【明慧日本2025年1月28日】2025年1月3日、明慧の特別記者はアップステート・ニューヨークにある龍泉寺、飛天芸術学校、Shen Yun Dancerなど大法関連のいくつかのプロジェクトを取材し、法輪功創始者で、神韻芸術団の芸術総監督・李洪志先生にもお話を聞きました。取材時、今年73歳の李先生は整った身だしなみで、カジュアルな服装を着用していました。数年前と比べて大分、痩せましたが、見た目は50才くらいか、それよりもさらに若々しく見えます。李先生の温かい眼差しには、強い意志と穏やかさが感じられます。
一、ボランティア
最近、海外のとあるメディアは李先生が違法行為を働いたと非難しました。とりわけ、中国人の耳目を引くため、李先生が信者の忠誠心を利用して労働搾取することによって2.66億ドルの資産を築いたと意図的に強調しました。このことに話が及んだとき、李先生は、この報道がなければ、神韻にどのくらいの資産があるのかを把握しておらず、芸術団が経費を賄っていけるかを心配しているところだと述べられました。
アメリカに逃げてきた中国の法輪功学習者は故郷と慣れ親しんだ環境から離れ、アメリカでは孤立無援な状態でした。他の非営利団体、宗教団体は政府や企業の援助を頼りに運営していますが、法輪功に援助または資金を提供する企業はありません。この二、三十年来、どの企業も大体、中国でビジネスを展開しているからです。中共は陰でこの手あの手を使い、法輪功の人権問題に触れないように西側社会を黙らせたのです。そのため、アメリカにおいて他の団体は多くの場合、政府からの支援を得ていますが、法輪功だけは自分で運営していくしかありません。
神韻芸術団が収めた成功は世界中に知れ渡っています。しかし、成功の裏にある困難と真相は北米の法輪功学習者であっても知らないのです。信頼しているため、具体的なことを多く知る必要がないと思っているからです。古い弟子なら皆分かっていますが、李先生は法を伝えに来たのですが、神韻芸術団の芸術総監督という重責を背負ったのです。この重責の裏には数えきれないほどの苦難が隠れていました。そのため、一部の古い学習者はプロジェクトの運営や財務の仕事を引き受け、困難があっても可能なかぎり自分で解決するようにしています。これはすなわち皆さんの修煉の道だからです。
今回の取材時に李先生は、ご自身が運営に関わっておらず、運営と財務を担当する学習者からの報告もないと笑みを浮かべながらおっしゃいました。神韻芸術団の会計担当は「財務には財務の規定と手順がある」と話し、皆が努力しており、各自は自身の責務を果たすよう努めていると述べました。なんと言っても、李先生は皆さんに法を伝え、皆さんの修煉を指導するためにやってきたのであって、経営者になるためにやってきたのではありません。
プロジェクトに参加する大法弟子の修煉問題に気づいていても、李先生は学習者の向上に役立つと思った時にだけ問題を指摘するのです。慈悲深く学習者の質問に答えてくださる時もあります。李先生はすべてのプロジェクトに関わっている学習者に心血を注ぎ、国内外のすべての大法弟子の修煉を見守っているのです。
李先生はどのプロジェクトからも一切の報酬を得ていません。しかも各プロジェクトの運営を知らない方が気楽だというお考えです。李先生は「明慧ネット、大紀元、新唐人、乾浄世界(ガンジンワールド)の運営、人事、財務について全く把握していません。関わろうともしません。必ず彼ら(自身)で乗り越えるようにしなければなりません。それは修煉の道だからです。私がいつもあれこれと口を出せば、彼らの計画を邪魔したり、進む道を塞いでしまうことになります。ですから、このすべてに私は一切関わっていません。修煉だけを見守っています」とおっしゃいました。
神韻などのプロジェクトにボランティアとして関わっていることについて、李先生は学習者の修煉のほか、無報酬でファッションのデザインをしたり、技術の向上をサポートしていると述べ、「誰からも一銭たりとももらっていません。給料もありません」とおっしゃいました。
記者は他のいくつかのプロジェクトにも取材しました。「神韻作品(Shen Yun Creations)」の動画プラットフォームの最高財務責任者、Shen Yun Dancerの会社の社長からも話を聞きましたが、二人とも経営と営業は社内で取り組んでおり、財務に関しても同じだと話しました。「李先生は状況を聞いたりしませんし、こちらから報告することもありません」ということです。大紀元新聞の最高財務責任者とラジオ希望の声の総裁も同じ答えでした。
「法輪大法」の文字が施された青と黄色のリバーシブルの上着は李先生が無償でデザインしてくださったのです。座禅しやすいようファスナー式で防水生地を採用し、防寒機能に優れ、フィット感もあります。中綿タイプは120ドル、ダウンジャケットは168ドルです。この価格帯ではこの品質の商品を購入できないでしょう。なぜこの価格を設定したのでしょうか? Shen Yun Dancerの社長によると、「この二種類のショートコートは学習者限定に販売しているため、李先生からできるだけ値段を抑えてほしいとの要望があったからです」。これについて、李先生は微笑みながら、「確かに私が言いました。できれば、学習者に無償提供したいと思っています」と述べました。
「学習者に無償提供する」とは聞き慣れた言葉です。大法書籍の価格設定と販売についても李先生は繰り返しこのように述べてきました。飛天の学生の学費、寮費、食費、教材費、服装代、旅費などなど、確かにずっと無料です。これは一人当たり毎年5万ドル相当の学費補助を提供したことになり、保護者はプライベートレッスンの費用のみ払えばいいのです。
二、質素な暮らし、強靭な意志
「あなたの目に李先生はどのように映っていますか?」
龍泉寺で20年間李先生と行動を共にした学習者に出会いました。彼はしばらく考え込むと、「超人的な強い意志の持ち主で、質素な暮らしを送り、明確な目標を持っています」と答えました。
この学習者によると、龍泉寺にいても旅行中でも、李先生は朝ご自身で洗濯しています。朝食を取らずお水またはコーヒーを飲むだけです。昼食は龍泉寺の食堂で簡単に済ませ、夕飯はガーダータンと呼ばれる中国のすいとんを食べたり、残りもののご飯にお湯を注ぎ漬物と一緒に食べたりします。
別の学習者によると、ある日、朝食のためにたくさんのゆで卵を作り、真っ先に李先生のもとに持っていき、大きくて見栄えの良い卵を選んでもらいたいと思っていました。李先生はしばらく眺めたら、最も見栄えの良くない卵を手に取り、これでいいとおっしゃったそうです。
李先生と一緒にビュッフェに行った学習者によると、その日、自分もウキウキしていて、できるだけ早く料理を取って食べたいと列に並びました。自分の番になり、李先生を探してみたら、李先生は離れたところで静かに立っており、みなさんが料理を取り終えるのを待っていたそうです。「その時、私は手を止めました。弟子は先生より先に料理を取ってはいけないと思ったからです。しかし、李先生は先にどうぞと言わんばかりに軽く頷いたのです」
「明確な目標を持ち、非凡な意志を持つ」という点について、李先生と20年間行動を共にしたこの大法弟子は、「目標が定まったら、李先生はそれに向かってひたすら進んでいくのみです。困難に遭っても諦めることなくひたむきに前進するのです。お金のことも気にかけることなく、やるべきことに一途に取り組んでいるだけです。李先生が毎日このように行なっているのを見て、当たり前のように感じていたのですが、振り返ってみると、とても不思議に思いました。様々な困難に遭っても、目標は全部達成されました。私たちは困難に見舞われたら、途中で諦めてしまいますが、李先生は違います」と話しました。
「達成困難と思われたことで、李先生が成功させたことはありますか?」と聞くと、「多くのことは私たちがみな無理難題だと思いましたが、李先生は意に介さずそれに向けてやり続け、最終的に成功されたのです。ですから、私から見れば、強い意志と優れた集中力の賜物だと思います」
「私からみれば、李先生には『難しい』という概念はありません。私たちはこのことが難しい、困難が大きいことは不利なことだと思っています。李先生は困難に阻まれることはありません」
工事現場で働く学習者なら分かりますが、李先生は休むことなく働き続けています。龍泉寺の工事現場で、最も困難な場所に李先生の姿があります。最も体力のいる場面に李先生の姿があります。木を運ぶ時、李先生は重い方を持ち上げています。李先生はいつもゴミを集めています。李先生は誰よりも動きが速いので、周りの人の気が緩んでしまうと、李先生はすでに片付けを終えます。汚い水溜りは誰も清掃したくないのですが、李先生はためらうことなく、速やかに掃除します。道路にある小石は、車に踏まれると、路面が傷ついてしまう恐れがあるため、李先生はいつもさっと拾い上げ、道端に寄せています。工事現場や路上に落ちた釘は李先生は見かけるとすぐに拾い上げ、分類したあと倉庫に預けるのです。芸術団の創作活動への指導、服装や道具のデザイン、声楽指導、演目制作、品質確認など、忙しい合間を縫って、移動中にも李先生は時間を作り、安い紙製のファイルに歌詞を書いたり作曲したりしています。
李先生は皆さんに修煉を教えている以上、自分自身が模範を示さなければならないとはっきりおっしゃったことがあります。歴史上、お金に関する教訓が多くあったため、李先生は一銭たりとも受け取らないと決めています。また、自ら範を示し、皆さんに節約を教えています。例えば、舞台機材、照明など練習や公演に必要な機材について「必ず値下げ品を購入してください」と李先生は担当者に伝えています。
李先生は「やることが多いので、いつも龍泉寺の宿舎に泊まっています。私はここの子どもたち(中国の文化で年配者が若者に対してよく使う呼ぶ言葉。ここでは神韻の若手芸術家と飛天芸術学院の学生を指している)に世界一の学校と最高の環境を与えます。最も優れた子どもに育て上げ親元に戻しますと保護者たちに伝えています。私はこのことに注力しています」とおっしゃいました。
三、全ての人に配慮が届くよう細心の注意を払う
龍泉寺は草創期だった2000年頃、資金がないため、そこに未開墾の山林、景色が美しいとは言えない水の濁った湖、年月の痕が刻まれた木造の平屋以外、何もありませんでした。平屋は簡素な3DKの間取りでした。これが当時、龍泉寺にあるすべてでした。駐車場がなく、林間の小道は雨や雪の日になると水溜りができ、地面が泥だらけでした。当時ボランティアとして働いていた学習者は、自ら工事に参加し資金を出し合っていました。皆さんが真善忍の大切さを心得て、法輪大法を伝え人類に恩恵を与えたが中共に迫害されている李先生と共に、困難に立ち向かおうとしているからです。
中共は李先生が複数の物件、豪邸、高級車、クルージングを所有しているとのデマを流しましたが、その後、中共自身も李先生には財産も物件も車も所有しておらず、どのプロジェクトからも給与を受け取っていないことが分かったのです。
学習者の寄付金を李先生は全部龍泉寺に渡しました。李先生は「私はお金は要りません。お金をもらって何の役に立つのですか? いつも思っていますが、私はどこに行っても食事を提供してくれる人がいます。お金は私にとって何の意味があるのですか? 飢える心配はないのですから」
取材中、李先生は終始、笑みを浮かべており、穏やかで落ち着きを見せています。これを見て、「憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とする」という李先生の教えを思い出しました。
19年間の歳月は過ぎ去っていきました。飛天と神韻には、一般教養を勉強する教室、ダンスを練習する教室、カフェテリア、劇場、事務室、図書館、コンサートホール、複数のレクリエーションスペースが完備されています。どの建物も李先生が先頭に立ち、修煉者たちと一緒に一つ一つの石と木を積み重ねて作り上げたのです。多くの大法弟子にとって、この過程は苦を舐め業を滅しているだけでなく、この世にやってくる前に生命と引き換えに交わした誓約を果たしているのです。
一つ目の神韻芸術団はどのように立ち上げられたのでしょうか? 「当初、学習者から人員を集め、子どもたちをスカウトしました。子どもたちは身長がバラバラで、踊りについて何の知識もなかったのです。徐々に少しずつ発展してきました。当時、資金はゼロでした。教員たちは足りないものを自分で購入していました。私も含めて、全ての必要品は自己資金で購入したのです」「全員、精一杯尽くしていました」「公演できるようになってから収入が入りました。このように少しずつ歩んできました」と李先生は教えてくれました。
今回の取材を担当した記者は、一つの舞踊教室しかなかった当時、李先生は自ら子どもたちに回転技を指導していたことを覚えています。山(龍泉寺のことを指す)にいる古い学習者なら皆覚えていますが、子どもたちが初めて満州族の舞を練習したとき、満州族の花盆底靴(かぼんぞこくつ)を見たことがないため、李先生は自ら一人ひとりに靴を履かせて、整えてあげました。
子どもたちが李先生へ差し上げた手作りのプレゼントの数々を見ていると、退団後に中共に協力して法輪功と神韻を誹謗中傷した人々を思い浮かべます。これについて、李先生は「彼らは自分の意思で神韻に参加したのではなく、親の圧力で仕方なく来たからです。このような子どもはここでの振る舞いは良くなかったのです。それに対して、自分から『修煉したい』『師が法を正すことを手伝いたい』と思っている子どもは優秀な成績を収めています」と説明しました。
この百年来の中国の歴史に詳しい読者なら知っていますが、中国で育った保護者の中に、自分の意思、自分が叶えたい夢を子どもに押し付ける人は非常に多いのです。その原因を突き詰めてみれば、代々の親は共産党文化に影響され強制的なやり方をとっており、家庭を大切にせず、個人の意思を尊重しない教育を受けてきたからです。1966年に発表された『毛主席への愛情は父母に対する感情よりも深い』という歌は中国では知らない人がいないほど有名でした。のちに作曲者が林彪(りんぴょう)反党集団に通じていたとされ、この歌も禁止されました。しかし、「毛主席への愛情は父母に対する感情よりも深い」「共産党への愛情は父母に対する感情よりも深い」この二つの言葉は何代もの中国人の脳裏に焼き付けられ、中国人は日常的に党の意思に無理に服従したり、自分の意思を子どもに強制したりしています。
共産主義思想が全世界に蔓延するにつれ、自分の意思を他人に押し付けたり、健全な親子関係を築けなくなった人が増えています。中には修煉中の学習者もいます。これは中共の党文化の根強い影響と個人の修煉状態が原因なのです。
十数年来、神韻芸術団のダンサーと飛天の学生らは李先生からきめ細やかな気配りを受けています。李先生の娘さんでさえこれほど細かな気配りを受けたことはありません。娘さんは小さい頃、李先生が法を伝えることに奔走していたため、父親に会うこともままならなかったのです。しかし、飛天の学生は李先生に会えないことはめったにありません。娘さんの幼少期、李先生は経済的に困窮していて、たまに露店で靴を買ってあげましたが、娘さんはそれでも非常に喜んでいました。それと比べて、神韻ダンサーと飛天の学生の衣装、食事など親が思いつくことであれば、李先生は必ず気にかけてくれます。親が思い付かないことも李先生は気を配っています。これについて、李先生は笑みを浮かべ、「まだ幼い子どもなので、私は親のように接してあげないといけません」と答えました。
十数年来、李先生は皆さんの修煉に心を砕いてきました。毎日、できるだけ山にいるすべての学習者に気を配り、毎日の夜、間食を袋に詰め、自ら子どもたちに配っています。成長期にいる子どもたちが厳しい練習をこなしているため、夜によくお腹が空くと李先生に分かっているからです。
山にいる学習者は、李先生にまつわる話題は毎日たくさんあり、どの学習者もたくさん知っていて、ネタが尽きないと言っています。
3人家族には3人家族の家事と支出があります。千人家族には千人家族の支出があります。山での生活は多額な費用が必要です。毎月のガソリン代、暖を取るための燃料代、クーラー代、電気代、大人数の飲食代などなどの費用がかかります。さらに全ての学生の学費と食事代、寮費も無料です。どれも重い負担です。
李先生は在学中の子どもたちのことに気を配っているだけではなく、卒業後の子どもたちのことも気にかけています。なんと言っても芸術専攻の卒業生は理工系の卒業生より就職がかなり難しく、生計を立てたり、起業したりするのも簡単ではないからです。卒業後、学校に留まり教員になる学生、神韻芸術団の正式ダンサーになる学生がいますが、彼らが卒業したり結婚したりするとき、給料を得てここで生活できるようにしなければなりません。このすべてに費用が必要です。
李先生は人材を大切に思っていますが、弟子が円満に修煉の道をしっかり歩むことを何より望んでいます。
四、法を伝える
今日、大法弟子なら皆知っていますが、李先生が伝えてくださったのは真、善、忍の宇宙大法です。しかし、共産党統治下の中国は神と宗教を否定する社会で、老若男女に対して一律に思想、身体と経済をコントロールしています。このような統治が厳しくて法律がないがしろにされている社会では、法輪大法はどのように社会に伝え出されたのでしょうか。
1980年代から90年代末まで、中国では気功ブームが拡大し、数千万人の愛好者がいるとされています。気功の病気治療と健康保持の効果は目で確認することができるため、人体科学への研究、物質と精神の関係について見直す動きがあり、少しずつ研究と実践を重ねてきました。しかし、人体、生命と宇宙の奥義について探究心を持つ人々は長い間、さらに高いレベルの、納得できる答えを得ることができませんでした。
1992年、ある偶然がきっかけとなり、李先生は少しずつ社会に向けて法輪修煉大法を公開しました。李先生は当時の状況についてこう振り返ったのです。「始まりは長春でした。気功について雑談していた人たちがいて、私はその場に居合わせたので、少し解説しました。彼らはそれを聞いて驚いたのです。『あなたはどういう人ですか?』といろいろ聞いてきました。簡単なことばかりで、私に全部分かっているので、説明してあげました。そうしたら、講習会を開いてくれませんかと頼まれたのです」
彼らは筋金入りの気功愛好者で、『場所を手配します』『これとこれを用意します』とすぐに段取りし、『李先生、早くお話を聞かせてください』と言ってきたのです。「(一部の)気功愛好者はとても熱心で、どうしても講義を開いてほしいと頼んできたので、長春五中で一度、講義をしました」
しかし、佛家修煉と違い、気功愛好者らはいつも「功を発する講義」を受けていました。彼らは当然のように、このやり方を法を伝えるためにやってきた李先生にも求めました。「講義なのに、たくさんの病人を連れてきました。功を発する講義はこのやり方だからと彼らは思っているのです。わあ、部屋には病人がたくさんいました。どうしましょうか? どのように講義を進めるのですか。点滴をつけたままの参加者もいました。私は一人ずつ治しました。直ちに数秒後みんな立ち上がったのです。私は階段状に座席を設けた教室の教壇に立っていたので、『私の指示に従ってください。走れ!』と号令を出すと、全員走り出しました。元々寝たきりだったり、半身不随の人たちです。『走れ』と言ったら、みんな元気よく走ったのです。その後『それでは講義を始めます』となったのです。この出来事を目の当たりにし、彼らは『気功の大先生もここまでの力はない』と分かったのです。それから講義を始めました。講義後、質疑応答を行いました。それから一気に広まりました」
寝たきりの人、不治の病にかかった人は回復を遂げたいなら、どれほどの対価を払わなければならないのでしょうか? 密勒日巴(ミラレパ)佛の物語を読んだ人ならみんな分かると思います。李先生は一瞬にして彼らを健康な状態に戻し、自由に行動できるようにしました。しかし、李先生は気負うことなく淡々と当時の状況を話されたのです。
修煉界では、現在の人類は高次元の生命の生まれ変わりであると皆分かっています。ですから、李先生が伝えてくださった天機を聞いたとき、多くの人の心底に潜んでいたものが触発されました。その後、李先生は彼らに「講義をしましたが、それでは煉功を始めましょう」と伝えました。このように、一部の気功愛好者は法輪功を始めました。李先生は「気功の先生」「李大師」と呼ばれるようになりました。
真善忍の大法を伝える李先生は気功師として認識されてしまいましたが、衆生に有益であれば、李先生は個人の名誉と呼び方を気にしていません。李先生は、「どのように師父に接するのでしょうか? 実は法を伝えた当初から既にはっきりと説明しました。人間が私をどのように呼んでも構いません。私の名前、先生、師父、何でも良いのです」と話したことがあります。(各地説法七『米国西部国際法会での説法』)
その後の話は皆さんが多く見聞きしたと思います。明慧ネットに当時の状況を書き留めた記事が多数掲載され、「李洪志先生」のカテゴリーにまとめられています。興味ある方はご一読ください。
倹約は李先生にとってもはや当然のことようになっています。しかし、目標をやり遂げるために金銭に縛られることもありません。
1992年から1994年の年末まで中国で対面式の講習会を開催したとき、一回の講習会は9日間で、受講料は50元でした(古い学習者は半額免除されます)。受講料はスタッフの移動、食事と資料印刷などに当てられました。当時の気功講習会の受講料から考えれば、極めて安い金額でした。一部の気功師は市場価格を下げたと不満を抱いていたほどでした。李先生は学習者への配慮から、できるだけ負担を減らそうしていました。
節約のため、李先生は汽車で移動するとき、いつも普通席を利用しています。寝台列車をあまり利用していませんでした。不思議なことに、満員列車でも李先生が普通席を利用すると、隣の席が空いていたりするので、李先生は横になって休みを取ることができました。食事はカップ麺がメインでした。時に食べる屋台の麺はご馳走でした。宿泊は格安の簡易宿泊所を利用していました。大きな手提げ袋に入っているのはカップ麺、または事前に用意した資料でした。2年の間、54回の対面式講習会を開き、カップ麺を食べ続けていたため、スタッフもさすがに食傷気味でした。講習会に参加したすべての学習者は李先生に対して言葉では表現しきれないほどの恩を感じています。この二年の間、講習会に多額の費用をかけましたが、李先生が最も注力したのはやるべきことを成功させることです。
資金がないのに本をどのように出版したのでしょうか。ビジネスで成功した北京のある学習者は李先生に数千元を貸付ました。『中国法輪功』を発売後、この学習者が借金を返してもらえないと心配していたので、李先生はすぐに本の売上金を借金返済に充てました。その後、紆余曲折を経て『転法輪』が出版されました。対面式講習会に参加したある学習者は政府機関と取引する実業家で、李先生の旅費を負担してくれました。この学習者は李先生に対して、こう話しました。「李先生、他の気功師が何万、何十万のお金をポンと出せるほど儲かっているのに、李先生は宿泊費もありません」。当時、数万のお金は中国では大金でした。往年の話を思い出すと、李先生は微笑んでおっしゃいました。「やるべきことはいくら困難があってもやり遂げなければならないし、やり遂げることができます」
話を中国で法を伝えた時に戻します。このように慎みながら活動していても、法輪功の中国での影響は広がる一方です。一部の人はこらえられず、李先生を批判しようとしました。しかし、水面下で調べてみたら、李洪志には財産がなく、女性スキャンダルもないのです。これではどのように李先生を貶すのでしょうか? 当時、李先生は中国ではすでに大きな影響力を持っていて、「文化大革命」がすでに収束し、人を批判することに長けている共産党でさえ、口実がなければなかなか手を下すことができなかったのです。
李先生の話によれば、「(1996年)誰から指示されたのか分かりませんが、商業部の女性幹部から食事の誘いを受けました。当時、食事会はつまり病気治療が目的でしたので、誘いを受けることにしました。到着すると、女性幹部が単刀直入に目的を明かしました。『李先生、あなたの影響力があまりに強いので、中国から離れてもらいたい』と言いました。確かにそうです。長安街の両側は法輪功を練習する人でいっぱいでしたので、江という人物は怒り心頭になっていました。私は外国に行くと即答しました」
中国では、どの宗教や信仰も同じですが、党支部を設置しなかったり、「党の利益は最優先されるべきだ」という考えに従わなければ、中共に虎視眈々と狙われ、チャンスがあれば懲らしめられます。場合よっては居場所がなくなるまでやっつけられます。これらの事情を鑑み、あまたの中国人の健康を回復させ、彼らの道徳心を高め、政府に多額の医療費を節約したにもかかわらず、李先生は中国での居場所を失いました。
まもなく、1997年に李先生は「卓越能力者ビザ」を取得し、米国に移住しました。1998年の間、自宅を片付け再び米国に戻ったとき、李先生一家は生活費も住む場所もありませんでした。カリフォニア州ロサンゼルスに行こうとしましたが、世話をしていた学習者は住宅が見つからないと言ったため、アトランタの学習者の誘いを受け、その学習者と狭い賃貸マンションで同居生活を送っていました。そんな生活も限界になり、ニューヨークへと引っ越しました。当時のニューヨークはひどく荒廃しており、不況に見舞われていました。結局、李先生はある学習者がアップタウンで借りたスタジオ(3LDKのマンション)に住むことにしました。1999年の法難が始まったとき、中共がこのマンションが入っているビルを「李洪志が所有するビル」と捏造したのです。
修煉の道を振り返り、古い学習者として、東洋と西洋に目を向ければ、教会、寺院、コミュニティに寄付することは一般的なことですが、その心の敬虔さと正しい信念に重きを置いています。李先生は一度たりとも弟子に寄付を求めたことがなく、修煉しようとする私たちの心のみを見ています。人間は一生涯、病気治療や健康維持にどれほどの費用がかかるのでしょうか? 李先生は修煉しようとする私たちの心を大事に思い、一銭も要求せず私たちの病を取り除き、一生病気治療に費用をかける必要がないようにしてくれました。李先生は本来、もっと良い暮らしを送るべきです。李先生が良い暮らしを手にするのも難しいことではありませんが、李先生は高い志を持っています。李先生はなぜ法を伝えたのでしょうか? なぜ苦に耐えながら弟子の修煉を指導したのでしょうか? なぜ神韻の芸術総監督になったのでしょうか? なぜボランティアとして大法弟子のプロジェクトに参加したのでしょうか? 真に修める弟子なら誰もが分かることでしょう。
今修煉をやめた人も分かっていますが、法輪大法は他の気功と一線を画しています。病気治療や金儲けのためではなく、「昼間は袈裟を着て修煉しますが、夜家に戻って普通の暮らしをする」ということもありません。法輪大法は本当の佛法修煉であり、人々に真善忍と返本帰真を教えています。
法輪功への迫害は一世紀の四分の一にあたる時間が続いているにもかかわらず、「真・善・忍」は今も揺るがず堅固なままで、修煉する人々の心を明るく照らし、正念を固めています。法輪功学習者の強靭さは「真・善・忍」への正しい信念から来るもので、自身の根基、そして李先生の言葉と行動を通じた指導から得られたものです。