文/北米の大法弟子
【明慧日本2025年2月26日】2025年神韻公演のプロモーションは、特別な感じがしました。まず、心の中で師父が弟子に再び人々を救い、威徳を築く機会を与えてくださったことに非常に感謝しています。一方で、人を救う難しさと時間の切迫感を強く感じました。
2024年の神韻公演をまだ鮮明に覚えています。私たちの地域の最後の劇場での最終公演の日の早朝に、同修から電話がかかってきて「ある常人がチケットを買いたいと言ったので、助けてほしい」と頼まれました。急いでインターネットで確認したところ、私たちのウェブサイトはチケットが売り切れたので、すでに閉じていました。劇場のウェブサイトも確認しましたが、散発的なチケットがあるかもしれないと思っていましたが、やはり「売り切れ」の表示が出ていました。納得がいかなかったので、英語の理解が間違っていないかと不安になり、翻訳して再度確認してみましたが、やはりすべて「売り切れ」の状態でした。信じられない気持ちから、喜びで涙が溢れてきて「ついに私たちは無事にテストをクリアすることができた!」という感じでした。2024年のプロモーションでは、私たちは一つ一つの劇場をクリアし、非常に厳しい状況だと感じていましたので、最終日まで気持ちは少しも緩むことはありませんでした。
2025年はプロモーションの時間が短く、1月には4回の公演がありました。人を救う難しさが増し、私たち自身の修煉状態に対する要求も高くなりました。最初は非常に大きなプレッシャーを感じましたが、後になって「プレッシャーを重く受け止めず、やるべきことをしっかりやっていく。何があっても、自分の問題を探す。他人を多く救うことを目標にして、できるだけ後悔しないように努力する」と考えました。私は自分の使える時間をすべて神韻のプロモーションに費やし、神韻が最も重要であることを意識していました。
以下は、神韻プロモーションに参加して得た感想について、交流したいと思います。
一、無条件で協力する
神韻のプロモーションにおいて、私はいくつかの異なる小さなプロジェクトに参加し、さまざまな人と協力しました。私は自分に対して、できることは全力で協力し、その過程の中で自分の観念を入れず、やるべきことに集中して取り組むようにしました。私はただの普通の一員であり、自分が行うことはそのプロセスの中の一つの環節に過ぎず、すべてのことの全貌を把握しているわけではありません。
そのため、各協調人が段取りしたことに対して無駄なコメントをせず、個人的な感情を持ち込むことなく、純粋な心で協力しました。時には、私の個人的なやり方に合わない配置もあれば、何度も変更したこともありました。すべて修煉を高める機会だと見なしていました。こうした中で、自分が修煉者の心を持って協力できることが、全体に対する助けになると思いました。みんなが「物事をうまくやりたい」という心を持って取り組んでいるので、一見不満足に思える開始でも、過程でお互いに協力し合い、最終的には良い結果を得ることができるのです。
二、心を込めて人を救う
私は、神韻のプロモーションに参加してもう10年以上になりますが、最初の頃の「人を救う」という神聖さが徐々に薄れ「任務を果たす」という気持ちになっていることに気づきました。チケットを販売したり、ポスターを貼ったり、チラシを配ったり、ポスティングしたりなど、さまざまな活動に参加していましたが「心を込めて取り組んでいたのか?」と自分を見つめた時、それほどではなかったことに気づきました。ある出来事が私に大きな影響を与えました。
ある日、私は2人の同修と一緒にチケット売りのブースに立っていました。その2人の同修は、一日中ブースにいて、水を少し飲むだけで、ほとんど何も食べずに、トイレにもほとんど行きませんでした。彼女たちはチケット売り場ではいつもこんな状態だと言いました。後で気づいたことですが、それは師父のご加持であり、彼女たちは観念を持たず、ただ心を込めて神韻を人々に紹介し、心から人を救うことに専念していたので、こんなに超常的な状態が現れたのだと思いました。
その日のことを覚えています。ある弁護士の夫婦がチケットを買いに来ました。同修は夫婦を手伝ってチケットを購入しただけでなく、ラスベガスにいる彼らの友人2人にも彼らと一緒に座る席を予約してあげました。というのも、その週末にその友人らが訪ねてくるからです。チケット予約の過程でかなりの曲折があり、時間もかなりかかりました。弁護士夫婦は友人を招待することについて意見が異なっていたため、同修は忍耐強く丁寧に対応しました。
さらに難しいのは、その弁護士夫婦が友人らにチケットを買って招待するわけではなく、向こうの友人らがチケット代を払う必要があるため、連絡を取らなければなりませんでした。それでも同修は決して諦めることなく、最終的にその4人の観客が気にいった席のチケットを購入することができました。
その男性客は同修の真心と粘り強さに感動し、突然私に向かって「あなたは彼女を見習わなければならない。彼女は非常に素晴らしい販売員ですね」と言いました。最初の言葉は確かに正しかったですが、彼女は販売員ではなく、大法弟子であり、心を込めて人を救っているのです。私はこれが自分への励みだと感じました。同修と比べて、私は心配りが足りていないことに気づきました。当時のような難しい状況で、私は果たして同じように粘り強く続けることができるだろうか? それは一朝一夕でできるものではなく、同修の人を救う強い願望があってこそ成し遂げられることだと改めて感じました。
今年、再び神韻のプロモーションに参加することになり、自分が「怠けていないか」、「任務を果たす態度でやっていないか」、「客が来ているのに、人を救う心がまだ足りないのではないか」などを常にチェックするようになりました。そのような問題を見つけると、すぐに心を正します。また、人と対面しているとき、例えばブースにいる時や、チラシを配るとき、ポスターを貼るときなど、できる限り多くの言葉をかけようと思いました。私の英語力は限られていますが、それでも話せる言葉を一言でも多く伝えようと思っていました。大法弟子はエネルギーを持っているため、心を込めた言葉には力があるので、人々を目覚めさせることができると信じています。
三、神韻のイメージを守る
今年の特殊な状況により、同修たちが大手スーパーや大型チェーン店、または街角などでチラシを配布することが許可されました。形式は一見地味かもしれませんが、私たちは軽々しく勝手に行動してはいけません。神韻は伝統文化を表現しており、私たちがそのプロモーションを行う際にも、自分の修煉状態に注意を払う必要があると思っています。
私自身が商店に行ってチラシを配布する時、まずは服装に気をつけ、相手に失礼のないようにします。そして、チラシを渡す相手は、買い物を終えて帰ろうとしているお客さんを選びます。特に大きな店舗では、このように配ることで、よくある「チラシを買い物カートに忘れてしまう」という状況を防ぐことができます。
例えば、大きなスーパーの駐車場で神韻のチラシを配るとき、私はお客さんとの距離を2、3メートル程度に保ち、堂々とチラシを持ちながら挨拶します。もしお客さんが受け取る場合は渡し、受け取らない場合でも、丁寧に「良い一日をお過ごしください」と声をかけます。
もし、重い荷物を持って1人でいるお客さんを見かけたら「お手伝いしましょうか?」とか「買い物カートを元に戻しましょうか?」と声をかけます。その際、相手は感謝してくれ、自然とチラシを渡すことができます。99%の人は喜んで受け取ってくれますが、受け取らない場合でも、少なくともポジティブな印象を与えることができたと感じます。
このプロセスでは、私は特に商店の従業員が買い物カートを回収している場所を避け、カートの中に忘れられたチラシがないかを確認するようにしています。商店側に迷惑をかけないように配慮し、問題を起こさないようにしていました。もし問題が起きて商店が不快に思うと、私たち個人には問題がなくても、神韻を広める活動に影響を与えてしまうからです。
これが私の考え方とやり方です。必ずしも正しいとは限りませんので、ご指摘お願いします。
四、機縁を大切にし、縁のある人々を救う
神韻のプロモーションに参加している中で、私は「人を救いたい」という心を持っていれば、師父は縁のある人を私たちの前に送ってくださることを実感しました。ほとんどプロモーションに出かけるたびに「ずっと神韻公演を見たいと思っていたんです」と言ってくれる縁のある人に出会います。時には何も言わなくても、手に持っているチラシが十分に彼らを引き寄せることがあります。
最近の出来事を一つお話します。
ある時、私は農夫市場で、歩道を歩いている人々にチラシを配っていました。そこに、非常に前衛的な服装をした中年の女性が向こうから歩いて来ました。彼女は首にタトゥーがたくさんあり、表情もなく、私に全く目を向けませんでした。私は一瞬躊躇しましたが、最終的に笑顔で挨拶し、神韻のチラシを差し出しました。彼女は私を見ようとせず、ただチラシに目を向けただけでしたが、突然目が輝き、顔にも表情が現れました。彼女は「広告を見て、それが何なのか気になっていたわよ」と言いました。私は急いで神韻を紹介し、神韻は共産党前の中国を描いたもので、純粋な伝統文化を表現していることを伝えました。アート団体はニューヨークにあり、中国ではないこと、そして毎年世界中を巡回公演していることも説明しました。
彼女は非常に興味を持ち「今年の公演を見逃さないでほしい。神韻を見た人々は、それが天からの贈り物だと言っています」と伝えると、彼女は「帰って神韻のチラシをじっくり読んでみます、ありがとう」と言ってくれました。彼女は2歩ほど歩いた後、再び戻ってきて「あなたを抱きしめてもいいですか?」と言いました。「もちろん」と答えると、彼女は私に大きな抱擁をして、何度もありがとうと言いました。最初のイメージと別人のように変わりました。その瞬間、彼女とは非常に深い縁があると感じました。もし見た目から一念の差で彼女を見過ごしていたら、と思うと非常に嬉しく思いました。すべては師父のご按排だと思いました。
神韻のプロモーションに参加する中で、それぞれ自分の使命を果たす大法弟子は、修煉上で、多くの収穫を得ると感じています。師父が説かれたように「代償を払えばその分だけ得る」(『轉法輪』)のです。師父は弟子たちに最善を与えてくださいます。私は、より多くの同修が神韻のプロモーションに参加することを願っています。私たちが動けば、対応する天国世界の生命も動き、これほど多くの大法弟子がその活動を広げれば、チケットはあっという間に売り切れるはずです。
2024年、神韻が私たちの地元の劇場で公演を行った際、私はフロントサービスをしていて、仕事で出張してきた中国からの若い同修と出会いました。彼女はアメリカに到着したばかりで、その週末に別の都市で神韻公演があることを知り、風雨の中、朝早くから公共交通機関を利用して劇場に来て、チケットを購入しようとしていました。私は彼女のためにオンラインでチケットを予約しました。チケットを購入しながら、彼女は国内での修煉環境の厳しさと、神韻を見たいという切実な思いを語ってくれました。最終的にチケットを確保し、彼女は非常に嬉しそうでした。その期待に満ちた、興奮と感動の表情を見て、私は感慨深く感じました。
私たちは海外という比較的自由な環境で修煉できるので、非常に幸運です。さらに、師父が直接導いてくださる神韻活動を通じて、人々を救いながら、自分の修煉を成就できることに感謝しています。世界中の億あまりの大法弟子の中で、私たちはどれほど幸運なことでしょうか。師父は「すべての人を救うプロジェクトの中で、神韻は最も多くの人を救っている」。(『各地での説法十五』「2018年ワシントンDCでの説法」)で語られました。私は「この機縁を大切にするように」と自分に言い聞かせました。
結語
2024年の神韻公演を観ていた時、師父が「私と共に世に降り、衆生を救いなさい」という言葉を発し、神々が創世主とともに世に降りる場面を見て「師父の導きに従う」という文字が私の頭に浮かびました。弟子として、心に深く刻み、師父に従い、もっと多くの人々を救いたいと思います。
以上の交流において、大法に合っていないところがあれば、ご指摘お願いします。