【明慧日本 2024年12月23日】30年前の1994年12月、『轉法輪』が公開発行された。当時この書籍は、中国国務院広播電視部傘下の中国広播電視出版社から出版・発行され、世の人々はついに一般の気功を超越した高徳な修煉の大法に触れる機会を得て、人生の目的を実現し、本来の真の姿に戻る道を歩めるようになった。
この神奇な宝書について、この30年間の軌跡を振り返り整理させていただきたい。
1992年5月13日から22日まで、李洪志師父は中国吉林省長春市第五中学で初めて法輪功(法輪大法)を伝えた。当時は中国で「気功ブーム」が起きていた背景のもと、「気功」の形式で伝えられ、宇宙の特性である「真・善・忍」を指針として、人々を善に導き、病気を治し、健康になり、生命の次元を高めるものだった。
その後、李洪志師父は中国気功科学研究会の公式招待に応じ、23の都市で計56期の学習クラスを開催し、6万7千人が師父の説法クラスに参加した。これらの法輪功学習者は、法輪大法が人間世界に蒔いた種となった。
1994年12月、李洪志師父の主著『轉法輪』が国務院広播電視部傘下の中国広播電視出版社から公開出版され、統一書籍番号が付番され、1冊12元で販売された。
1995年1月4日、北京公安大学講堂で『轉法輪』出版記念式が行われ、李洪志師父が説法を行った。この『轉法輪』は、師父が指定した大法弟子が、長春、北京、安徽、武漢、済南などでの説法を録音から一字一句書き写し、さらに師父が直接校正して完成させたもので、書籍全体の一字一句が師父の説かれた内容である。このように、師父から賜った天への梯子である『轉法輪』が人間世界に現れてから30年が経ち、数え切れない人々が恩恵を受けてきた。
明慧ネットの「師父の恩を想う」というコーナーには、師父の説法クラスに参加した大法弟子たちの見聞や感想が数多く記録されており、それらは人々に感動と驚嘆を与え、羨望の念を抱かせている。師父は説法の理を通じて、また一つ一つの言動や日常生活の細部を通じて、大法弟子に心性を修める模範を示し、数多くの大法弟子が精進して実修し、大きな恩恵を受けるよう導いた。説法クラスで賜った素晴らしい思い出については、ここでは触れない。ここで述べるのは、師父の説法クラスには参加せず、ただ『轉法輪』を学び、この書籍の要求に従って修煉した人々に起きた巨大な変化である。『轉法輪』は数え切れない人々の人生の運命を完全に変え、多くの人が悪習を改め、崩壊した家庭が修復され、多くの人が健康を取り戻し、多くの人が絶望の中で希望を見出した。悲劇が喜劇に変わり、奇跡が人間世界に現れ、多くの人の心が浄化され、この濁世の中で多くの人が偉大な佛道神へと鍛え上げられた。心が大きく変化し、体が大きく変化し、思想が大きく変化し、道徳が向上し、次元が向上し、境地が向上した。この文章を記すのは、『轉法輪』が人間世界に現れて30年を迎えるにあたり、師父への感謝と大法への賛美を表すとともに、より多くの人がこの書籍を読み、同じように恩恵を受けることを切に願うためである。
人々から避けられる存在から、人々から称賛される存在への大きな変化
周知の通り、一人の人間が麻薬の悪習に染まると、人生は暗くなり、前途は絶望的となり、家族や親戚、友人にまで影響が及ぶ。しかし、湖北省咸寧市の青年、劉社紅さんは非常に成功裏に麻薬を断ち切り、人生を変えた。彼の体験は地域の多くの人々に感動を与えた。しかし、現在なお刑務所で迫害を受けている。
劉社紅さんは1967年2月生まれの男性で、湖北省咸寧市咸安区大橋村13組の住民であり、武漢市木材公司武昌木材工場の元職員である。彼の人生は伝奇的な物語に満ちている。
社会の悪しき風潮の影響を受けて麻薬に染まり、10数万元を費やして強制的な薬物治療を受けたが、成功しなかった。しかし、法輪大法に巡り会い、修煉を始めてわずか4カ月で長年の麻薬依存を完全に断ち切り、誰もが認める善良な人となった。
ところが、2008年5月4日午後、劉社紅さんは甥の劉進華さんと共に武漢市江夏区で法輪功の真実を伝える標語を書いていた際、江夏区公安分局の警官に連行された。劉社紅さんは不当に労働教養を課され、武漢何湾労働教養所に送られて迫害を受けた。中共による拘束期間中、故郷の村民たちと咸安区大橋村村民委員会は劉社紅さんが悪事を働いたとは信じられず、自発的に証人となって、劉社紅さんが善良な人であり、拘束され迫害されるべきではないと証言した(添付資料参照)。しかし中共はこれらの声に耳を貸さず、独断的に不当な労働教養による迫害を続けた。
添付資料:法輪功学習者の劉社紅さんが不当に拘束され迫害を受けている期間中、故郷の村民たちと咸安区大橋村村民委員会は劉社紅さんが悪事を働いたとは信じられず、自発的に証人となって、劉社紅さんは善良な人であり、拘束され迫害されるべきではないと証言した。以下がその関連資料である(編者注:原文を尊重し、一切修正を加えていない)
一、村民たちによる劉社紅のための署名と証明
上級法制公安部門殿
劉社紅さんは、男性で、1967年2月生まれ、湖北省咸寧市咸安区大橋村13組の住民。1983年11月に父親の後を継ぎ、武漢市木材公司武昌材場の職員となった。
当時16歳で、中学を卒業しておらず、若気の至りと遊び好きで、仲間意識が強く、白沙洲や武昌区の遊び人たちや「湖南グループ」などの影響を受け、次第に「アウトロー」となり、武昌区で一時期その名が知られるようになった。その後、麻薬の誘惑により1993年から使用を始めた。そして暴力沙汰、麻薬使用、薬物治療が日常となり、何度も勾留され拘禁された。最後の一回は2000年から2004年6月まで、沙洋で4年間の労働改造を受けた。解放されてわずか数カ月後、2005年上半期に再び麻薬中毒を再発し、抑えが効かなくなった。長期の薬物による健康被害と年齢的な要因により、健康状態は著しく悪化した。武昌区で無職(すでに失業)の生活を送りながら、なお麻薬を続けるため、武昌区で人をだまして金を借り、人々から避けられる存在となった。
最後は追い詰められ、2006年12月に故郷に「逃げ帰った」。帰郷した時には両足が浮腫み、全身が黒ずみ、歩行も困難な状態だった...故郷の人々は年末まで持たないだろうと考えた。しかし、故郷でも東奔西走して金を借り、機会を見つけては外出を口実に麻薬を探し求め、母親は何度も一緒に入水自殺しようとするほど追い詰められた。
2007年1月、どういう縁か、万策尽きた状況で、母親が家に閉じ込め、偽り、悪、焦りに対して、本を読ませ、真・善・忍を修煉させた。
奇跡が起きた。一か月以上も家で本を読み続け、その間一度も村を出て麻薬を探すことはなかった。この全過程で麻薬を使用せず、後にはタバコも吸わなくなった。
新年が過ぎると再び武昌に戻り、ずっと本を読んで修煉を続けていたという。2007年清明節に墓参りで帰郷した時には、体つきも顔色も完全に変わり、一般の人よりも健康に見えた。
それ以降、年末年始や祝日には必ず帰省し、1、2カ月おきに母親と兄嫂を訪ねるようになった。帰省するたびに、ますます健康になり、今日まで麻薬使用の形跡は全く見られない。今年の清明節には例年より数日長く滞在して武昌に戻った(過去の麻薬使用時期は、1、2年帰省しないこともあった)。2007年の新年明けから現在まで、帰省時の接触や会話から感じられるのは、過去の悪習を完全に捨て去っただけでなく、習慣、性格、言葉遣い、品性、他人への態度、家族への手助け、辛抱強さなど、すべてが別人のように、善良な人に変わったということである。
今回また何か悪事を働いたというのは、私たちには信じ難い...しかし、今回本当に拘留されたということなら、関係部門の指導者や職員の皆様にお願いしたい。状況を詳しく調査し、非常に悪い人間が非常に良い人間に変わったという得難い現状を大切にし、善意を持って対応し、真に善良な人間として生きていけるようにしていただきたい。
【村民署名】(署名省略)
二、咸寧市咸安区大橋村村民委員会の証明
上級関係部門殿
当村の元村民である劉社紅さん(現在は武漢市木材公司武昌材場の失業労働者)は、長年の麻薬使用と暴力沙汰により、度々勾留されていた。数回の調査訪問により、2007年2月から今年の清明節まで、帰省回数が大幅に増え、麻薬使用の形跡は全くなく、健康状態も良好で、人を殴る、罵るなどの悪習もすべて改められ...非常に穏やかな人になり、さらに法律や規則に違反する行為も見られなかった。
以上証明する。
咸安区大橋村村民委員会
2008年5月12日
劉社紅さんの大きな変化の過程、そしてこの二つの証明資料から、劉社紅さんの前後の劇的な変化は、確かな事実であり、誰の目にも明らかである。劉社紅さんがこれほどの大きな変化を遂げた根本的な理由は、『轉法輪』を読んだ結果であり、つまり『轉法輪』という書籍が彼の人生を変え、人々から避けられる存在から、誰もが称賛する有益な善良な人へと変えたのである。(しかし、このような善良な人が、法輪大法への信仰を守り続けているために、現在も湖北省沙洋範家台刑務所で非人道的な迫害を受けている。これこそが中共の邪悪さを示している!)
罪を恐れて8年間逃亡していた者から、自ら出頭するまでの大きな変化
重大な刑事事件を犯し、罪を恐れて逃亡していた者が、自らの意志で出頭することは非常に困難である。しかし、若者の朱仁さん(仮名)はそれを成し遂げた。どのようにしてそれができたのだろうか。
朱仁さん(仮名)は1974年2月生まれの男性である。1992年、18歳の時に新疆で重大な刑事事件を起こし、罪を恐れて逃亡を続けていた。1997年に法輪大法に出会い、『轉法輪』を通読した後、修煉を始めることを決意した。徐々に、関節炎が気付かないうちに治り、思想や品性が絶えず向上し、境地が昇華していることに気付いた。朱仁さんは過去に犯した重大な事件について反省し、後悔し始めた。
2000年3月のある日、朱仁さんは北京へ合法的な陳情に行き、大法のために冤罪を訴えようとした。天安門広場で警備中の武装警察に連行され、前門派出所で殴打され、数時間後に釈放された。
2000年4月、激しい思想的葛藤の末、朱仁さんは新疆へ自首することを決意した。帰郷途中、臨海国家安全局が法輪功修煉について尋問した際、自ら8年前の刑事事件について告白し、過去の罪を心から認め、相応の処罰を受け入れる意志を示した。裁判所は自首の情状を考慮し、寛大な処分として10年の有期懲役を言い渡し、新疆で服役することとなった。服役中、朱仁さんは不平不満を持たず誠実に労働に励み、2年8カ月の減刑を得て、2007年に満期前釈放となった。それ以降、自力で個人経営を始め、正当な事業に従事し、経営においても『轉法輪』の法理に従って自らを律し、顧客から余分に支払われた金額は全て返却した。
2009年、78歳の父親が肺結核を再発し、半月にわたって喀血し、1週間血を吐き続け、病院の診断では余命3日とされた。そこで父親に毎日「法輪大法は素晴らしい」と唱えることを教え、神韻公演のDVDを見せ、3日3晩付き添い、親孝行の心を尽くして父親を大切にした。父親の喀血や吐血の症状は徐々に改善し、量が少なくなり、1週間後には血が出なくなり、半月で完全に正常な健康状態に回復した。普通に肉体労働ができるようになり、その後病院で検査したところ、レントゲン写真では肺に病変が見られず、父親の健康状態は良好な状態が続いている。
朱仁さんの実体験から分かるように、『轉法輪』という書籍が彼を変え、処罰を何とかして逃れようとしていた者から、罪と向き合うことを受け入れる青年へと変え、そして真摯に修煉する善良な人となった。これは実に貴重なことであり、法輪大法の力を示している。
瓊花さん(キョウカ)は、台湾の中学校の教師を退職している。教師として、思索を好んだが、人生について多くの疑問を抱え、自分では理解できず、また誰も心の憂いを解き明かすことができなかった。2002年のある日、テレビ番組の司会者の親切な導きにより、運命を変える書籍『轉法輪』を知った。瓊花さんは書店でこの本を購入し、急いで開いて読み進め、2日間で全てを読み終えた。かつてない大きな衝撃を受けた。それまでの人生、世界、未来に対する全ての疑問が、この『轉法輪』という書籍によって一瞬にして解き明かされたと実感し、非常に喜んだ。こうして、瓊花さんは法輪大法の修煉の道を歩み始めた。法輪大法の修煉を始めて間もなく、数十年苦しめられていた不眠症や低血圧という頑固な持病が大きく改善された。瓊花さんは「功法を終えて帰宅してベッドに横たわるとすぐに眠れるようになり、睡眠の質が大幅に向上しました。血圧も気付かないうちに正常で安定するようになり、心身ともに大きな変化がありました」と語った。それ以来、生活の質は大きく向上し、思想境地も大きく昇華し、本来の真の姿に戻る人が神となる道を歩み始めた。
病魔に苦しむ身から健康な身へ
陸媛さん(仮名)は、1997年に40歳で在職博士課程に合格した女性である。懸命な学習生活と巨大なプレッシャーで身体は疲れ果て、3階まで上がるのも困難だった。病院で検査すると、子宮筋腫、心臓病、低血糖による眩暈症、慢性副鼻腔炎、一時的な意識喪失症が見つかった。その後、退職した両親も法輪功に触れ、彼女は地元の書店で『轉法輪』を2冊購入し、1冊を両親に、もう1冊を自分用に取っておき、法輪功とは一体何なのかを理解しようとした。
陸媛さんは『轉法輪』を読み始めた。興味深いことに、この本は彼女の心を理解しているかのように、読書の過程で彼女の様々な問題が完全な答えを得られ、自然と尊敬の念が湧いてきた。これは一体どのような本なのか? その目的は何なのか? 陸媛は心の中で繰り返し自問した。一遍また一遍と読み進め、9遍目を読んだ時、これが佛を修める本だと気付いた。佛を修める? 佛とは何か? 何の意味があるのか? 陸媛さんは師父の『轉法輪』の中に答えを見出した。ああ、分かった、悟った:佛とは道徳が極めて高尚な人なのだ!心から喜びを感じた。彼女は理解し、悟った:佛の能力は大きく、豊かである。そこで佛を修めることを決意し、それ以来、法輪大法の法理の指導のもと、誠実に真摯に修煉を行い、揺るぎない法輪大法弟子となった。
大法を修煉し始めて間もなく、子宮筋腫が跡形もなく消え、心臓病、低血糖による眩暈症、慢性副鼻腔炎、一時的な意識喪失症も治癒した。師父は『轉法輪』の中で「なぜ修煉する人に対してはできるのでしょうか?それは修煉する人が最も貴重だからです。修煉しようとする、この一念が最も貴重なのです。佛教では佛性について説いていますが、佛性が現れれば、覚者たちは助けることができるのです」と説かれている。このことを思い出すたびに、修煉への信念を固め、絶えず精進するよう自らを戒めた。
博士論文の審査には一流学術誌に掲載された論文が2篇以上必要だった。当時、陸媛さんは植物から分子量300以上の複数の新規有機化合物を分離していた。化合物構造の解析作業は膨大で、陸媛さんと指導教授は3カ月にわたり複数の解析方法を研究したが完了できなかった。卒業時期が迫り、陸媛は途方に暮れ、心は焦りに燃えていた。窮地に智恵が生まれ、陸媛は自分がすでに大法を学び、宇宙の大法を修煉していること、神の存在を信じていることを思い出し、なぜ無為の方法を試してみないのかと考えた。そこで陸媛さんは解析方法を放棄し、心を静め、無為の状態で積木を組み立てるように一つ一つデータを並べていった。1時間、2時間、3時間、夜が明けるまで一晩中かけ、残りは2つのデータとなった。陸媛は、もしこの2つのデータが合えば成功だと思った。慎重にページをめくると、1つのデータが合い、最後のデータも合った。夜明けの陽光が部屋に差し込む中、陸媛さんは目を閉じて独り言を言った:神は確かに存在する、信じないわけにはいかない!
後に陸媛さんはこの論文を海外の一流誌に投稿し、すぐに「論文は良好、句読点の修正のみで直ちに掲載可能」との返信を得た。陸媛さんは予定通り卒業し、博士論文審査会で指導教授たちから多くの質問を受けた。例えば「なぜこのデータがここにあってそこにないのか?」など。陸媛さんは自信を持って実証科学の理論で説明し、指導教授たちは感心した。この時、陸媛さんは本当に悟った:人類の科学の発明は神が恩賜したもので、人類の科学の定義は人為的なものである。
陸媛さんはこれにより人類の科学があまりにも微小であり、法輪大法こそが真の科学であると感じた。誰かが陸媛さんの博士号を羨ましがると、陸媛さんは「この博士号は師父から賜ったものです。法輪功と慈悲深い偉大な師父に深く感謝しています」と語った。
試験の成績が平凡だったのが、飛躍的な成功を収めるまでに
中国本土の大学入試や大学院入試は、人生の重要な出来事や夢であり、多くの人が夢の実現を望むが、願いを叶えられる人は極めて少ない。河北省唐山市の王智さん(仮名)の受験経験は、一般的な人々の思考の習慣を打ち破り、目を見張らせるものとなった。
王智さん(仮名)は、河北省唐山市の学生である。中学卒業時、教師たちが並々ならぬ努力を注いだにもかかわらず、高校入試の成績は思わしくなく、重点高校には全て縁がなく、普通高校に入学した。大学受験の年、王智さんは遠方の市にある専科学校(短期大学に相当)に合格した。
王智さんは専科に入学できたものの、専科から本科(4年制大学)への編入を常に考えていた。しかしそれは容易なことではない。数学と英語は彼にとって非常に難しく、特に数学は極めて苦手で、大学入試では150点満点中わずか30点ほどしか取れなかった。英語も不得意で、専科在学中の英語4級試験に何度も合格できなかった。それでも彼は挑戦してみることを決意した。
試験準備の過程で、問題が難しすぎて理解できないことに頭を抱え、合格できるか不安で落ち着かないこともあった。試験日が近づくにつれ、特に数学において何も分からないと感じた。クラスメートたちは皆、十分な準備ができているように見え、模擬試験でも彼よりずっと良い成績を収めていた。大きなプレッシャーを感じ、気分も最悪で、精神的にほぼ崩壊寸前だった。
王智さんの母親は1998年から法輪大法を修煉しており、普段から法輪功の真相を彼に話し、大法の本を読み聞かせていた。彼は心の中で法輪大法の法理に深く共感し、法輪大法の師父を尊敬していた。正式に修煉を始めてはいなかったが、小学生の時には大法を誹謗する試験問題に対して正しい答えを書き、中学では試験用紙に「真・善・忍は素晴らしい!」と書く勇気があった。
落ち込む王智さんを見て、母親は「法輪大法を修煉してみたら? 李洪志師父の法輪大法だけが、あなたの智慧を開き、困難を乗り越え、奇跡を起こすことができるのよ!」と諭した。彼はこの提案を受け入れ、法輪大法の修煉を始めた。
休暇中に自宅で勉強する時、落ち着かない気持ちになると、本を置いてノートパソコンを開き、李洪志師父の広州での説法映像を視聴した。師父の説法を聴き、慈悲深い表情を見ているうちに、王智さんの心は次第に落ち着いていった。法を学び終えると、静かな心で本を読んで勉強することができ、頭も冴えてきたように感じた。
学校に戻ってからも、毎日欠かさず師父の説法の録音を聴いた。次第に他人の準備状況を気にすることも、合格できるかどうかを考えることもなくなり、ただ毎日法を聴き、勉強し、また法を聴き、また勉強するという日々を送り、それらの執着心を手放していった。最終的に数学は100点満点中83点、英語は100点満点中75点を獲得した。大学入試時の数学30数点と比べると、王智さんの数学の成績向上は驚異的であり、英語も大幅に向上した。そして最終的に合格ラインを61点上回り、河北省のある大学本科に首席で合格した。
専科から本科への編入の成功により、王智は大法の力と超常性を深く実感した。法輪大法こそが真の科学であり、大法をしっかりと学ぶべきで、科学は生計を立てるための技能に過ぎず、修煉こそが人生の根本的な目的であると深く感じた。1年後、彼は大学院受験を決意した。しかし、例年と比べてこの年の大学院入試は最も困難であり、受験者数は200万人以上、合格者は約50万人で、さらにこの年は社会人枠が募集人数を圧迫するという、これまでにない状況だった。
『轉法輪』の学習を深めていくにつれ、王智さんはすでに名利などにこだわらなくなり、寛容で、善良で、理性的で、賢明になっていった。以前インターネットで大学院受験の講義動画を購入したが、視聴する時間が十分にないと気付いた時、偶然知り合った受験生に無償で譲渡した。クラスメートたちは理解できず、彼があまりにも愚かだと考えた。試験が近づいた頃、その受験生は自身が整理した非常に貴重な解答のテクニックと方法を王智さんに送ってくれた。これはその受験生の2度目の大学院受験で、彼は経験を積んでいたのだった。王智さんの善良さは報われた!
王智さんは全てに対して自然体で臨む態度を持ち続け、そのため、どんなに忙しくても毎日法を学び続け、大法も絶えず彼の智慧を開いていった。
苦しく長い大学院受験の日々がついに終わった。しかし王智サンは自分の出来が非常に良くないと感じ、全く希望がないと思っていた。そのため就職説明会に参加し、将来の就職に向けて準備をし、次々と企業の面接を受けた。企業の中には王智さんの人柄と専門性に非常に満足し、卒業後の契約を約束するところもあった。その年の2月中旬に大学院入試の成績が発表された時、300点満点中185点を取得したことを誰も信じられなかった。それほど高得点ではなかったが、彼にとっては非常に超常的な結果で、国家合格ラインの160点を上回っていた。喜びと驚きの中で、彼はこう言った。「この成績は師父が下さったものです。私自身の能力ではとてもこれだけの点数は取れなかったでしょう!」王智さんは師父の写真に頭を下げ感謝した!
1カ月余り緊張した忙しい準備期間を経て、遠出したことのない王智さんは一人で遠く南方の大学へ二次試験を受けに行った。王智さんは心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えた。英語の面接も専門試験も、とても気楽に感じられた。帰りの列車の中で合格通知を受け取った時、母親に「私の代わりに跪いて師父に感謝してください。帰ったら私も必ずします!」とメッセージを送った。
王智さんの専科から本科への編入と大学院受験は、人生の大きな出来事で、一般の人にとっては考えることもできない贅沢な望みであり、特に大学院受験は、絶対的に頭脳明晰な学習の優等生だけが成功できるものである。しかし彼はそれを実現した。これは師父の慈悲と大法の力によるものである!王智さんと母親は師父と大法に深く感謝し、大法の中でより一層精進して修煉している。
借金の取り立てを恐れられる存在から、進んで返済に向かう者へ
修義さん(仮名)は、河北省出身の男性である。極めて短気な性格で、誰に対しても意見が合わないと口汚く罵り、村や鎮では悪名高いロバのような気性の持ち主で、ほとんど誰も近寄ろうとしなかった。喫煙、飲酒、麻雀賭博に耽り、喫煙は食事のように2日で1カートンを吸い、一年中麻雀卓に張り付き、家に帰らず、子供が病気になっても妻一人に任せきりで、妻は怒りながらも諦めていた。社会の道徳が退廃するにつれ、修義さんは不倫をした。
1994年、修義さんは商売で数十万元の損失を出した。これは妻の親戚に金を貸したことが原因で損失を被ったため、修義さんは妻を深く恨み、毎日のように妻と喧嘩し、顔を合わせるたびに喧嘩となり、家の中は毎日叫び声や物を投げつける音が絶えなかった。商売の失敗、夫婦不和、不倫相手との離別、家庭の崩壊の危機、修義さんは心の苦しみを訴える場所もなく、よく一人で涙を流し、憂鬱のあまり自分の服を全て燃やし、人生に希望を失っていた。
1995年、修義さんは村の駐車場とレストランを請け負った。当時は資金がなく、村に借用証を書き、合計12万7千元を借りた。
1996年初め頃、人の紹介で『轉法輪』という本を読み始め、法輪功を修煉し始めた。『轉法輪』を何度も読み通すうちに、修義さんは過去に理解できなかった多くの道理を理解し、過去の自分の行為を悔やみ、密かに自分を修めることを決意した。修煉を始めて間もなく、自然と煙草を止め、麻雀もやめ、酒も飲まなくなり、女性関係もなくなり、心も明るくなり、妻とも喧嘩をしなくなり、妻を大切にできるようになった。夫の大きな変化を見て、妻も修煉を始めた。
法輪大法を修煉した後、得失の関係を理解し、これほど多くの借金があることを考え、早めに返済すべきだと考えた。まずは以前の商売の失敗で作った借金を返済し、その後で村の借金を返そうと計画した。
結語
『西遊記』にこう記されている。人身を得ることは難しく、中土に生まれることは難しく、正法に巡り会うことは難しい。この三つを全て得ることは、この上ない幸いである。つまり、中国に生まれ、中国人であり、法輪大法に巡り会うことは、最大の幸運なのである。
今日、神から賜った『轉法輪』が中国から伝わり始めて30年となり、数え切れない人々が恩恵を受けてきた。しかし、大魔頭と中共が互いを利用して法輪功を迫害してすでに26年が経ち、数え切れない法輪大法弟子とその家族が迫害と差別を受けてきた。
この過程で、大魔頭の江沢民はすでに死亡し、無間地獄に落ちたにもかかわらず、今なお多くの人々が盲目的に法輪功への迫害に加担し、今なお多くの人々が中共メディアによる法輪功を中傷する虚言を盲目的に信じ、今なお多くの人々が自分を救おうとする法輪功学習者を憎悪し、差別し、そのため『轉法輪』を読もうとせず、『轉法輪』を見ようとせず、師父が書いた『轉法輪』を信じようとせず、多くの貴重な機会を失っている。実は、中国さらには世界中の人々の悟りある面の生命は、皆『轉法輪』を読むことを待ち望み、『轉法輪』を見ることを期待し、『轉法輪』に同化することを望んでいるのだが、人の一面は迷いの中にあって気付いていないのである。
今後、より多くの世の人々が、真心と本来の念を持って、偏見を持たず、完全かつ系統的に『轉法輪』を一読する機会を得られることを願う。必ず想像もしなかった大きな収穫があり、生命が迷いから覚め、無明から解放され、諦めから救われるだろう! 大切にしよう、時を惜しんで、機会を掴み、真相を理解し、未来を手に入れよう。