文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年12月28日】かつて、私は性格が温和で、臆病で心配性な女の子でしたが、野蛮な家庭に嫁いでしまいました。義父、義母、夫はみな非常に気性が荒く、家の中では人々の間に思いやりがなく、争いごとの絶え間ない「戦火」の中で生きていました。私は義父母からの侮辱、夫からの暴力を受け、しばしば涙を流していました。次第に、私は精神的に抑うつ症状が現れ、友達に会うと、自分の不満を延々と話していました。数時間も一人で愚痴を言っていました。
長期間、極度の抑圧の中で生活していたため、私はいくつかの病気を患いました。めまい症、腎炎、関節炎、乳腺炎、産後の病気、特にめまい症が非常に重く、常に薬を持ち歩いていました。発作が起きたら、すぐに服用しなければなりませんでした。また、生理中に重い作業をしたため、大量出血し、生理が止まらず、気力と血液が不足し、脳血管への血流が不十分になりました。長年、薬を飲み、注射を受け、点滴を打ち、鍼灸やカッピングを試みましたが、どれも効果がありませんでした。
喜びをもって大法を得て、苦しみが去り、素晴らしいものが来る
1998年8月、友人の紹介で、私は幸運にも法輪大法の修煉を始めることができました。最初は友人の家で法輪功の師父の大連での説法のビデオを見ました。それは非常に神奇で、ビデオの中で話している師父の身体から光が放たれ、手にも光が輝いているのが見えました。師父の言葉を聞いて、私は法輪功が仏法修煉であり、仏や道を修める功法であることを理解しました。人が神に修得できるということは、なんと素晴らしいことだろうと私は思いました!
師父の9回の説法ビデオを見終わった後、私は先輩の修煉者と一緒に煉功を学びました。初めて第2式の功法を煉っているとき、突然、私は横にある石の山に倒れ込み、頭と顔を激しく石に打ちつけました。その瞬間、私は意識を失い、周りにいた先輩の修煉者たちは驚かなかったものの、これは師父が私の身体を浄化し、病気を外に排出しているのだと理解していました。しばらくして私は目を覚ましましたが、不思議なことに、頭と顔にはまったく傷一つありませんでした。それから、私は長年悩まされていた眩暈症が完全に治り、他のいくつかの病気もいつの間にか治っていました。冬が来ると、子供の頃から患っていた手足の凍傷も完全に治りました。
法輪大法は私に健康を与えてくれ、心がすっきりと開かれました! 師父は法の中で弟子たちに、宇宙の真・善・忍の基準に従って良い人になり、超常の良い人になるように教えてくださいます。その教えをしっかりと心に刻み、実際に行動に移すようにしています。以前、私は義父母に対して不快感を抱いていました。私は彼らに深く傷つけられたので、心の中で憎んでいました。彼らを見るたびに、私は避けるようにし、顔を合わせるだけで、まるで腐った物を食べたような嫌悪感を感じていました。また、夫に対しても、骨の髄まで憎んでいました。夫はギャンブルに夢中で、毎日毎晩麻雀をしており、家のことは全く気にかけませんでした。家事はすべて私に押し付け、私は疲れることを厭わなかったものの、夫が麻雀に負けた時、不機嫌になり私を殴ることもしばしばありました。あるとき、彼が私をひどく殴り、耳の鼓膜が充血し、もう少しで鼓膜に穴があくところでした。軽い脳震盪を起こしました。その時、私は子供がもう少し大きくなったら、必ず離婚しようと心に決めていました。
大法は私に迷いを解く道を示し、私は煩悩に満ちた世間から目覚め、人生の方向を見つけました。法理に従い、私は前世に悪いことをしたかもしれないと思いました。例えば義父母を罵ったり、夫を殴ったりして、今の自分が受けたすべての苦しみは自分が借りた借金、積んだ業によるものであることを理解しました。これらはすべて私自身の業力から生じた結果です。師父は弟子に善を行うようにと教えてくださり、それが修煉の道であると説かれました。私は弟子として、師父の言葉に従い、真・善・忍に基づいて行動しなければなりません。
私は自ら進んで義母に近づき、義父や夫にも優しく接しました。夫は兄弟2人で、長男は遠くに住んでいます。義理の両親の老後の世話は私たちが見ていました。正確に言うと、ほとんど私が見ていました。夫はよく外で働いていて、冬に帰ってきても遊び好きで、毎日のように麻雀館に入り浸っていました。老いた両親たちの世話をする時間はありませんでした。2人には病気を患っていて、私は病院に付き添い、医者を頼んでいました。農作業も私がしていて、自分の家の仕事が終わらないまま義理の両親の家に行って農作業をすることがよくありました。年老いた2人が労働能力を失うことを心配していたのです。まずは義理の両親の仕事を終わらせ、次に自分の家の仕事をしました。両親はとても満足していました。義父は82歳、義母は86歳で亡くなりましたが、彼らは生前、法輪功が良いことを知っていました。なぜなら、私は彼らに対して孝行を示すことで、法輪大法が本当に素晴らしいことを目の当たりにしたからです。義父は『轉法輪』を2回読んでいましたし、義母はどこに行っても私が彼女の実の娘よりも良いと言い、法輪大法と真相を広める手伝いもしていました。
私と夫の関係も大きく改善されました。夫が私を殴ったり、罵ったりした時、私はまず「殴られても罵られてもやり返さない」(『シドニー法会での説法』)で、師父が弟子に求める最も基本的な要求を実行しました。私はただ善意で彼に説得し、大法の法理を使って私たちの家庭を調和させ、夫婦関係を円満に保とうとしました。修煉を始めた初期には、夫と離婚しようと考えていましたが、今はその考えは完全に消えました。法輪大法の慈悲に感応し、夫の性格はずいぶんと改善され、彼は心から法輪大法を尊敬するようになりました。もし誰かが彼の前で法輪功を悪く言えば、彼は立ち上がって大法は正当だと言います。
私は法輪大法の修煉を堅持しただけで、共産党による迫害を受け、3年以上も不当に拘禁されました。夫は私を訪ねてきたことが2回だけありましたが、警官に会うことを拒否され、「頑固で転向しない」と言われました。夫や子どもたちは何度も私に会おうとしましたが、結局会えず、夫は私が帰ってこないと思い、生活に希望を失ってしまい、家ではすっかり気力を失っていました。私は拘禁期間を終え帰宅した時、家は荒れ果てていました。屋根は壊れ、炊事道具や食器は何もなく、庭には雑草が生い茂っていました。こんな状況を見て、夫は、私が彼と共に生活することはもう無理だと思っていました。私は「私は宇宙の大法を修煉しているから、どんなに苦しくても離れません。数年間、私は刑務所で苦しみましたが、あなたも家で子どもたちと一緒にとても大変だったでしょう。あなたは父親と母親を一人でやっていて、本当に大変だったんでしょう」と彼に言いました。私の言葉を聞いた夫は涙を流し、声を震わせて「私はあなたに申し訳ない」と言いました。私は「悲しまないで、私たちはまだ若いから、もう一度ゼロから始めましょう」と夫に言いました。
私の励ましを受けて、夫は元気を取り戻しました。彼と子どもたちは外に働きに出て、私は家で農作業をしていました。数年後、家計は年々良くなり、特に息子は技術を習得し、年収もかなりの額になりました。息子も結婚し、私たちは孫を抱くことができました。現在、孫は小学校を卒業するところで、彼は法輪大法を修煉して何年も経ち、師父は彼の知恵と才智を開いてくださり、学業成績は優秀で、いつもクラスのトップ3に入っています。孫は、真相を知らない人々によって捨てられた法輪大法の真相資料やお守りなどを見つけると、それを拾ってきます。破損していないものは私が再び配ります。孫はよくクラスメートに真相を話し、仲間たちに法輪大法は人々を救う仏法だと教えています。
気づけば、私は法輪大法を修煉して26年が経ちました。この26年間、私は非常に幸せで、体調はずっと健康で、薬を一度も飲んだことがありません。気持ちは明るく、楽しく、私は全宇宙の神々が羨むような高徳の法、救いの法を得たからです。師父は私に知恵を授けてくださり、私は車の運転を覚え、三輪車を運転して孫の送り迎えをしたり、家の買い物をしたりしています。今、私は還暦を迎えましたが、私を知っている人はみんな、私が60歳には見えないと言います。中には40代に見えると言う人もいます。法輪大法は性命双修の功法であるため、私がこんなにも若々しいのです。
兄に起きた二つの奇跡
2005年、私の兄は鉱山で炭鉱作業をしているときに、両足のふくらはぎの骨を骨折しました。治療に1年以上かかり、歩くためには未だに2本の松葉杖を使わなければならず、他の人に支えられる必要がありました。2006年、私が刑務所から解放された時は、兄が怪我をしていたことを知りませんでした。2007年のある日、二番目の姉から電話があり、兄が姉の家に来ていることを教えてくれました。兄の怪我の状況について教えてくれました。私はその後、大法の書籍と功法の音楽を持って姉の家にいる兄を訪ねました。姉の家に到着すると、兄の足の状態は非常に痛々しく感じられました。両足はとても腫れており、青紫色になっていて、手術後の傷口はまだ治癒しておらず、膿血が流れ続けていました。兄は大きな薬袋を持ち歩いており、心臓病も患っていたため、袋の中には救心丹も入っていました。
災難に直面した兄に対して、私は彼に大法を修めるよう勧めました。私は迫害を受け、3年以上の労働教養を経験していたため、兄は大法を信じていませんでした。私は心から言いました。「お兄さん、共産党が反対するものが必ずしも悪いわけではなく、共産党が支持するものが必ずしも正しいとは限らない。現在の共産党の幹部たちは腐敗し、社会では賭博や麻薬、売春が横行している。しかし、法輪功の修煉者の中にはそのような問題は一切ありません。法輪功の修煉者は『真・善・忍』の原則に従って行動し、常に他人のことを考え、社会や国に対して害を与えることはない。法輪功が悪いと言えるでしょうか? もし皆が『真・善・忍』に従って行動すれば、この社会に悪人はいなくなるでしょう」。兄はようやく私の言っていることを理解し、「あなたの言う通りだ、良い人でいることに間違いはない。私たちの家族は皆、真面目に生きてきたし、代々善良な人たちだ。法輪功の本を見せてくれ」と感慨深く言いました。私は『轉法輪』を兄に渡し、彼は「この本は素晴らしい。私も法輪功を学ぼう」と読みながら言いました。私はとても嬉しくなり、「一緒に学ぼう、一週間で一つの松葉杖を捨てられるよ」と彼に言いました。兄は「君が言うことはちょっとおかしくないか?」と言って信じませんでしたが、私は自分が法輪大法でどれほど奇跡的な恩恵を受けたかを話し、彼はそれを受け入れました。
確かに、兄は修煉を始めて7日目には両足の腫れがすっかり引き、兄は本当に1本の松葉杖を捨てました。さらに1週間後、もう1本の松葉杖も捨てました。3週目には、兄を私の家に連れて帰ることを決め、一緒に自転車に乗って帰ることを提案し、兄は同意しました。私たち兄妹はそれぞれ自転車に乗り、道を進んで行きました。兄は疲れると少し休み、元気を取り戻してから再び自転車をこぎました。30キロ以上の道のりを、私たちは3時間かけて無事に到着しました。私は兄と一緒に大法の経典を学び、法輪功の5つの功法の煉功を一緒にしました。わずか1カ月の間に、兄の両足は奇跡的に健康を取り戻しました。これは現代医学では到底達成できない成果です。兄は鉱山総院の医師から終身障害者と診断されていましたが、法輪大法を修煉した後、普通の生活ができるようになりました。
さらに喜ばしいことに、兄は再び鉱山で働き始めました。同僚たちはその奇跡的な回復に驚きました。そうです、これは兄が法輪大法を修煉したことで現れた奇跡です。もう一つの奇跡は、兄の重い心臓病もいつの間にか消えてしまったことです。
現在、兄は75歳になりましたが、依然として仕事を続けており、子どもたちの生活負担を軽減しています。兄は顔色が良く、精神的にも元気で、体力も丈夫で、同年代の人たちよりも10歳若く見えます。また、私のいとこや義理の兄も私が誘って法輪大法の修煉し始めました。義理の兄はかつて酒を飲んで倒れるまでやめることがなく、タバコの習慣もひどく、煙草を吸うことは食事と同じくらい習慣化していました。また、非常に怒りっぽく、妻には暴力をふるい、両親も彼を恐れていました。修煉を始めてからは、宇宙の法則である「真、善、忍」をしっかりと守り、自己の心性を修養し、煙草もお酒もやめ、性格も改善されました。
ある日、私はいとこの家を訪ねました。いとこの夫の父親が満面の笑顔で「法輪功が私の息子を変えてくれた。法輪功は本当に素晴らしい。あなたが彼に法輪功を学ばせてくれたことに感謝します」と私に言いました。私は「ありがとうございます。でも、私に感謝しないでください。感謝すべきは法輪功の師父です。師父が私のいとこの夫を救ってくださったのです」と答えました。いとこの夫の父親は「私は96歳で、今『轉法輪』を読んでいます。体調もとても良いです」と言いました。
この話を通して、私と親戚が修煉を始めてから起こった劇的な変化を振り返ります。私たちの心と体に起こった劇的な改善は、法輪大法と師父の偉大さを証明しています。法輪大法がもたらす真、善、忍という普遍的な価値を示し、共産党の無神論と虚偽のプロパガンダを打破することができました。そして、私たちはこの真実を広めることができ、多くの人々が法輪大法の慈悲深い救いを受け入れました。