文/中国の東北の大法弟子
【明慧日本2025年2月25日】私は1996年に修煉を始めた大法弟子です。最近、多くの同修が法を多く学ぶことについてまだ重視していないことに気づきました。周りには長年修煉している大法弟子もいますが、依然としてどのように内に向けて探すかが分からず、形式的に法を学び、観念を放下できず、法理も見えていません。問題に直面した際、表面的な原因を探すだけで、深く理性的に内に向けて探ることができません。これらの問題は私自身も以前経験したことです。ここで個人的な修煉体験を同修の皆さんと共有し、同じような問題を抱える同修にお役に立てばと思います。
前述したこれらの問題は、法を多く学べば解決できます。師父が2023年1月に「なぜ人類が存在するのか」を発表された後、私はもっと法を勉強し、法を正す進展についていかなければならないと思いました。
師父は、『各地での説法九』の「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」の中で、このように説かれています。「新しい学習者の場合、法を多く勉強しなければならず、ほかに近道はありません。大法弟子全体の修煉状況から見れば、これまでの経験からも法を多く勉強することの重要性を証明しました。人間は容器のように、法を多く入れられると、特にこれは宇宙大法なので、人は正念を持つようになり、正しい作用を働くようになり、これは間違いのないことです。ですから、方法は一つしかなく、つまり法を多く勉強することです」
そこで、私は『轉法輪』と各地での説法を読むことを続けています。まとまった時間を使って『轉法輪』を読み、断片的な時間には各地での説法を読みます。例えば、出勤前に10分の空き時間があれば、私は各地での説法を読みます。多く学法してから、以前うまくいかなかったことや乗り越えられなかった関は、師父の要求通りに学法をしておらず、自己に対する要求が低すぎて、十分に上達しなかったからだと分かりました。
以前、私の学法は『轉法輪』を主にしていて、時間があれば多く読み、時間がなければ2、3日間お休みしていました。各地での説法は、1、2カ月で数回しか手に取ることができなく、いつも『轉法輪』がまだ読み終わっていないのに、説法を読む時間があるわけないだろうと考えていました。しかし、多く学法をするようになった後は、どんなに忙しくても、たとえ数段落や数ページであっても必ず各地での説法を読むようにしています。ショッピングを減らし、無駄なおしゃべりを減らし、時間があれば学法します。出勤や帰りの途中で同修の交流文章を聞き、食事をするときは『共産党について九つの論評』を流していました。
こうして多く学法した後、以前の多くの執着を放下したことに気づきました。以前、周りの常人の非理性的で良くない行動に対して、いつも我慢できませんでした。衆生を救うことをしているものの、あたかもそれはただの任務を果たすように感じていました。また、同修に「私は自分が慈悲心を生み出していないと感じます。慈悲の心が何なのかわからないし、衆生を見ても、彼らに対して憐憫な気持ちが湧いてきません」と言ったこともあります。
学法のとき、師父が説かれた「もう一つの形式は、それぞれの次元で最初に現れたそれらの高級生命が生んだ人です。このような人は私から見ると比較的幸せであり、彼には母親がいるからです。先天的に生じた生命は母親がいないので、母親がいることを非常に羨ましがっています」(『轉法輪法解』「済南での説法 質疑応答」)という段落を読んで、私は突然、慈悲の一つの内面的な意味を理解しました。
自分は師父に見守られ、師父によって創造された生命であり、最も幸せな存在です。師父は私に広大な慈悲を与えてくださり、私はその広大な慈悲の中で生きています。そして、私も広大な慈悲を持っています。私はこの慈悲を常人に与え、彼らにもこの偉大な慈悲を感じてもらいたいと思いました。それ以来、私は常人が良いか悪いかを気にせず、心の中で穏やかに彼らの振る舞いを受け入れるようになりました。彼らはまだ物心がついていない子供のようで、成長する必要があり、迷いの中にいることを哀れに思い、どうすれば彼らを救えるかを考えるようになりました。
多く学法すると同時に、もう一つ重要な点は「観念を捨てて学法する」ことです。多く学法した後、私の観念も放下でき、心を静めて学法できるようになりました。本を手にすると、法理が見えてくるように感じ、まるで師父が一対一で私に補習をして下さるようです。この後天的な観念については、私たちはそれに気づかないことが多いです。言葉で表現するのも非常に難しいです。時々、私は周りの同修に、1999年以前の迫害のなかった頃のような心境、あるいは6歳の子供のようにできるだけ観念を持たずに学法するように提案します。これは私が言いたいことを表現する一つの方法に過ぎません。実際、いかなる状態を保って学法する自体も執着であるかもしれません。心を静めて学法すれば、多くの問題は学法の中で答えを見つけることができるでしょう。
多くの同修は一年間も各地での説法を一通り読むことができません。皆さんも『轉法輪』を学ぶべきことは知っていますが、各地での説法も常に読んでこそ、法を正す進展について行けるのです。最近現れた問題について、もし普段から多く学法していれば、もっと理性的に何をすべきかを明確に理解できるでしょう。まず、内に向けて探すことです。私たちは学法が足りず、向上が足りていないのです。いつも「法を学んでいて、真相を伝えることも行っており、心性を高めることは徐々にできるだろう」と思い込み、何も急がずに、衆生を救い済度という重要な先史の大願をそれほど高い位置においておらず、精進していません。私たちは大法の力を知っているので、自分を変えるためにもっと学法しなければなりません。
師父の慈悲なる救い済度のご恩に背かないように、今から私たちは皆でしっかりと行い、精進しなければいけません。