福建省浦城県の張兆利さんは6カ月間拘禁されている

 【明慧日本2025年2月23日】福建省南平市浦城県の法輪功学習者・張兆利さんは、連行されてから、不当に6カ月間拘留されている。張さんは2024年11月に浦城拘置所から延平区拘置所に移送された。

 張さんは2024年8月30日、ある法輪功学習者の家で法輪功の書籍を読んでいたところ、地元の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に塀を越えて不法侵入され、連行された。当時、数人の法輪功学習者が連行された。その後、家族の強い要求で家に帰された人もいたが、張さんは拘置所に拘留された。連行に関与した公安の警官は全員サングラスとマスクをしており、顔を見せなかった。

 張さんは、法輪功を学んでいるだけで、数回も労働教養や判決を受け、就職もできず、家庭を築くこともできなかった。今回、張さんの連行の原因を国保の警官に理由を尋ねると、張さんが2024年6月、7月に大連など旅行したからだと言われた。中国共産党は昨年末、再び法輪功を迫害する文書を密かに発布し、地域ごとにノルマも設けているという。張さんは、そのノルマを達成するために、警官に連行された。

 張さんは1996年に法輪功を学び始め、真・善・忍の基準に従って、より親切に、より寛容に、より誠実に人々に接してきた。法輪功の修煉を始めて数カ月後、20年以上患っていた頑固な腰痛が消え、以来病気とは無縁になった。いつも、自分を法輪功の教えに照らし合わせ、他人を思いやり、他人と争うことはしなくなった。真に他人と調和して生きることができ、無私無欲を心がけている。

 1999年7月20日、中国共産党が法輪功に対する残酷な迫害を開始した後、張さんは1999年9月から2000年春まで、断続的に浦城城関分局、拘置所、留置場に拘禁された。数日間窓に手錠でつながれ、罵られ、睡眠を奪われた。2000年旧暦の1月16日、張さんは北京に行き、法輪功の潔白を政府に訴えようとしたが、話す機会を与えてくれず、直接南平に送り返し、1年間の労働教養処分を下された。そして、教養所で奴隷労働を強要された。

 2001年後半、張さんはさらに1年6カ月の労働教養を受け、福州薬物更生センターに送られると、独房に1カ月監禁され、「転向」を強いられた。張さんはその後、第三大隊に移された。警官は、収容者に熱湯を張さんの頭からかけるよう指図した。張さんが断食して抗議をしたが、警官は全隊の収容者に張さんを殴るよう指示した。その結果、負傷した張さんは病院に運ばれ、救急措置を受けた。退院後、張さんは第九大隊に送られた。他の収容者は各自食堂に行き、食事をしたが、張さんは食事を部屋に持ち込まれて食べることになったが、ご飯が緑色であることに気付き、断食を始めた。数日後、張さんは初めて食堂に行って、部屋に持ち帰って食べることを許された。

酷刑演示:用开水烫

拷問の再現:お湯をかけられる

 2005年春、張さんは再び国保の警官に家宅捜索をされ、法輪功書籍、功法のテープ、プレーヤー、などの私物と現金1.960元を奪われた。張さんは連行され、殺人容疑で尋問される密室(元294の廃墟となった事務所)に連れて行かれ、拷問・殴打をされ、1週間飲食と睡眠を奪われた。その後、留置場に送られ1カ月間拷問を受けて、また拘置所に移送され1カ月間拘留された。最後に福州労働教養所に送られ、1年6カ月拘禁された。張さんはエイズ患者と同じ部屋に収容された。残酷な拷問の結果、張さんは解放されるまで歩くことができなくなった。

 2008年5月、張さんは武夷山の茶工場でお茶を作っていたところ、江沢民が武夷山を訪れようとしたため、武夷山警官に連行され、洗脳班に送られた。江沢民が武夷山を出て福州に到着するまで解放されなかった。

 2010年6月、張さんは南平の友人宅から地元の警官に連行された。警官は張さんの両手を机の脚と別々に手錠で繋がり、張さんは立つことができず、9時間以上殴ったり蹴ったりの拷問を受けた。その後、浦城国内安全保衛部門に引き渡された張さんは、1週間飲食を許されず、睡眠も許されずに留置場で1カ月間拘禁された後、1年6カ月の労働教養を科され、教養所に送られた。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/9/490559.html