文/天津市の大法弟子
【明慧日本2025年2月6日】私は医療従事者で、1998年に法輪大法の修煉を始めました。当時、私が修煉を始めたのは、自分の気性が荒く、自分の考えに合わないことがあるとすぐに腹を立ててしまうからでした。幼いころから、損をしたくない、我慢ができないという性格が身についていたのですが、職場に何人か法輪功を修煉している同僚がおり、彼らの気性がとても穏やかだったので、自分も法輪功を修煉して気性を改め、患者や患者の家族と諍いが起こらないようにしたいと思いました。そこで修煉を始めました。
一、師父は常に弟子を見守ってくださっている
2022年7月21日の午後、退勤間際になって課の主任から、電話で彼女のオフィスに来るように言われ、私は特に何も考えずに向かいました。部屋に入るとすぐに2人の私服警官に取り押さえられ、先週の木曜日に私が資料を配布したことが通報され監視カメラの映像から私が特定された、ということを言われました。退勤後、私のオフィスは捜索され、十数冊の大法書籍とカレンダー1冊が押収され、そして別の警官の一隊が私の家を捜索しました。プリンター2台、パソコン1台、師父の写真、絵画1枚、カレンダー1冊が押収され、私は派出所に連行されました。
突然の迫害に直面し、私の頭は少し混乱しましたが、恐れることはありませんでした。ただ、「私は師父にお任せするだけだ! パソコンとプリンターは人を救うための法器であり、邪悪が私を迫害する口実にはならない。大法に対して警官に罪を犯させてはならない」という一念を保ちました。
2人の警官はとても友好的で、「上司からあなたはとても良い人だと聞いている。我々も気の毒に思っている。あと数年で定年なのに、一体何をしているんだ」と繰り返し言いました。警官たちは私が懲役1年か2年の判決を受けるだろうと思っていたのかもしれません。警官たちは、私に資料を配布した理由を尋ねたので、私は彼らに、「人を救うためであり大疫病の時には大法だけが人を救うことができる」ということを伝えました。警官たちは師父については何も言及せず、大法についてどうこう言うこともなく、ただ米国を非難していました。警官たちは案件を管轄している局長に指示を仰ぎ、局長は治安拘留7日間という処罰を指示しました。しかし、コロナ禍の間は拘置所が人を受け入れていないため、夜10時過ぎに私は家族と共に帰宅することができました。
家族全員の気持ちはとても落ち込んでいました。夫が「会社は君を解雇するだろうか?」と尋ねたので、私は「おそらく大丈夫だと思う。私は別に刑を受けたわけではないから」と答えました。夫は私を慰めて、「大丈夫だよ、心配しないで。もし仕事を失ったとしても、私が君を養うから、とにかく刑務所に入って苦労さえしなければ良い」と言いました。私はそれを聞いて本当に感動しました。しかし、それでも頭の上に山が乗っているように重くて息苦しく、胸に大きな石が乗っかっているかのような感覚がありました。
そこで、私は発正念をしようと思いました。私はSIMカードの入っていない古い携帯電話を持っており、その中には煉功と発正念の音楽が入っていました。普段、発正念をする時は5分おきに音が鳴り、15分間行うことを認識していました。その夜、奇跡が起こりました。音が1時間おきに鳴り、3回鳴ったのです。私は3時間発正念をしました。師父が私に、もっと発正念をするようにと励ましてくださっているのだと分かりました。3時間発正念をした後、頭の重みが取れ、胸のつかえもなくなりました。少し仮眠を取り、出勤時間になったので仕事に行きました。
私のオフィスに着いて見てみると、床に大きな水たまりがありました。雨も降っていませんし、部屋が雨漏りしているわけでもありません。一体どこから水が来たのだろうと思い、よく見てみると、水の跡は高圧蒸気滅菌器から出ていることが分かりました(私の現在の仕事は、手術用パック[訳注:医療器具をまとめて包装し滅菌処理を施したもの]を消毒する高圧蒸気滅菌器を担当している)。配管の漏水箇所も見当たらず、水位はすでに正常値を超えていて、通常確認できる水位の目盛りが上からでは見えなくなっていました。この光景を見て、私は自分の修煉に問題が生じたことが分かりました。慢心していたのです。こんな大きなことが起きたのは、きっと修煉に問題があって旧勢力に妨害を受けたのだと思いました。
私は心を落ち着かせ、ここ最近の自分の考えや行いを整理してみました。2017年、中国共産党(以下、中共)が「ノック行動」を行い、警官が職場に私を探しに来ました。当時、警官たちが何度も電話をかけてきてどうしても会いたがっていたので、きっと真相を聞いて救われるために来たのだと思いました。
私はこの騒動を真相を伝える機会に変え、2人の警官に多くの真相を伝えました。彼らは三退はしませんでしたが、真相のほぼ全てを理解したようでした。その後の中共の「ゼロ行動」では、周りの同修の大部分が程度の差こそあれ嫌がらせを受けましたが、私を担当した警官は二度と私を探しに来ませんでした。
私は少しばかり得意になり、自分の修煉が良くできているので、中共はもう私をどうすることもできないと思うようになりました。
私は長年、継続的に資料を配布しており、自分で作った分は自分で全て配布し、市街地から農村まで、決して誰かと一緒に行動することはありませんでした。同修が資料配布で迫害を受けたというネット上の情報を見ると、自分は賢く機転が利き、防御がしっかりしていると思い、師父のご加護によって得られた結果を自分の力であると勘違いし、師父のご加護を忘れてしまっていました。もう一つは、職場の同僚のほとんどが真相を理解しており、環境が緩やかになったので、私は気を抜いてしまっていたことでした。
師父は、「人間の修煉は実に難しいもので、本当の修煉は、わたしの法身の守りがなければ、とてもできないことです。外出すると、もしかして命にかかわることに出遭うかも知れません」(『轉法輪』)と説かれました。
私は本当に傲慢不遜きわまりありませんでした。実は、この出来事が起こる前に、師父はすでに3回も私に啓示を与えてくださっていました。私が資料配布で通報された日の午後、家でミシンを使ってネックウォーマーを縫っていたのですが、大規模な検疫の時に蚊よけに使えるようにと考えていたところ、縫う度に糸が切れ、針に糸を通すのもとても手間取り、丸々3時間も無駄にしてしまいました。その日の夜、資料を配布するために家の玄関を出た時、ふと見上げると、監視カメラの二つの赤い目がとても陰気で恐ろしく見えました。夜には夢を見ました。大きな犬が毛並みを輝かせ、目を光らせて辺りを見回しており、私はとても怖かったのですが、ある男性が「怖がるな、私と一緒に来なさい、その犬は君を噛んだりしない」と言いました。数日後、私が階上から何気なく外を見た時、1台のパトカーが家の前を通り過ぎるのが見え、パトカーは私の家の前で少し停止していたようでした。実際には警察が私の家に下見に来ていたのですが、私はパトカーと自分を結びつけて考えることなく、発正念もしませんでした。家宅捜索の前夜、私は一群の獅子がドアを破って侵入し、私に噛み付く夢を見ました。私が発正念をすると、獅子は死なずに、小さな布の人形に縮みました。もしこの3回の啓示の後、私が警戒心を高め、数時間発正念をし、自分の不足を探し、法に則って自分を正していれば、おそらくこの出来事は起こらなかったでしょう。
警察は職場に拘留状を提出し、職場の幹部は資料を作成して衛生健康委員会(訳注:日本の厚生労働省に相当する行政機関)に報告し、ここ数年の私の仕事ぶりや評価を事実に基づいて報告しました。職場の幹部たちが会議で検討した結果、これほど優秀な職員に処分は下すべきではない、給与も一切減額しないという結論に至りました。これは後日、職場の幹部から私に伝えられたことです。職場の上司は、「あなたは本当に良い人だから良い報いを受けたのですね。あなたに会ったこともない人まで、あなたのことを褒めていたのですから」と言いました。私も職場の幹部たちの善意に嬉しく思い、「大法を大切にするという一念を持つことで、天から幸福と平安を授かります。みなさんが大法弟子を大切に扱うことで、すばらしい未来が訪れるでしょう」と伝えました。
数日後、同修のAさんから、同修のBさんが見た夢の話を聞きました。夢の中でBさんは私の家に来て、庭に大きな瓜があるのを見たそうです。すると、ある声がBさんに「子供の魔難は母親が引き受けた」と告げたそうです。それを聞いて初めて、私に起きたこの魔難は師父が引き受けてくださったのだと、理解しました。
そうでなければ、どんな結果になっていたか想像もつきません。限りない師父の恩を感じ、私は涙が溢れました。ひたすら自分をしっかりと修め、より多くの人を救うことだけが、師父の弟子として相応しいと感じました。
二、人の身になって考えて行動し見返りを求めずに行動する
私の義母には息子が1人、娘が2人いました。義母は大法を修煉していたために中共から迫害を受け、心身に大きな傷を負い、2008年に亡くなりました。義母は4年間の闘病生活を送っており、介護の便宜を図るため、私たちは一緒に住むことになり、4年間の入浴介助は私が担当しました。義母が入院中や自宅で寝たきりになっていた時も、排泄の介助を嫌がらずに行い、便が出ない時には手で少しずつ掻き出しました。自分では親孝行をしていると思っていました。
しかしある日、1人の同修が私に孝行に関する記事を1束持ってきました。私は表面的には何も反応しませんでしたが、内心は大きなショックを受け、腹が立ちました。心の中で「私は修煉について自分がよくできているとは言えませんが、親孝行にかけては私より優れている人はそうはいない」と思いました。
その時、自分に名誉を求める心、つまり他人に親孝行だと褒められたいという気持ちが自分にあることに気づきませんでした。心が動揺したので、私は法を暗唱し『真修』や『境界』を何度も繰り返し暗唱しました。2日間暗唱するうちに、名誉を求める心を見つけ、さらに考えてみると、同修が私にこれらの記事を見せてくれたということは、きっと私にはまだ至らない点があるということなのだと思い至りました。そこで、義母と話す時はもっと優しく穏やかな声で話すように、義母を自分の子供のように大切にしようと思いました。その後、義母の葬儀で、義父の同僚が私の肩を叩きながら、本当に親孝行だと褒めてくれました。私は本当に義母に対して良心に恥じない行いをすることができました。
息子の伯母は10年前に脳腫瘍の手術を受け、入院期間中は私が休みの日には見舞いに行き、息子の伯父が家に帰って入浴したり、ゆっくり休んだりできるようにしました。息子の伯母が自宅で療養している間は、私が荷車を引いてたくさんの野菜を買いに行って料理を作ってあげました。息子の伯母の同僚が見舞いに来た時、息子の伯母は「義姉(私)は私にとても良くしてくれるの。義姉は法輪功を修煉しているのよ」と言いました。これは直接的に大法を証明するものでした。
伯母も大法の恩恵を受けました。手術前に私は伯母に、「『法輪大法はすばらしい』と念じれば災いを福に変え困難を吉祥に変えることができる」と伝えました。伯母はずっと「法輪大法はすばらしい」と念じていました。手術は13時間行われました。後で伯母が言うには、手術後、集中治療室に戻る時、彼女の元神が体から離れ、ある場所に行ったそうです。そこは太陽はありませんが、光があり、人々が皆、ふわふわと漂っているのを見たそうです。奈何橋(読み:なかきょう。訳注:あの世への入り口である三途の川にかかっている橋)を渡り、孟婆湯(読み:もうばゆ。訳注:中国の伝説で、来世に生まれ変わる前に過去の記憶を消すためのスープ)を飲むために列を作っている人々もいたそうです。伯母の主意識はとても強く「私はこんな場所にいたくない、現実に戻りたい」と思ったそうです。すると、伯母の元神が戻ってきました。伯母の回復は非常に良好で、毎回検査の度に医者は誰が病人なのか見分けがつかないほどでした。
息子の大叔母(訳注:夫の叔母)は享楽を貪る人で、生活力に欠け、投資で騙されて彼女の息子が結婚のために貯めていたお金を全て失ってしまい、さらに銀行に多額の借金を抱えました。息子の大叔母は抑鬱状態になりました。どうすればいいでしょうか? 見捨てるわけにはいきません。できる範囲で助けようと思い、私たちは災害の年に備えて老後のために貯めていた30万元を送り、息子の大叔母にまず銀行への返済の一部に充ててもらうことにしました。
息子の大叔母の息子も27、8歳になりましたが、家には結納金を用意するお金がなく、結婚式は延期せざるを得ない状況でした。そこで私は夫の姉に相談しました。私たちの家は農村の故郷に部屋が5部屋ある平屋を持っており、数年前から賃貸に出していました。その後、夫の叔父と夫の叔母が私たちの家のことに目をつけ、夫の叔父と叔母に売ってほしいと言ってきましたが、義父はずっと売らないと言っていました。その家は前庭がとても広く、裏庭にも広い畑があり、作物を育てることができ、私たち夫婦はかつて定年退職後に故郷に戻って家を改築し、畑仕事や養鶏などをすることを計画していました。私たちが同意する前に、数年前、夫の叔父はその家と前庭を占拠してしまいました。私は夫に、「故郷の家は叔父が目をつけたのだから、私たちがその家を諦めなければ、伯父と叔母は面白くないだろうし、きっと私たちに不満を持つだろう。それはあなたたち兄弟の関係にも影響するだろうから、お父さんに売ることに同意するように言ってほしい。伯父が提示する金額で売ればいいです。私たちがあの家を修理するのも不便だし」と言いました。その後、夫の叔父は6万元という値段を提示しましたが、そのお金は今に至るまでまだ支払われていません。一昨年、私の孫が生まれた時、義父はその家の売却代金から1万元を引き出して、義父から見てひ孫にあたる私の孫に渡しました(義父の毎月の年金は1万元で、後妻が管理している)。家を売った後、私は義父にお金の分配について尋ねたことがありましたが、義父は私たち兄妹3家で分けると言いました。
しかし、義父はそのお金から1万元を私の孫に渡したので、私は夫の姉と息子の大叔母に、家の売却代金を分配する時に私は1万元少なくもらうと言いました。現在、甥(訳注:夫の叔母の息子 = 息子の大叔母の息子)の結婚資金がないという問題に直面しているので、私は夫の姉に、来年になったら夫の伯父からまだ支払われていない5万元を義父に回収してもらうように頼んでほしいと相談しました。
私がさらに1万元を出して、合わせて6万元を息子の大叔母に渡し、結納金の足しにしようと提案しました。夫の姉は息子の大叔母のことを思いやっていたので同意してくれました。息子の大叔母は今はもう鬱状態ではなくなりました。
三、母親の修煉における奇跡のような体験
私の母も大法を修煉しており、今年(訳注:2024年)の5月29日に電動バイクに衝突され、腰椎を骨折しました。自宅で数日間静養した後、再び咳が出始め、1週間入院治療を受けました。咳は治まりましたが、入院時に行ったCT検査で両肺に結節(訳注:小さな隆起)が見つかり、医師から1カ月後に再度CT検査を受けて結節がまだあるかどうか確認するように勧められました。7月17日に胸部専門病院でCT検査を受けたところ、右側の肺の中央部分に約13x10ミリメートルの形状で不規則な結節があり、両肺に散らばって存在している微小結節が見つかりました。8月12日に私の弟が胸部専門病院の知り合いを通じて院長にレントゲン写真を見てもらったところ、院長は写真を見て、13x10ミリメートルの結節を切除する時に身体への負担を軽減する手術方法を勧めました。そして、母の結節は7、8割が悪性である可能性が高いと言いました。
弟や妹たちは皆、母に手術を勧めており、母も肉親の情に挟まれて心の中で葛藤していました。私は弟や妹が母のそばにいない時を見計らって、母に正念を増強するように話しました。
私は、「あなたは二度の交通事故でいずれも試練を乗り越えられませんでしたね。いつも試験で不合格だったようなものです。師父は常にあなたに進級させようとしてくださっています。これはあなたへの追試なのです」と言いました。私は、「あなたが交通事故に遭った時、もし師父のご加護がなければ、命を落としていたかもしれません。あなたが病院に行って手術をすれば、衆生を救い済度する活動に影響が出ます。あなたが師と法を信じるならば、師父があなたを見守ってくださいます」と話しました。
母は正念を維持しましたが、やはり子供たちの説得に抗えず、8月15日に胸部専門病院に入院しました。私は母が入院したのを見て付き添いに行きました。入院中は個室を借りたので、母と2人で学法、煉功、発正念をするのにとても都合が良かったのでした。20日に手術を行う予定でしたが、その前に一連の通常検査が行われ、16日に造影CT検査(訳注:造影剤を使用して臓器を鮮明に画像化する検査)、19日に骨シンチグラフィー(訳注:放射性医薬品と特殊なカメラを用いて全身の骨の状態を詳しく調べる検査)が行われました。
母は検査中絶えず「大法はすばらしい」と念じており、声に出して念じていました。19日の午後、私は医者に手術はいつ行われるのかを尋ねに行くと、医者から手術する必要はなく、結節が消えたので退院できると言われました。医者はさらに私に2枚のレントゲン写真の比較を見せてくれ、このような状況は非常に稀だと言いました。
その時、私はとても喜びました。病室に戻って母に伝えるととても喜び、ある清掃員にもこの嬉しい出来事を話しました。
以前、私はこの清掃員に真相を伝えましたが、彼女は三退に同意しませんでした。母が清掃員に「私たちはこれで退院します。結節がなくなったのです。それは私が誠心誠意『法輪大法はすばらしい』『真・善・忍はすばらしい』と念じたからです。師父が結節を取り除いてくださったのです」と言うと、その清掃員はすぐに三退に同意しました。
私はレントゲン科に行ってレントゲン写真を印刷し、レントゲン科にいた医師に、「私たちは肺結節の手術を受けに来たのですが、『法輪大法はすばらしい』と誠心誠意念じたおかげで結節がなくなり、手術をする必要がなくなりました。これで退院することになったのです」と話しました。続けてこの医師にも大法の真相を伝えました。
家に帰って喜麺(訳注:めでたい時に食べる麺料理)を食べながら、私は妹に「もし母が今回手術をして、それで他人に大法がすばらしいと話したら、他の人は『病気はやはり病院に行って医者に診てもらわなければならないのか。それなら私たちも病院を信じる』と言うでしょう」と話しました。すると、妹もその通りだと言いました。
母の身にはさらに不思議なことが起こりました。確か2021年の冬のことですが、母の大人用三輪車(訳注:高齢者やバランス感覚に不安のある人が乗る乗り物)のタイヤがパンクし、空気を入れましたが家の前から家の裏まで乗って行っただけで空気が抜けてしまいました。家の近くに自転車修理店がなかったので、私は夫に三輪車の車輪を外して、数キロ離れた場所に持って行って修理してもらおうと考えました。しかし、色々試しても車輪が外れませんでした。すると母が、「あなたたちはもういいよ、私が師父に助けてもらうようにお願いするから」と言いました。母はタイヤに空気を入れ、空気入れのホースを持って遠くの修理場所まで三輪車に乗って行きました。母は道中ずっと「大法はすばらしい」と念じながら、師父のご加護を祈りました。母は時々三輪車を降りてタイヤの空気が抜けていないか確認しましたが、毎回空気は十分に入っていました。修理店までずっと乗って行き、長い間待ちましたが、その店の人はまだ店を開けていませんでした。母はまた自転車で2キロ離れた別の修理場所まで行きました。修理店の人がどこが壊れたのか尋ねると、母はタイヤがパンクしたと答えました。修理店の人は「あなたのタイヤは空気が十分に入っていますよ」と言いました。母が「タイヤはパンクしているのです、外して見てください」と言うと、修理店の人はタイヤを外して見てみました。すると、竹串で刺したくらいの大きさの穴が開いていました。修理店の人は驚いて、「これは本当に不思議だ、神のご加護でしょう」と言いました。
結び
師父が他の空間で私に何を与えてくださったのか、私には見えませんが、26年来、私は医者にかかったことも、薬を飲んだり注射をしたりしたこともなく、毎日精力に満ち溢れていることは、誰の目にも明らかです。私が何事もまず他人のことを考え、善意で人を助け、争ったり奪ったりせず、自分がどんなに損をしても他人を恨まないことは皆が認めるところです。師父が私に健康な身体を与えてくださり、穏やかな家庭を与えてくださいました。大法が私を、心が広くて道徳高尚な生命へと作り上げてくださったのです。
師父に感謝申し上げます。大法に感謝申し上げます。弟子は報いる術を知りません。ただひたすら精進に精進するのみです。