文/トルコの大法弟子
【明慧日本2025年2月10日】私は2007年に法を得ました。修煉の過程で多くの困難や苦痛、そして奇跡を経験してきました。師父に弟子として受け入れていただいたことに感謝し、師父が私のために尽くしてくださったすべてに感謝いたします。
私の幼少期は決して楽しいものではありませんでした。とても内気で、いつも恐れを抱いており、幼い頃から多くの苦痛に耐えてきました。スイスで生まれ、6歳頃からスイスの里親家庭で約4年間過ごしました。トルコとスイス、2つの文化の間で生活してきました。
幼少期の生活とその後の結婚生活は、私に大きな影響を与えました。結婚生活はさらに大きなプレッシャーとなり、40歳まで、大きなストレスを抱え続けていました。多くの場合、何が正しくて何が間違っているのかもわからず、ただ従うだけでした。
法を得て修煉を始めてから、徐々に自分を信じる勇気が湧いてきて、恐れを手放せるようになりました。修煉を始めた当初、私は3つのことを非常に精進して行い、生活の中で多くの変化が起きました。
しかし、私の家族は皆、大法に反対でした。法輪大法は彼らにとって見知らぬものでした。私は多くの方法を試みました。例えば、大法についてより深く理解してもらうために煉功場に連れて行ったり、トルコでの神韻公演に連れて行ったり、洪法活動に一緒に参加したりしました。ですが、家族の心は変わりませんでした。信仰や偏見など、様々なものが障壁となっていました。ただ、子供たちと両親は中共による迫害停止を求める請願に賛同してくれたことは、私にとってわずかな慰めとなりました。
私は、法輪大法こそが長年求めてきた道であることを知っていました。活動への参加や集団学法、煉功など、私を止めるものは何もありませんでした。
集団学法と煉功
私は集団学法、集団煉功をとても重んじています。長年にわたって煉功場を担当し、困難も励ましも経験してきました。多くの場合、煉功場には私1人か2人しかおらず、人数が少なすぎることに心を痛めていました。ある日、私は無力感を感じ、続けていく必要があるのかと考えていました。同修と第五式功法を終えた時、スーツを着た数人の男性が公園を見学しているのに気付きました。公園では卓球台や道路など多くのものが改修中で、市長の姿も見かけました。市長が私たちを見て「ああ、ヨガをしているんだね」と言ったのを覚えています。同修は市長にチラシを1枚渡しました。
これは師父からの励ましでした。この煉功場は続けていくべきだと悟り、今では何も考えずに煉功場に行って煉功をしています。理由は? 1人でも行く価値があるのか? 私は、あると思います。チラシを受け取る人もいれば、数回功法を学びに来た人もいます。あるいは通りすがりの人でも、私のしていることを認めてくれます。私にとって、屋外で煉功できること自体が励みとなっています。
集団学法に参加するたびに、往復で約2時間かかります。この数年間、やる気を失ったり、学法をそれほど重視しなくなったりする時期もありました。今では、感謝の心を失ったり、もうやりたくないと思ったりすると、障害が現れることに気付きました。これに気付いてから、しばらくの間、再びやる気に満ちあふれていました。
また、責任者が来ない場合は、私がその責任を引き受け、定期的に学法に行き、集団学法が途切れないようにすると言いました。私たちは、3人の同修がいれば学法を行うことを決めました。最近、私が集団学法を担当した時、前日に誰が来るか尋ねたところ、3人の同修が来ると聞きましたが、当日、1人の同修が消業のために来られなくなりました。2人だけでしたが、心から笑顔がこぼれ、すべてが明白になりました。人数の多少は人の観念であり、参加する人数に関係なく、集団学法には参加すべきだと悟りました。多くの衆生が他の空間で法を聴くのを待っているのです。
以前は怒りを感じ、遠くへ出かけることに価値がないと思っていました。しかし、今では嬉しく思い、このような悟りを得させてくださった師父に感謝しています。怒りを感じない状態は全く異なります! この瞬間、かつてない喜びと師父への感謝の気持ちを感じました。
母の死
幼い頃から母とは仲が良くありませんでした。母は強い性格で、私に対してとても厳しく、よく言い争いになりました。母の体調が悪くなってから、私は数年間、母と一緒に暮らしました。母の喘息は悪化の一途をたどり、病院の集中治療室に入りましたが症状は全く改善しませんでした。
ある日、私は面会の権利を母の兄弟に譲りました。数日後、母は挿管され、もう話すことができず、ずっと意識不明の状態が続きました。
数週間後、また面会の日が来ました。私はこれが母に会える最後の機会になると感じました。叔父も来ましたが、今回は私が入室を主張しました。もし入れなければ、もう2度と母に会えないと思ったからです。母のそばに行くと、驚いたことに母は目を開けました。私は嬉しくて涙が溢れました。心から母に話しかけ、初めて私たちの間に温かいつながりを感じました。これは師父が母を目覚めさせてくださったのだと確信しています。2日後、母は世を去り、この世の苦しみから解放されました。
母の入院中、私は母の甥や兄、義姉などからの厳しい非難を受けました。彼らは、私が「母を死なせた」と言い「この病院は良くない、別の病院に転院すべきだった」と主張しました。もし私が普通の人であれば、叔父たちの非難に耐えることはできなかったでしょう。しかし修煉者として、争わず、慈悲と寛容の心で苦痛を受け入れました。これらは怨みを解消し、業を返す機会だったのです。
苦痛の中で耐える
前夫との離婚後、子供たちは決して楽な生活ではありませんでした。当時、双子の息子たちは15歳、長男は20歳でした。3人の子供たちは大きな影響を受け、私に対する怒りなど、否定的な考えを消すのに長い時間がかかりました。
私にとっても、それは非常に悲しく疲れる日々でした。私も彼らに対して無力感と怒りを感じ、なぜ私のことを理解してくれないのかがわかりませんでした。彼らは父親が厳しい人であることを知っていたのです。彼らは大法に偏見を持っていましたが、私は常に忍耐を保ち、彼らを愛し、助け、良い母親でいようと努めました。徐々に私たちの関係は良くなっていきました。
2016年、深く考えた末、私はスイスに住む男性と再婚を決意しました。息子たちは決して私の再婚を受け入れないでしょう。もし知ったら、私と口を利かなくなるだろうと思い、子供たちと(生前の)母には話さないことにしました。時々、師父にこのことを話していました。子供たちはいずれ気付くでしょうが、私からではなく、自然に気付いてほしいと思っていました。この状況は8年間続きました。
母が亡くなって1か月後、子供たちはついに気付きました。当時私はスイスにいました。5月5日のことです。発正念の前に、1人の息子から私に2度と会いたくないと言われました。この数年間、この瞬間のための準備をしてきたにもかかわらず、息子の言葉を聞いて涙があふれ出ました。心が痛み、涙を流しながら発正念を終えました。これは私にとって重い試練でした。私には2歳の孫がいて、とても愛していました。突然、私の最も身近な7人――3人の息子、2人の嫁、1人の孫、そして最近亡くなった母――が私の生活から消えてしまいました。
その後、私はイスタンブールに戻り、2か月間悲しみの中で苦しみました。泣かない日はなく、心の痛みは消えませんでした。私は師父に助けを求め、法輪大法だけがこの悲しみから抜け出す助けになると知っていました。誰とも話したくなく、1人で学法し、できるだけ多く煉功し、発正念をしたいと思いました。しかし、それは簡単ではありませんでした。落ち込んで憂鬱な気分になり、いつも眠気に襲われていたからです。
約2カ月後、私は同修と一緒に活動に参加しました。その前に私は、まだ活動に参加する準備ができていないこと、また右膝に深刻な問題があることを彼に伝えていました。しかし、同修を1人で行かせるわけにはいかないと考え、私も参加しました。活動は順調に進みました。私たちは皆嬉しく、師父の加持も感じました。
その日、私たちは同修と激しい言い争いになりました。これは私が軽視できない試練でした。彼が私に言った言葉は、息子が私に言った言葉と同じでした。その瞬間、私は師父が私に気付かせようとされておられるのだと悟りました。修煉者にとって、偶然な出来事はないのです。
同修の「世界はあなたを中心に回っているわけではない」という言葉が、私を悲しみと落ち込みから抜け出させました。実際、私は修煉者の立場から物事を見るべきだと知っていましたが、自分の感情を手放すことができず、修煉者としてあるべき状態に入ることができませんでした。中国の法輪功学習者のことを考えてみると、彼らこそが本当の苦痛と悲しみに耐えている人々です。このような考えが浮かぶと、私は自分を深く恥じました。実際、困難に直面していたのは私ではなく、私は自分が何に注目すべきかをよく知っていました。
最近、私たちはアンカラの書展で非常に成功した活動を行い、多くの人々に法輪大法の素晴らしさを紹介し、真相を伝えることができました。これほど多くの世の人々と接することができ、私の心は痛みではなく真理で満たされました。
ある同修は釈迦牟尼について話してくれました。釈迦牟尼は修煉のためにすべてを捨てた――名誉、財産、両親、妻、そして息子まで。私が経験しているこの苦痛には必ず理由があるはずです。執着、空虚感、修煉、業を返すこと……すべてが可能性として考えられます。
師父は『轉法輪』の中で「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」とおっしゃっています。
時々、私は深く考え込み、自分に問いかけます。人生で最も身近な7人が消えてしまった本当の理由は何なのかと。まだ明確な答えは見つかっていません。おそらく、彼らに対する情に対処しなければならないのでしょう。私はこの関門や試練が、できるだけ早く苦痛でなくなるよう、最善を尽くしています。唯一の鍵は法をよく学び、できる限り師父の衆生救度を助けることです。
また、困難な状況にある同修にアドバイスする際は、非常に慎重であるべきだと考えています。なぜなら、意図せぬ言葉や行動が、しばしば状況を悪化させてしまうからです。例えば、無意識のうちに自己満足に陥り、ある状況をいかに早く乗り越えたかを例示したり、内に向かって探したのかと問いかけたりすることです。こうすることで、状況を複雑にし、助けになるどころか、逆効果になる可能性があります。
私は、同修の意見に耳を傾け、忍耐強く接することが非常に重要だと考えています。同修を助けることに決まった公式はありません。大切なのは誠実な心を持ち、同修の心の声に耳を傾けることです。彼または彼女が何を必要としているかを理解することは実はとても単純で、例えば法を学ぶこと、休息を取ること、アドバイスを受けること、発正念をすることなどです。困難に直面している同修を励ますための適切な言葉を見つけることは非常に重要です。私たちは皆、師父の弟子であり、1つの全体なのです。実際、私たちが真の意味で同修を助ける時、人の観念を持たずに、これは自分自身を助けることでもあるということを必ず覚えておかなければなりません。
師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝いたします!