文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月11日】私は迫害を受けた後、「この迫害は自分を実証する心を旧勢力に乗じられたのが原因だった」とはっきり認識しました。同時に、修煉の厳粛さも認識しました。
刑務所から帰宅した後、私は真剣に法を学びました。内に向けて探し、法を実証するという基点に基づき、三つのことをよりよく行うことにしました。そして、魔難の中にいる同修を助けました。修煉が順調に進んでいると思ったある日、突然、自宅のトイレのタンクから水の音がしました。タンクの蓋を外してみると、排水管には20分おきくらいに自動的に水が流れ、水位が高くなるとタンクから水がどんどん流れ出ていきました。この現象が何日続いているのかわかりませんでした。私は、「自分の心が外部環境と対応している。これは『自己満足』という漏れがあることを悟らせるために起きたことだ!」と認識しました。
しかし、修煉の中で「自己満足」という執着心を取り除くことができません。「自己満足」の表れがどのような形かも分かりませんでした。その時、「執着心を見つけた。タンクが直る」と思いました。 私はタンクに向かって、「執着心を見つけるのを手伝ってくれてありがとう。あなたも正しくしてください 」と言いました。その夜、寝ているようで寝ていないような私は、全身が何か黒くて厚いものに包まれているのが見え、身動きが取れませんでした。
翌日、タンクは大丈夫だろうかと早めに見に行くと、タンクはまだ、満タンになってから溢れていました。私は「これではどれだけの水を無駄にすることになるのだろう!」と思って、急いで水道のバルブを閉めることにしました。しかし、バルブが錆びて閉じることができないだけでなく、そこから水が漏れてしまい、地面に水が溜まりました。焦ってしまったのですが、私は敬虔な心で師父に助けを求めました。そして数分後、水の漏れは止まりました。
その瞬間、私の気持ちはとても言葉で言い表せず、ちっぽけである自分と謙虚さが何であるかを知りました。
私は心の中で師父に、「師父、弟子は傷が治ると痛さを忘れてしまう(ことわざ、喉元過ぎれば熱さを忘れる)ことをしません。これからは、この時の敬虔かつ謙虚な心で師父と大法に接します。自惚れてしまい、私は間違いました」と反省しました。
私はもう自分の認識を大法の上に置くことをしません。「統一思想」という党文化を取り除きました。それから、私は他人の提案や批判を大切にし、同修の不足を見ても、指導するようなことをしなくなりました。修煉の過程で善意と寛容を学びました。師父と大法を第一に置き、師父と大法を尊重することを学びました。
今、私は法を師とし、師父が私に要求してくださることを実行します。法を正す中に正念を持ち、人心を持たず、勇猛邁進しようと思っています。
不適切なところがあれば、同修の慈悲なご指摘をお願いします。