文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月17日】中国で25年以上、反迫害の歳月を歩んできました。その中で私は身をもって理解しました。修煉における「英雄」とは、本来あるべき姿ではなく、共産党文化の影響を受けた考え方です。これは修煉の状態に問題があることで生じ、結果としてさまざまな妨害をもたらします。
本当に修煉を積んでいる人は、静かに自らを修めています。法に則っていれば、深刻な迫害を受けることはほとんどなく、穏やかに、静かに大法を実証し、衆生を救い、目立つことなく修煉を続けています。彼らは「英雄」とは無縁です。
一方で、いわゆる「修煉の英雄」と呼ばれる人たちは、顕示心理や争う心が強く、特に名声を求める心が強い傾向があります。彼らは「自分を証明したい」、「大きなことを成し遂げたい」と考え「英雄」としての地位を築こうとします。そして再び迫害を受け、また「英雄」として持ち上げられる――この悪循環が続くことで、修煉と衆生済度の環境が混乱してしまうのです。海外の同修は「英雄」を称賛するような風潮を作るべきではありません
私はこのことを深く理解しています。なぜなら、かつての私は顕示心理が強く、名声を求める心がありました。しかし、最後に迫害を受けた後、再び修煉の道に戻りました。しばらくして学法チームに参加し、皆と一緒に法を学びました。学び終わった後、私は無意識のうちに、いつものように自分を目立たせようとしていました。すると、小組の同修たちは皆、黙って席を立ち、その場を去ってしまいました。
最初は何が起きたのかわかりませんでしたが、普段「おせっかいな性格」と言われていた同修さえも去ったのを見て、ようやく自分が間違っていることに気づいたのです! そこから私は、自己顕示心を修めることを意識し始め、やがて「英雄」として扱われることが決して良いことではないと理解するようになりました。
この経験を通じて、私はチームの同修たちに深く感謝しています。彼らは皆、一貫して『轉法輪』を暗唱し、新しい経文も短編ごとに暗記し、物事が起きると必ず法に照らして判断していたからです。法に沿っていないことは、誰も受け入れませんでした。そのおかげで、私は「英雄」になろうとする誤った道を進むことなく、正しい修煉の道に戻ることができました。そして何よりも、師父が常に弟子を見守り、救ってくださっていることに、心から感謝しています。
1999年の迫害以降、私の地元から少なくとも20人以上が海外へ渡りました。中国の各省市から海外へ避難した学習者の数は、相当な規模にのぼるはずです。しかし、修煉とは人心を取り除くことです。海外へ行くことが、その代わりになるわけではありません。環境が変わっても、人心を取り除くための試練は変わらず訪れます。結局、自ら進んで人心を取り除かなければ、試練が減ることはないのです。
振り返ってみると「英雄」が成し遂げたとされる「大きなこと」は、本当に意味があったのでしょうか? 例えば、農村へ行って村人たちに「赤い手形(請願書)」を書かせるといった、大々的な活動がありました。しかし、果たしてどれほどの村人が、本当に大法の真相を理解したのでしょうか? 多くの村人は、少し威嚇されただけで態度を翻し、逆に迫害に加担してしまいました。結局、その「大事業」は衆生を救ったのか、それとも害を与えたのか、判断が難しいものになってしまいました。
一方で、静かに、一軒一軒、衆生に真相を伝えていた大法弟子たちはどうでしょうか? 彼らの名前は誰にも知られることはなく、記録にも残りません。しかし、彼らは確実に人々を救い、社会を混乱させることもなく、邪党による弾圧を引き起こすこともありませんでした。派手な活動と、地道な活動――どちらが本当に効果的でしょうか? 海外の同修たちも、冷静に考えればわかるはずです。
師父は「ご存知のように、修煉の中で人心が取り除かれていなければ、何かをするとき大法を実証しているのではなく、自分を実証しているという現象が最も顕著に現われてきます。このことは破壊作用を働いています」。(『各地での説法八』「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」)と説かれました。
中国で何度も迫害を受けた人、特に激しい迫害を受けた人は「英雄」ではありません。彼らは単に修煉状態に大きな問題があり、師父が何度も法身で点化してくださっても、それを認めようとせず、改めようとしなかったのです。海外の同修も、心を静めて法を学べば、このことがよく理解できるでしょう。
また、迫害を受けない人の中にも、修煉をあまりせず「3つのこと」も行わず、常人のように生きている人がいます。そうした人たちは長年にわたり威徳を築くこともなく、もはや大法弟子としての状態ではなくなっています。そうなれば、旧勢力にとって迫害する必要がなくなるのです。
「自分を証明したい」という私の心こそが、最も恐ろしいものです。法に則っていれば迫害は少なくなり、英雄も生まれません。法に則っていなければ迫害を招き、結果として「英雄」という存在が作り出され、環境が混乱してしまうのです。
この機会に、私たちはより多く法を学び、真に修煉し、人心を取り除きましょう。残された時間を大切にし、誤った考えを正し、修煉を深める機会にしましょう。
【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです】