文/山東の大法弟子
【明慧日本2024年12月26日】私は修煉を始めて20年以上になる農村の大法弟子です。自らの修煉の道のりを振り返ると、試練を乗り越えた後の幸せと喜びがあり、試練の中で迷い抜け出せないときの苦悩と煩わしさがあり、また、危機の中で師父に守られたときの幸運と感謝の気持ちがありました。ここでは、最近の修煉を通じて得たささやかな体験を書き記し、同修の皆さんと交流したいと思います。
2022年の春、私の地域の政府は大規模な工事を行い、大通りや裏道のあちこちで溝を掘り下げて排水管を設置しました。我が家の裏には幅約3メートルほどの小道があります。施工業者は私に何の連絡もなく勝手に、我が家の裏で地盤からわずか約30センチしか離れていない場所に、東から西にかけて幅30センチ、深さ70センチの地下溝を掘りました。その深さは地盤石の下にまで及び、私の家屋の安全に危険なリスクをもたらしています。
そこで私は村の幹部にこの件を相談し、即座に溝を埋め戻し、家の裏壁から1メートル離れた場所に溝を掘って排水管を設置するよう要求しました。村の幹部は私の要求に応じると約束しました。
しかし、数日後、村の幹部が再び私のもとを訪れ、こう言いました。「既に溝を掘ってしまったので、たとえ埋め戻しても土が緩んでしまっている。だったら、いっそ管を設置して、その後で水泥(セメント)と石でしっかり埋め込み、表面を平らに整えて、コンクリートの路面と同じ高さに仕上げた方がいい。水が下に漏れることもなく、あなたの家にも影響はないでしょう。それに、溝を別の場所に移すとなると、この20センチ厚さのコンクリート路面を切断するのはとても困難です」。最終的に、私の正念が私心に打ち勝ち、村幹部の提案に快く同意しました。数日後、排水管の設置工事は無事に完了しました。
しかし、数カ月後、排水管の溝を埋め戻す際に、使用されたのはコンクリートではなく泥土でした。埋め戻した後、地表もセメントで仕上げられることはありませんでした。私は「ここはコンクリートで埋めて、その上をセメントで仕上げるって話だったでしょう? どうして約束が守られていないんですか?」と施工業者に問いました。すると施工業者は「知らないんですか? 業者が変わったんですよ。前の責任者がした約束なんて、私たちは関与していません」と答えました。なんてこった! どうしてこんな厄介なことばかり私に降りかかるんでしょう。師父は『轉法輪』の中でこうおっしゃっています。
「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」。
師父のお言葉は、まさに私のことを指しているのではないでしょうか。もし私が旅先で宿に泊まっているだけだとしたら、こんなに完璧で周到なことを考えるでしょうか? 私は師父のお言葉を守り、師父と一緒に本当の家に帰ります。このことに気づくと、心がすっと軽くなりました。もういい、自分でお金を出して処理しようと決めました。
その後、あまり日を置かずに、村の女性主任が自ら私のところにやって来て、村の書記と相談した結果、村のオフィスにあるセメントを使って、私の家の裏の地表を処理するようにとの提案をしてくれました。「費用はかからないし、前回の対応は私たちのミスだった」と言われました。しかし、私は修煉者です。それは不義の財です。それに、私はこの女性主任に真相を伝え、三退を勧めたことがあります。もし私がそのセメントを受け取ったら、それは大法の名誉を傷つけることになりませんか? 私は丁重に彼女の申し出をお断りしました。
2023年の秋のある日、強風が吹き荒れる中、私たちの村の排水処理工事もほぼ終わりに近づいていました。そのとき、村の女性主任が再び私を訪ね、家の裏に来てこう言いました。「この修理の責任者と話をつけて、瓦工とコンクリートを使ってここをしっかりと処理することになったわ。費用はすべて政府が負担するから、あなたはお金を出す必要はないのよ」と。話がまだ終わらないうちに、屋根から一枚の大きな瓦が激しい風に巻き上げられ、音を立てて私たち2人の間に落ち、コンクリート道に激しく叩きつけられて粉々になりました。もしその瓦が私たちどちらかの頭に当たっていたら、命はなかったでしょう。しばらくして正気を取り戻した私は「これは私たちを師父が守ってくださったのですよ」彼女に言いました。
そのとき、私は「なぜこんなことが起きたのだろう?」と考えました。自分の中に利益を求める心があるのではないか、と。修煉者として、表面上だけ整えても、それは師父がおっしゃる「偽りの修煉」に過ぎません。そこで私はすぐにこう言いました。「大丈夫です。たとえ政府の資金であっても、この仕事は元々その業者の契約範囲外のものです。後日、自分で処理しますので、ありがとうございます!」
しかし、それで終わりではありませんでした。数日後、私が外出中で携帯電話を持っておらず、女性主任が連絡を取れなかったため、彼女は独断で修理工たちに私の家の裏の処理をさせてしまいました。私が家に帰ってきたときには既に作業が終わっており、私は仕方なく工賃と材料費をまとめてその業者に支払おうとしました。しかし、業者はどうしても受け取ろうとしませんでした。以前、彼に真相を伝えたことがあり、大法弟子はみな善良な人だと知っていたからです。
私は「この作業であなたに損をさせるわけにはいきません」と言いました。最終的に、彼はお金を受け取ってくれました。
師父の教えに心から感謝します。弟子に無私の心を持たせ、この濁世の中で清らかな蓮として歩ませてくださることに。