【明慧日本2025年2月28日】(前文に続く)
大法によって智慧が開かれ、初心を取り戻す
「何が彼女たちをこれほど信仰に対して揺るぎないものにさせているのだろうか?」と私は心の中でよく考えていました。時が経つにつれて、私は彼女たちと正面から接するよう試み、自分の心の奥底にある疑問を探るようになりました。「必ずその真の答えを見つけなければならない」と思ったのです。
徐々に、彼女たちが法を学び功を煉ることで天と地がひっくり返るような変化を遂げたことを知り、大法が病を癒し健康を促す卓越性や、人品や道徳を高める奇跡に驚嘆しました。例えば、不治の病にかかっていた人が法輪功を修煉することで回復したり、夫婦関係が悪化し家庭が崩壊寸前だった人が修煉によって和やかな家庭を取り戻したり、指導的立場にある人が修煉によって貪欲や不正をやめたりする事例があります。また、多くの高齢の修煉者たちが同年代の人々よりも明らかに若々しく見えることなども挙げられます。これはまさに、混沌とした世の中において軽視することのできない清らかな流れなのです。
労働教養所で法輪功学習者が増え続け、市当局は新たな監房棟を建設するために特別予算を割り当てました。堅い信念を持つ法輪功学習者たちは、私たちのこのような野蛮で血なまぐさい「転向」手段に対しても、穏やかで寛容な態度を示していました。労働教養所はあらゆる方法を尽くし、数十種類の拷問を用いても、結局は上層部が求める「転向」率を達成できませんでした。最後には手詰まりになった責任者は「我々も法輪功の書籍を読んで、転向に使える内容を見つけ、法をもって法を壊すように試してみよう」と言っていました。
まさにこのような状況の中で、私は法輪功の書籍を読み始めました。本を読むうちに驚いたことに、書籍に書かれている内容はテレビで宣伝されているものとは全く違うのです! さらに、読み始めると不思議と眠気に襲われることが何度もありました。それでも、心の中にある強い気持ちが私を支え、読み続けることができました。私は法輪功の書籍の中に、自分の心の中にある答えを見つけたいと思ったのです。
気づけば、ひどかった不眠症の症状がなくなり、夜もぐっすり眠れるようになり、朝起きるととても爽快な気分でした。ある日、当直中に私は突然高熱を出したとき、ある堅い信念を持つ法輪功学習者が私に、「看守さん、それは良いことですよ。私たちの師父があなたの業を消してくださっているんです」と言いました。私は心の中で半信半疑になりながら、「お前は私が大法の書を読んでいることを知らないはずだ。どうして師父が私の業を消してくれるなんてことがあり得るんだ?」と思いました。
書を読み始めて間もなく、いくつかの不思議な出来事が起こりました。あるとき、『轉法輪』を読んでいると、白い紙だった本のページが赤い紙に変わったのです。また別のときには、熱い流れが「サーッ」と頭から足元まで駆け抜け、本の中に書かれている「灌頂」と同じような体験をしました。さらにある日、当直中に収容者をトイレに連れて行く途中で、ふと空を見上げると、北の空に浮かぶ雲が突然小さな蓮の花の形になったのです。
法輪功の書籍を読み始めて半年ほど経つと、体にあったいくつかの病気がいつの間にかすっかり消えてしまい、自分でも本当に信じられないほど驚き、不思議でたまりませんでした。しかし、私の心の中にはずっと一つの疑問がありました。「私はこちらでは大法の書を読んで師父に見守られているのに、あちらではまだ法輪功学習者を『転向』させようとしている。私は一体、どちらの人間なのだろう?」
疑問が残ってはいたものの、『轉法輪』という本はどうしても手放すことができず、時間があれば飢えて貪るように読み続けました。あるとき、第九講の「大根器の人」の部分を読み、韓信について書かれている箇所に目を通していると、「韓信」という文字が「還信」(信じ続ける)に変わったのです。その瞬間、私の身体が一瞬震え、層々の微細な部分にまで打ち込まれるような感覚を覚えました。
そのときの私の理解では、この厳しい体制の中で、信じることは労働教養や刑罰を受けるリスク、職を失うリスク、さらには命を失うリスクを意味します。最も過酷な迫害の中でも、この法が良いものであり、人々を善に導くものだと信じ続けることができるならば、その人こそ「大根器の人」なのだと感じました。
その瞬間から、私は心の中で探し求めていた答えをより明確に見つけることができました。「これこそが私が探し求めていた大法であり、ずっと待ち続けていた大法の師父だ!」と分かりました。私は心の中で師父に向かって、「私は良い人になります。この『真・善・忍』の大法の修煉を決めました!」と言いました。
次第に、以前どうしても理解できなかったいくつかの出来事や道理が分かるようになりました。子供のころ、なぜ毎晩寝て朝起きて、毎日同じことを繰り返すのかと考え、とても退屈で迷っていたことや、「山の中に仙人が住んでいるのではないか」と想像していたこと、よく一人で川辺に座り、絶え間なく流れる川の水をぼんやりと眺めながら「この川の水はどこから来て、どこへ流れていくのだろう」と思いを巡らせていたことなどです。本を読み法を学ぶにつれて、まるで思想を封じ込めていた殻が一層一層と破れていくように感じました。その感覚に心が揺さぶられ、思わず涙があふれてきました。
これは師父が私に智慧を開いてくださったのだと感じました。そして、自分がこの世に生まれ、この家庭に生まれ、この環境で働いていることが、すべて秩序立った手配であり、理由があってのことであり、使命を持っていることだと理解するようになりました。
清らかな蓮の花が咲き 混沌とした世の塵を洗い流す
ある日、家に帰る途中、廊下で真相を伝えるDVDを拾い、家に持ち帰って見ました。その内容は、「天安門焼身事件」の真相を暴露するものでした。劉春玲さんが火で焼かれて亡くなったのではなく、後ろにいた軍用コートを着た男性が重い物で彼女の頭を殴ったことで倒れたのを私はビデオで見ました。また、もう一人の焼身者の男性は服が燃えて破れているにもかかわらず、脚の間にあったガソリン入りのプラスチック製スプライト瓶が全く無傷であることも確認しました。
私は思っていました。「一つの政党が、真・善・忍を信じる人々を弾圧するために、さまざまな嘘を捏造し、誹謗中傷を行い、国家全体の機関を利用して迫害に加担するとは、一体どのような政党なのだろう?」そして、私がこの信仰のグループを迫害することに加担していたのは、まさに犯罪行為そのものだったのだとついに理解しました。
それ以来、私は大法の師父の一人の弟子となりました! それは2002年の春のことです。
師父は私の身体を浄化し、灌頂を施してくださっただけでなく、私の道徳をも向上させてくださいました。人生観、価値観、世界観が根本的に変わり、私は法のために生まれたのだと気づきました。
私の生命の本当の意味は、法を得て修煉し、本来の自分に立ち返ることなのです。私は師父の弟子になったのです。なんて幸運で、なんて幸福なのでしょう! 法輪功学習者がますます多く収容されるにつれ、迫害もさらに激化していきました。迫害が最も激しい時期には、これまで2交代制だった当直の監視役が3交代制に変わりました。夜勤の監視役たちは早番を好むため、私は進んで誰もやりたがらない深夜のシフトを引き受け、便利を他の人に譲りました。しかし、良い人でいることは難しいものです。同僚との会食で酒を飲まない私に対して、「どうして飲まないんだ? 何を信じているんだ?」と詰問されることもありました。また、当直中に人を殴ったり怒鳴ったりせず、常に他人のことを考えるようにしていた私が、大隊長に夜間の巡回で見つかり、大会で名指し批判を受けたり、罰金を科されたり、嫌がらせをされたりしました。その結果、目に見えないプレッシャーが次々と押し寄せてきました。
同修たちが毎日残酷な迫害を受けているのを目の当たりにし、私は胸が締め付けられるような思いでした。同修として、黙って見ているわけにはいきません。
同じく拘禁されている同修たちと共に迫害を暴き、反迫害の行動を取るべきだと思いました。しかし、大隊の指導者や科室の職員が監視室で当直し、警察官の廊下での行動を監視しており、当直の警察官と一般の労働教養者は廊下を絶え間なく巡回しながら、各監房の大法弟子の一挙手一投足を見張っていました。このような状況の中、私はどうすればよいのでしょうか? 『轉法輪』の第五講で「天魔」に関する内容を読んだとき、この迫害が修煉者にとってどれほど邪悪で、残酷な試練となるかを既に理解していました。学法を進める中で法の内涵が層々展開され、師父は私に智慧と勇気を与えてくださいました。恐喝や脅迫に直面しても、私は恐れることなく、恐れない心で立ち向かうことができました。
その後の日々において、私は同修たちと共に、邪悪が狂ったように行う迫害の中で邪悪勢力との正邪の戦いを始めることとなりました。
私は多くの人々が監視している中で、同修たちとどのように迫害を否定し、どのように正念をもって脱出する法理を交流する方法を考え始めました。交流の後、「転向」されていた学習者は考えを改め、信念が堅い同修たちはますます確固たる信念を持つようになり、正念も強まりました。ある日、私は師父が新しく発表された経文を上着のポケットに入れて監房に向かいました。私は同修たちの前に立ち、両手を背中で組み、背中を監視カメラに向けながら、目でポケットを一瞥しました。同修はその合図を理解し、手を挙げて瞬時にポケットから経文を取り出しました。同修たちは、収容されている他の人々に非常に気を使い、助けていました。そのため、一般の教養所の収容者たちも法輪功学習者を理解し、支持するようになり、彼女たちは密かに伝言や経文を手渡し、すぐに同修たちは師父の説法を読むことができました。
厳重な監視の中で、同修たちは自らが受けた迫害の経験を文字にし、賢明にそれを外に広めました。外の同修たちはこれらの迫害の真実をインターネットで公開し、ビラを作成して地元で配布しました。そして、その真実を加害者に送り届けることで、邪悪な勢力の横暴な態度に、強力な衝撃を与えました。ある警察官は、自分の家の近くに何箇所も自分の悪行を暴露した真実のビラが貼られているのを見て、仕方なく一つ一つ探して、ビラを消し去っていきました。また、何人かの警察官の悪行も明慧ネットで暴露され、悪人リストに載せられ、それが悪人に対して大きな威嚇となりました。
外部の同修たちは、真相を伝える小型スピーカーを労働教養所の大きな壁外にある高い木に掛け、真実を放送しました。労働教養所内の同修たちはこれを聞いて非常に励まされました。多くの同修たちは長期間の迫害を否定し、予定より早く家に戻ることができました。あの数年間を振り返ると、私たちは手を取り合い助け合い、同修たちは内外で協力して悪人とその悪行を暴露し、迫害を抑え、邪悪を一掃し、法輪功学習者を労働教養所から早期に解放することができました。
私はずっと一緒に働いていた前の同僚たちのことを気にかけていました。このパンデミックが始まった後、私は前の同僚たちの電話番号を同修に提供し、同修が電話をかけて彼女たちに三退を勧めました。中には非常に喜んで中共の邪党組織から抜けた人もいれば、「迫害のことをもうやらない」と言ってくれた人もいました。
終わりに
20年以上が過ぎましたが、中共による法輪功に対するこの残酷な迫害は今も続いています。大法弟子たちは圧力を受け、危険を冒しながら様々な形で、そしてあらゆる方法を駆使して、絶え間なく真相を伝え、迫害を暴露し、命を救おうとしています。中には真実を理解し、法輪功への迫害に関与しなくなった人もいれば、今もなお迷い続け、権力と利益に駆り立てられて良心を売り、邪悪に加担している人もいます。
私の周りで迫害に加担していた刑務官について言えば、労働教養所の所長3人は、迫害に関与した後、急病で亡くなりました。中にはまだ退職していない者もいれば、不法行為で処分された者もいます。若い中間管理職や一般の警察官も急病で亡くなり、さらに家族まで巻き込まれて命を落としました。
私たちはこのような悲惨な出来事を見たくはありませんが、善悪には報いがあり、それが天理です! この末法の時期、人間の命を得ることは難しく、法輪佛法が世界中に広まるのは千載一遇のチャンスです。私は同じ道を歩む人々に、「この一瞬の機会をしっかりと捉え、悪事を働かないで、自己を救いなさい!」と願っています。
(完)