていたとき、床に光るものが落ちているのが見えました。それはプラムほどの大きさの、重くて純金のペンダントでした。後で知ったのですが、そのペンダントの価値は1万元近いものでした。私はすぐに上司に報告しました。ちょうどそのとき、それをなくした患者が上司のオフィスにいて、家族と何が起こったのかを心配しながら話していました。その朝は人がとても多く出入りしていたので、見つかる可能性は低いと人々は彼女に話していました。私がそれを見つけて返したと聞いて、彼女と家族は深く感動し、後日、感謝の旗を私に贈りに来ました。
二、卒業から20年後に専門資格を取得
私は就職してすぐに中共に職を追われたため、自分の専門分野の資格を取得できませんでした。そのため、最初は低レベルのアシスタント業務しかできませんでした。1年後、すぐに低レベルの資格を取得し、当時私の状況を考えると多くの人を感心させました。しかし、私が取得した学士号は高レベルの資格に相当し、取得できる能力があることもわかっていました。なぜそれを目指さないのか、そうすれば大法を実証することもできると思いました。
私が自分の考えを話したとき、何人かの友人は私の年齢と、この分野から20年も離れていたことを理由に、反対しました。若い卒業生や大学院生と張り合えるかどうか疑問に思ったのです。
これらのアドバイスを振り返って、私は自分の状況を慎重に考えました。確かに私は年を取っており、20年以上も現場から離れていましたが、頭は良く、健康状態は良好だと自覚していました。実際、見た目も気分も実年齢より10歳ほど若く感じました。さらに、私がこの資格取得を目指す動機は個人的な野心ではなく、大法を実証したいという願望でした。友人や家族に大法の素晴らしさを知ってもらいたかったのです。
慈悲深い師父は私のためにすべてを按排してくださいました。登録から準備までの全過程を通じて、さまざまな人がちょうどいいタイミングで現れ、私の課題を助けてくれました。たとえば、私は前年に同じ試験を受けた若い女性に会い、自分の経験を熱心に話してくれました。彼女は登録プロセスのすべてのステップを案内し、効果的な勉強方法を説明し、試験の準備方法に関する詳細なヒントまで教えてくれました。
静かで快適な勉強スペースを確保するのを手伝ってくれた人もいました。これは試験対策に欠かせないものでした。試験の最後の 1 カ月が近づくと、わずか 400元という非常に安い料金で集中的に試験対策ができるオンライン短期集中コースを見つけました。コースはよく構成されていて、講師陣の指導も素晴らしかったです。
この最後の期間、私は法を学び煉功するという日常的な習慣を維持しながら、勉強に専念しました。試験に向けて準備していた多くの若い学習者は、締め切りが近づくにつれて、不安、ストレス、肉体的疲労に圧倒されました。休息のために睡眠薬に頼らなければならない人もいれば、プレッシャーに対処するために抗うつ剤を処方された人もいました。試験は2日間続き、両日とも非常に暑かったのです。試験中、過酷な試験スケジュールに耐えるために、エナジードリンク、チョコレート、さらには酸素を摂取する人もいました。
毎日、3回連続で試験を受けました。2日目の試験は午後1時頃から午後6時半まで続きました。圧倒されて倒れる人もいました。3回目の試験の前に救急車で運ばれる人もいました。
私の経験は全く違いました。私は修煉者のような心構えで試験に臨みました。試験準備中に疲れたり不安になったりしたときは、煉功したり正念を発したりしました。試験当日は、少し暑さを感じた以外は、疲労や不快感を感じず、すべての試験をスムーズに終えることができました。試験会場から出てきたとき、合格できるという強い自信を感じました。
通常、試験結果は試験後少なくとも30日後に発表されます。待機期間中、私は冷静な心構えを保ち、師父と大法を信じ、やるべきことをしっかりやり、結果に執着しすぎないように自分に言い聞かせました。
試験から20日ほど経ったある朝、私はいつものように果物を師父に供えていました。私は同修の母と、まだ修煉が十分ではない父を招いて、師父に敬意を表しました。80代の父は師父の像の前で頭を下げて言いました。「師父、こんにちは。この果物は子供が用意したものです。どうぞお受け取りください。子供が試験に合格し、適当な仕事に就き、普通の生活を送れるよう、師父のご加護をお願いします。師父、ありがとうございます」。私は父の真摯な気持ちに深く感動しました。
驚いたことに、その日の夕方、例年よりもずっと早く試験結果が発表されました。合格しただけでなく、合格点を40点以上も上回りました。本当に素晴らしい成績でした。
その結果を見て、私は興奮や喜びに圧倒されるような気持ちにはなりませんでした。むしろ、師父と大法に対する感謝と信仰が私の心の中にさらに深く広がりました。また、この過程を通して私を支え励ましてくれた同修に対しても深い感謝の気持ちを感じました。その瞬間、私はこれらの恩恵を修煉への新たな精励に変え、三つのことをしっかり行おうと決心しました。
翌朝、私は両親にその結果を伝えました。私たち3人は、師父の慈悲と気遣いに改めて感謝しました。親戚や友人たちも私の成功を聞いて喜んでいました。しかし、私にとっては、これはすべて師の計らいの結果であるとわかっていました。他の人には不可能に思えたことが、私にとっては現実になったのです。
生涯で法輪大法の盛大な広がりと師父の救いに出会うことができたのは、すべての恵みの中でも最大の恵みです。私は改めて師父と大法に深い感謝の意を表したいと思います。弟子として、私は精進して修煉し、三つのことをしっかり行い、より多くの衆生を救うことでのみ、師父の莫大な恩恵に報いることが出来ます。