文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月10日】我が家は先祖代々修煉者で、曾祖父の代から、将来最大の真の佛陀が世に降り人を済度して、真の法を伝えられるので、孫たちは必ず師父と真の法を探すようにと伝えられていました。曾祖父と祖父はあまり字が読めず、道を修めていました。祖父は自分の法門の中で師父の真の法を受け継ぎましたが、後にその法門を伝承しませんでした。
父は文化のレベルが割と高く、佛教を修め数秘術に精通していました。父は存命中、師父がこの世に既にいらっしゃっていることを推算し、至るところに師父を探し、 南北各地、新疆、チベットに行きました。お金を使い切ったあとは、乞食をしました。後に病気で倒れ、善良な人に列車で送られ、家に帰りました。
父の推算によると、師父は既に9歳でこの世に来ておられるが、自分が生きている間に師父の伝法は間に合わないと感じ、多くの本を書きました。本の中に、自分が佛教の中で悟った法理とどのように師父を探すかを書き、我々子供にこれらを基に師父を探し続けさせました。
父は同じ法門の友人と、将来誰かが最初に師父を探せた場合、必ずお互いに知らせるという約束をしていました。そのため、父親の友人はわざわざ自分の娘と我家の子供を義姉妹(弟)(現在私の姉は90歳で、義姉は94歳で、大法の中で修煉しています)にさせました。私の義父はその時父と同様に佛法を修めていて、将来師父と真法を探せた時にはお互いに知らせ、置いて行かれないようにと、自分の娘を私と結婚させました。
私は72歳です。自分がこのような家に生まれ、明白な法を待っていたことは大変幸運だと思い、師父にとても感謝しています。
1997年に、済南のある同修が、かつて幸運にも師父の講習班に参加したことがあります。彼は法を得た後、大法の本を私の義父に郵送してくれました。義父が宝の本を手に入れたと聞いたので、すぐに義父の家に行くと、義父は『轉法輪』を見せてくれました。私は本を貰った後、当時これこそ私が寝ても覚めてもずっと探していた師父と真の法であることを知りました。
夜、妻と子供たちが寝た後、私はランプの下で本を読みました。私が軽く本をめくる音に、妻は起きて、あなたは何をそんなに夢中になって見ているの? と聞きました。私は『轉法輪』だと答えました。妻は、読ませてほしいと言ったので、私が『論語』の一段落を読むと、妻はどうしてこんなに素晴らしいの?! 読まなくていいです、明日自分で見ると話しました。それから妻も大法の中に入りました。
千古にも会えない大法を得てから、私と妻は至るところに行って法を伝え、全ての県の人に大法を学ばせたいと思いました。
1999年7月20日に迫害が始まった後、テレビは狂ったようにデマを飛ばし、大法を中傷しました。妻は町に行って皆に、皆さんはテレビの乱言を聞かないでください、私は法輪功の煉功者で、法輪功をよく知っており、法輪功がどんなに素晴らしいかと伝えると、人々は彼女が話していることを聞きました。
当時大法は迫害され、皆はどうすればいいか分からず、多くの人は恐ろしくて修煉することができず、多くの人が身を隠しました。私は師父の写真の前で跪いて、最後に一人だけ残っても、残っているのは私で、揺るぎなく師父に付いて行きますと伝えました。私たちは大法と師父が邪悪に中傷されるのが悔しくて、各村で会う人達に大法がいかに素晴らしいかを伝えました。その辺の人は私を知っていましたが、私は皆を知りませんでした。ある時は、夜に私と妻やほかの同修は、手分けして一晩中真相のテープを張りに出かけ、翌朝朝ご飯を食べる時、私たちはやっと会えました。
後から同修たちも徐々に真相を伝え、人を救いました。私は同修と協力し、私が運転して、同修と地元の各市場や隣町に行って真相を伝えました。最近の2年は、私たちは他の省に行って真相を伝え、人を救いました。特殊な状況がない限り、中断することはありませんでした。10年で、私は4、5台の車を変えました。この過程で干渉や試練もありましたが、師父のご加護のもと、師父を手伝い、法を正す道のりを平穏に歩きました。
最近、私は地元の新唐人テレビの受信機を設置するプロジェクトのブランクに気付きました。以前皆に新唐人テレビを設置してくれた同修はいろんな原因で続けられなかったのです。私は、このブランクを埋めるべきだと悟りました。海外の同修が創立した新唐人テレビで、こんなにたくさんの人力、物資、財力をかけて衛星信号を提供するのは、多くの衆生が救われるためです。もし、私たちが多くの衆生に新唐人テレビを見せることができれば、私たちが対面で話すよりもっと効果があると思いました。この考え方が出たとき、師父は私に按排してくださいました。ちょうどこの時期に、他の県からある技術担当の同修が周囲の県の大法弟子に衛星信号を調整する方法を教えてくれました。地元の二人の同修が学びに行って、マスターした後、私に教えてくれました。
私はマスターした後、同修たちの新唐人の信号を全て一回新しく変更しました。私は新唐人を見る常人が増えれば増えるほど、救われる人も多くなると悟りました。中国に新唐人テレビを設置する人が増えれば増えるほど、新唐人テレビの視聴率も増えます。これは海外や中国の同修の協力で、大法弟子全体の間の励ましとサポートでもあります。
私が設置したアンテナは、同修からは、視聴する効果が非常に良いという反響で、ちっとも故障が発生しないということでした。スノーノイズもちっともなく、画面もとても明晰だということです。設置する過程で、私は全ての道具を揃え、梯子も自分で持っていきました。また将来問題が出やすいところ、例えば冬は寒いのでどのように凍害を防ぐか、風に吹かれ日に晒された後の風化問題について、私は皆のために考えました。
この過程の中、同修は心から感謝の気持ちを伝えてくれ、私にご飯や水をくれました。私は皆にこういうことはしなくて良いと伝えました。また、私に感謝するのではなく、感謝するなら師父と大法に感謝すべきで、これは私の責任だと伝えました。また、私に借りを作ったと思わないように、我々の間には情と義は存在せず、これは大法のプロジェクトで、私がやるべきことなのだと伝えました。
師父の慈悲なる済度にとても感謝いたします。私は必ず師父の後にしっかり付いて、揺るぎなく最後まで辿り着きます。