【明慧日本2025年1月15日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省大連市の法輪功学習者・叢偉さん(52)は2024年10月12日、大連市甘井子区裁判所で不当な裁判を受けた。1カ月後の11月12日、懲役4年6カ月の実刑判決を言い渡され、3万元の罰金を科された。叢さんは不当な判決を不服として、大連市地方裁判所に控訴した。
叢さんは以前、南沙海王星辰医薬会社で働いていた。法輪功を学んで以来、真・善・忍の教えに従って良い人間を目指し、家庭や友人、職場でも正しく対処して尽力し、私利私欲を求めることなく努力してきた。
一、連行され、罪を着せられる
2024年5月9日午後、職場で働いている最中に叢さんは、大連高新園区河口沿海派出所の警官に連行された。その直後、家宅捜索を受け、法輪功に関連する所有物は警官に押収された。
2024年5月10日、警官は叢さんを留置所に拘束しようとしたが、血圧が高いため、入所の基準を満たさなかった。そこで、警官は叢さんをホテルの一室に監禁したが、隙を見て、叢さんは抜け出した。
2024年5月15日、大連市沙河口区の侯二住宅地で、叢さんは再び、河口沿海派出所の警官らに連行され、今日まで大連市留置場に拘禁されている。
期間中、叢さんは公安局、検察庁、裁判所に共謀され、不当な裁判にかけられた。
二、不当な裁判にかけられる
2024年10月12日、大連市甘井子区裁判所は叢さんに対して裁判を行った。裁判中、弁護士、親族および叢さんは無罪を主張した。
法廷では裁判官と検察官は、何度も弁護人や親族の発言を中断した。さらに、弁護人が「法輪功を学ぶことは、中国において違法ではありません。国家新聞出版署の50号令は法輪功の書籍を解禁し、法輪功の書籍や資料は合法です。国が認定した十四種類の邪教の中に法輪功は含まれていません」と述べた時、裁判官は「もう言う必要はない、国家がすでに定義している」と発言を遮り、そして書記官に「この部分は記録に残さないように」と指示した。
三、法輪功を学び 叢さんは心身ともに恩恵を受けた
1、家庭での変化
叢さんは法輪功を学ぶ前、毎日お酒を飲み、誰の助言も聞き入れなかった。物質主義が広がる社会の中で、叢さんも多くの人々と同じように、名声や富を追い求め、官職に就いて成功することを夢見ていたが、それはかなわず、満足のいかない日々を送っていた。職場でも対立が多く、よく不満を言っていた。
しかし、法輪功を学び始めてから、叢さんは「真・善・忍」の価値観に従って人や物事に対処し、人生で出会うすべてのことを新たな視点で捉えるようになった。その結果、心が広くなり、名声や富にも執着しなくなり、ますます善良で穏やかな人間になり、誰に対しても優しく接するようになった。
家庭では、叢さんはかつて亭主関白で、「男が料理を作るなんてことがあるか? 家事はすべて女の役割だ」と考えていた。妻は仕事をしながら家事も一手に引き受けており、疲れ果てていたため、夫婦間でよく争いが起きていた。
法輪功を学んでから、叢さんは「真・善・忍」の基準で自分を厳しく律し、他人のために考えるようになった。タバコと酒を完全にやめ、妻の苦労を理解するようになり、仕事が終わった後には家の片付けをし、料理を作って妻に食べさせるようになった。妻は笑顔になり、かつての争いの絶えない家庭は温かく、睦まじくなった。
2、母親と義父母への尽力と孝行
法輪功を修煉してから、叢さんは双方の両親に非常に孝行をするようになった。
ある年、叢さんの義父が胃癌にかかり、24時間体制で世話をする必要がある。昼間は妻が世話をし、夜は叢さんが仕事を終えてから義父の世話をした。昼間も仕事をこなしながらの世話は非常に辛いものであったが、叢さんは疲れるなどとは一切言わなかった。後で義父は寝たきりになり、全ての世話を叢さんが一手に引き受け、排泄物の処理をすることにも一切文句を言わなかった。
また、義母が入院した際、叢さんは病院に行って、あらゆる面で世話をし、細かいところまで気を配った。病室の人たちは「この人は娘婿ですか? まるで息子のようです!」と驚き、感動した。
叢さんの母親が病気で重篤になったとき、1カ月以上仕事を休み、母親が亡くなるまで、ずっと一人で世話をしていた。母親が亡くなる前、兄や姉が財産を巡って争っていたが、叢さんは全く争わず、母親の葬儀費用や入院費用は全て負担した。義父母の財産についても、叢さんは一切争わなかった。
3、常に職場を考える修煉者
叢さんは家族に対して良いだけでなく、職場でも素晴らしい仕事をしていた。職場を自分の家のように考え、常に他の人を思いやり、職場のために尽力した。
叢さんは、職場で情報部門のマネージャーを務めていた。以前、職場で使っていたネットワークシステムはあるテクノロジー会社のもので、年間で10数万元もかかっていた。叢さんは3万元でプログラムを開発し、これにより何年間も職場のコストを数十万元も節約した。その後、他の会社が叢さんに「開発したプログラムを使いたい、毎月豊富な手数料を支払います」と提案したが、彼は「個人的な利益のために、職場に損失を与えるわけにはいかない」と断った。
あるとき、職場の冷凍庫が壊れたので、上司は「廃棄する」と言った。叢さんはもったいないと思い、自分で問題を調べ、どこが壊れているのかを分析した。自分でお金を出して部品を購入し、わずか100元足らずで修理を完了させた。
四、法輪功を貫き、拷問を受ける
2000年11月、叢さんは法輪功をやめないとして警官に拘束され、大連労働教養所で2年間の迫害を受けた。そこで、吊し上げる、トラの椅子、スタンガンによる電気ショックなどの拷問を受けた。
2001年、大連労働教養所で「3・19事件」、「4・11事件」と呼ばれる事件が発生し、叢さんもその中で残酷な迫害を受けた。
2001年6月4日、大連労働教養所の警官らは6本のスタンガンで、叢さんと劉永来さんの頭、背中、大腿部、陰部、両脇、首などの部位に電気ショックを与えた。電撃を受けるたびに、2人は激しく体をねじり、電流が流れるたびに体が痙攣し、手錠はどんどん締まり、ますます肉に食い込み、骨に当たると心臓が痛むような激痛が走り、血を大量に流した。
2006年9月12日午前4時ごろ、大連市甘井子国内安全保衞部門(法輪功迫害の実行機関)、椒金山派出所、甘井子支局、海軍広場派出所の大勢の警官は、叢さんの自宅に侵入し、叢さんを連行した。原因は、叢さんが大連労働教養所で非人道的な拷問を受けたことを公に暴露したからだという。
最初、叢さんは椒金山派出所の1階の鉄の檻に閉じ込められ、2006年9月13日午後に大連市留置場に移送された。その後、甘井子区裁判所は叢さんに懲役1年6カ月の実刑判決を下した。
2010年4月20日、叢さんは友人の家を訪問した際、大連市甘井子区海茂街派出所の警官により再び連行された。
現在、叢さんは不当に懲役4年6カ月の実刑を言い渡され、大連市高等裁判所に控訴している。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)