【明慧日本2025年1月25日】以下は、善と悪の鮮明な対比について、中国本土の法輪功学習者が書いた文章です。
私は、中国共産党(中共)の教育体制の下で党文化の毒害を深く受けた若い世代の一人です。中共の本質を深く理解したのは、迫害を受けるようになってからでした。何百万もの真・善・忍を日常生活の言動に照らし、自分の考えを正していく法輪功学習者(以下、学習者)と同様に、私も実践し、真実を話したことで、中共に連行され、冤罪を着せられ、不当に拘束され、裁判を受ける権利と権利を主張する手段を全て奪われました。
上訴しても、不当な判決は覆りませんでした。中共の公安・検察・裁判・司法のシステムは、人々を迫害するための道具に過ぎず、互いに違法行為を隠蔽し、悪事を働いています。学習者は冤罪を訴える手段すらありません。冤罪に落とされた数えきれない日々の中で、私は中共の犯罪行為を本当に見抜きました。中共が言う「法治」は、人々の道徳心や公平・正義とは無関係で、支配階級の意志であり、善良な人々を迫害する道具なのです。
中共の刑務所で、学習者は非人道的な拷問、体罰を受け、ショック状態に追い込まれ、生死の境をさまよいました。法の執行者たちが明らかに法律を無視し、「転向するか、死ぬか」という法輪功への確固たる信念を保持することの大切さを身をもって経験しました。本来、悪を罰するべき刑務所が、真・善・忍を生命の基準とする人々に対して、非人道的な手段で「思想改造」を強要し、法輪功で救われた人々に良心を捨てて、大きな嘘をつくように強要していました。
高齢者が堅い信念を放棄しないという理由で泣き叫ぶまで追い込まれても、中共の迫害機関である刑務所の看守たちは、同情心のかけらも示しませんでした。密かに迫害の手段を次々とエスカレートさせながら、表向きは「文明的な法執行」を装っていました。その時、私は前例のない覚醒を経験しました。
人として、心に少しでも道徳の最低基準が残っているなら、中共のこのような反人類的な悪行に同意することはできません。仁・義・礼・智・信という伝統的価値観を少しでも持っているなら、中共の分断と欺瞞に盲従することなどできません。このように鮮明な善と悪の対比に基づき、私は法輪大法への信念がより一層強まり、真・善・忍という道徳への回帰の力こそが、生命の帰る道であり、この社会の希望であると確信するようになりました。
中共は人間性が利益に最も動かされやすいことをよく知っているため、中共の歴史の中で「利益による扇動」を通じて民衆同士を争わせ、常に成功を収めてきました。刑務所という暗黒の場所で、師父を誹謗中傷し、師父がどれだけの財産や豪邸を持っているかという嘘を作り上げ、投獄された学習者の心に「不平等感」を煽ろうとしました。
しかし、真の修煉者は、金銭的利益や生死の前でも平然としており、人生の意味を悟り、真理のために個人の得失を放下できる存在です。さらに、師父や法を誹謗する虚言や邪説を信じることなど決してありません。師父は私たち弟子に数え切れないほどの恩恵を与えてくださいましたが、弟子たちが全てを尽くしても、師恩の一部も報いることはできません。師父は弟子たちに何も求めることなく、全世界を持っておられます。
最近、師父へのインタビュー『私たちの師父』を読み、何度も涙が出そうになりました。李洪志師父の弟子たちへの慈悲と愛護の心は、深く、感動的です。その責任感、率先垂範(先導して模範を示す)、細やかな心配りは、全ての弟子たちの心に響いています。資源と資金が不足している状況の中で、神韻が今日まで一歩一歩歩んできた過程は非常に困難でした。飛天大学は全ての入学生に対して、学費、食費、寮費、生活用品などを全て無料で提供していますが、これはなんという恩徳と度量でしょうか。
私は以前、中国本土の芸術学校で学んだ経験があり、ここまで読んで深い感慨を覚えました。在学中、高額な学費と生活費は私の家族に大きな負担をかけましたが、表面的な知識しか学べませんでした。キャンパスでは人々の心が浮ついており、教師たちは副業に忙しく、教育に専念する余裕がありませんでした。学生は生産ライン上の商品のように扱われ、質の良し悪しに関係なく、合格の印を押されて卒業していきました。
その後、幸いにも法輪大法を修煉する機会を得て、大法の中で知恵が開かれ、伝統への回帰の道で歪んだ芸術観を正し、専門分野で飛躍的な向上を遂げ、無知から徐々に覚醒し、成熟していきました。優れた教師陣と良好な教育環境が人にとってどれほど重要か、また学生時代の芸術的な啓蒙と指導が人生に大きな影響を与えることを、私は深く理解しています。
飛天大学で学ぶことができる子どもたち、師父のそばにいる大法小弟子たちは幸運です。世の中のあらゆるものは価値で推し量ることができ、物ごとの是非や恩讐は人情で計ることができます。しかし、大法修煉で得られるもの、師父の慈悲による恩恵は無価値であり、金銭や利益で冒涜することはできません。それはまた、全ての弟子たちが永遠に報いることも、返すこともできないものです。
佛法には、慈悲と威厳が共存しています。中国の歴史上、「三武一宗」の滅仏において、権力者たちは極度の苦痛の中で現世での報いを受けました。今日、法輪大法は大きな恩恵で人々を救い、その威徳は宇宙に満ちていますが、このような未来の宇宙を作る大法が攻撃され、誹謗されています。悪事を働く者の罪は非常に重大です。この歴史の重要な時期に、各界の衆生は自分の行為に対して責任を負わなければなりません。中共に利用され、中共に与する人々が目覚めることを願います。