文/明悟
【明慧日本2025年2月25日】徐甲は老子の僕(しもべ)であり、200年間老子に仕えながらも、一銭の給料も受け取ることはなかった。そのため、官府に訴え出て、老子に対して賃金の支払いを求めた。しかし、老子が徐甲に施していた道家の「太玄真符」を取り戻した瞬間、徐甲はたちまち白骨と化してしまった。一般の人々の目には、徐甲の行為は道理にかなったものに映る。働いた分の報酬を求めるのは当然であり、借金を返すのもまた当然だからだ。しかし、修行者の目には、徐甲はただの愚かで頑固な俗人に過ぎない。
最近、ある人物がアメリカの神韻芸術団や飛天大学、および関係者を相手取り、経済的損害を理由に民事訴訟を提起した。その理由は、この人物が13歳で飛天学校に入学し、24歳で飛天大学を卒業するまでの間、実習生として神韻芸術団の世界巡回公演に参加したものの、適正な報酬を受け取れなかったというものである。
飛天大学の資料によると、同校の学生には年間5万ドルの奨学金が支給されており、これには学費、教科書、衣装、食事、宿泊などの必需費用が含まれている。また、追加の補助や祝祭時の特別な食事などは、大学側が別途負担しているという。12年間の奨学金総額は55万~60万ドルにのぼる。こうした費用を負担しているのは、決して神韻が裕福だからではない。それは法輪功の子供学習者を大切にし、学生の家庭の負担を軽減するためであり、さらに重要なのは、学生が学び成長する過程は、世界中の法輪功学習者が共に果たすべき使命の一部だからである。神韻芸術団は法輪功の学習者によって構成されており、中国の伝統文化の復興、伝統道徳の提唱、美しさ、善良さ、希望の伝播を目的としている。これこそが、神韻の使命なのである。
それとは対照的に、単に子供を海外留学させたい、子供はダンスが好きだから、あるいは親の個人的な理由で子供を飛天大学に通わせたいと考えている場合、そうした目的で飛天大学を受験する者は、たとえ学校側が思いやりなどの善意から入学を許可したとしても、最終的に成功する可能性は極めて低い。なぜなら、飛天大学の中国舞踊教育は世界最高水準であり、学生の身体的条件、品格、精神的素質に対する要求もそれに応じて非常に高いからである。
神韻芸術団が法輪功学習者によって構成されているということは、法輪功の根本理念である「真・善・忍」とは一体何なのか? この問いは一見すると簡単なように思えるが、実はその答えは非常に奥深く、この世のどんな専門分野をも超越している。そもそも、どんな専門分野でも、数行の説明で素人に理解させられるものは、もはや専門分野とは言えない。例えば、法輪功は宗教なのかという問いに関して、李洪志先生は『修煉と宗教』という文章の中で次のように述べている。「我々が宗教ではないと言ったのは、神には神の定義があるからです」。しかし、「法輪大法は常人社会で広められており、社会から宗教と定義されるのは当然のことです。ですから、法輪功も宗教団体として世界各国に登録しており、アメリカの法輪大法の祖庭である龍泉寺もアメリカで宗教寺院として登録されています」。また、中国宗教問題の研究に特化したベンジャミン・ペニー博士(Dr. Benjamin Penny)は、彼の著書『法輪功の宗教信仰』(The Religion of Falun Gong)の中で、「法輪功は深い宗教的性質を持ち、あらゆる有意義な観点から見ても宗教である」と記している。
世界の主流宗教がすべて世俗的な名誉や利益に執着せず、道徳を重んじ、生命の真の意味を探求し、永遠の生命を追求することを説いているのは、誰もが知るところである。そのため、多くの信徒は世俗の栄華や富を手放し、宗教活動に寄付し、ボランティア活動を行い、自らの時間や能力を捧げ、正法を広め、福音を伝えるのである。こうした理由から、西洋諸国の法律は宗教を保護し、宗教活動は「労働法」の規制を受けない。宗教の信徒が宗教のために捧げる行為は、人間社会の「公平さ」や「報酬」といった基準で測ることはできない。なぜなら、それは異なる次元の概念だからである。法律を制定した先人たちは、世俗の人と聖者を同じ基準で扱うべきではないということをよく理解していた。
ところが、今回の元神韻実習生は、神聖な修行の中での自発的な奉仕を、世俗社会の論理に当てはめ、常人の法律で判断しようとしている。これはまったくもって滑稽と言うほかなく、嘆くべきことでもある。
ここで、広く知られている本物の修行者の例を二つ挙げてみよう。
1. 中華民国時代の弘一法師(1880年~1942年)
弘一(こういつ)法師が出家する前の俗名は李叔同であり、裕福な家庭の出身であった。彼は民国時代の才子として、画家、音楽家、劇作家、教育者など多くの分野で才能を発揮していた。しかし、彼が人生の絶頂期にあったとき、杭州の虎跑寺に赴き、僧侶となる決意をした。そこで彼は「弘一」という法号を授かり、律宗(佛教の戒律を重視する宗派)の修行に専念し、最終的に律宗の大師となった。
彼が剃度(出家の儀式)を受けた三日後、彼の最愛の日本人妻・春山淑子が虎跑寺を訪れ、夫を探し求めた。しかし、弘一法師は彼女を避けて会おうとしなかった。淑子は失意のまま寺を後にし、その後、日本へ帰国し、その生涯を終えた。
ここで想像してみよう。もし春山淑子が虎跑寺を訴え、夫を出家させたことで家庭が崩壊し、多大な経済的損失と精神的苦痛を被ったとして賠償を請求したら、人々は彼女をどう思うだろうか? それは「筋違い」な主張と見なされ、大局を理解していないと非難されるのではないだろうか?
2. 唐の時代の高僧・一行禅師(683年~727年)
一行禅師が出家する前の俗名は張遂であり、彼の家系は極めて名門であった。彼の曾祖父である張公謹は唐太宗に仕えた功臣であり、凌煙閣二十四功臣の一人として歴史に名を残している。張遂の一族も名高い人物を輩出しており、長男・張大象:官職は戸部侍郎(財務省次官)。次男・張大素:『後魏書』(100巻)、『隋書』(30巻)を編纂した。三男・張大安:太子右庶子(皇太子の側近)、中書門下三品(宰相級の官職)。張遂の父である張懔(張大素の次男)も武功県令を務めた。
張遂は幼い頃から聡明で記憶力が抜群に良く、20歳に満たないうちに経典や歴史を広く学び、天文学や暦法にも精通していた。その名声を聞いた武三思(武則天の親族で高官)が何度も彼を召し出し、幕僚として仕えさせようとした。しかし、21歳の時、天台宗の高僧・玉泉弘景大師に出会い、出家を決意。嵩山で剃度し、僧侶となった。
ここで考えてみよう。世俗的な観点からすれば、一行禅師が出家したことは国家や家族にとっての損失と言えるだろうか? 彼の家族は、「張遂(後の一行禅師)を佛教界が奪ったせいで、国のために貢献すべき逸材が無駄になり、一族が大きな損失を被った」として、佛教界を訴えるべきだったのだろうか? もちろん、そんなことはあり得ない。
世俗的な理屈で宗教の事柄を評価するのは、非常に荒唐無稽なことだ。例えとしては適切ではないかもしれないが、中国象棋(シャンチー)と国際象棋(チェス)を比べてみよう。この二つのゲームはまったく異なるルールを持っている。例えば、中国象棋には「馬脚を塞ぐ」(馬の動きを制限するルール)があるが、国際象棋にはそのような概念はない。もし誰かが国際象棋の対局を見ながら、中国象棋のルールを持ち出して評価しようとしたら、どうなるだろう? きっとその場にいるチェスファンたちに追い出されてしまうに違いない。
法輪功学習者は、社会そのものを「大きな修行の場」と見なし、出家したり山にこもったりすることなく、俗世の中で修煉を行う。常人社会の中で修煉する以上、学習者に俗世のすべてを捨てるよう求めることはないが、修煉の理念や追求は同じである。ここで、ある神韻の実習生が給料を要求した件を考えてみよう。この実習生は、学費も生活費も一切負担せずに大学を卒業し、中国古典舞踊の最高レベルの教育を受け、最も純粋で完璧な芸術の薫陶を受け、立派な技術を身につけた。そのおかげで、中国共産党の統治下にある北京舞踊学院からも協力の申し出を受けるほどの実力を得た。この実習生は、純粋な修煉者の環境の中で成長しながら、同時に俗世の名声や利益も手に入れた。これほど恵まれた環境がほかにあるだろうか? それにもかかわらず、なぜ恩を仇で返し、神韻を訴えたのか?
徐甲の給料請求も、神韻の元実習生の訴えも、結局のところ「物質と精神の対立」、「世俗と修行の対立」、「無神論と有神論の対立」なのだ。昔から、俗世と聖者の世界は異なる次元にある。このような問題は哲学の領域で議論することはできるが、法廷で裁くべきものではない。幸い、アメリカの法律の制定者たちはこのことを理解している。
無神論を掲げる中国共産党は、アメリカの言論の自由と司法制度の隙を利用し、法輪功に対する世論戦や法律戦を仕掛けている。しかし、最終的には「清者自清」(清らかな者は自ずと潔白を証明する)であり、法輪功の「真・善・忍」の理念がさらに広く人々の心に浸透していくことになるだろう。