文/ヨーロッパの大法弟子
【明慧日本2025年3月1日】昨年の夏、私は大きな病業の難関を経験しました。今日、師父にこのことを報告し、この難関を乗り越えた心の道程を同修と共有したいと思います。
6月末のある日、突然体中に鈍痛を覚え、激しい倦怠感を感じました。はじめは疲れただけだろうと思い、少し休めば良くなると考えていましたが、2日後に腰に赤い発疹が現れました。発疹は、またたく間に体の片側一面に広がりました。そして、発疹の上に大小さまざまな水疱ができました。頭に浮かんだある念が私に告げました。「あなたは帯状疱疹にかかったのだ」
師父は『轉法輪』の中で、私たちに「物事の善し悪しは人間の一念によるものである」と教えてくださっています。インターネットで調べると、私の症状は帯状疱疹のそれとまったく同じでした。そこでうっかり、帯状疱疹になったのだという考えを受け入れてしまいました。
この一念だけで、邪悪が仕掛けた罠に自分を陥れることになりました。この難関を突破するまでに、最終的に4週間を要しました。
医学書によれば、帯状疱疹になる原因には、体の免疫機能の低下、過大な精神的ストレス、体内に潜伏している水痘(みずぼうそう)ウイルスの再活性化があります。
私は29年近く修煉をしてきました。これまでずっと法を学び、煉功を続けてきたのです。免疫システムの機能が低下するはずはないと思いました。
しかし、長期にわたって多くのプロジェクトを担当し、精神的なプレッシャーは確かに大きいと感じました。でも、よく考えてみると、たとえプレッシャーが大きくても、このように免疫機能が低下するはずはありません。このようなことは師父の按排ではありえません。
師父の按排でないなら、それは邪悪の妨害に違いありません。邪悪が私を妨害できるということは、私の修煉に隙があるということです。では、邪悪に利用された隙とは一体何だったのでしょうか? 突然、数日前に心の中でつぶやいたことが魔難を招いたのかもしれないと気づきました。
数日前、私は同修と短い会話を交わしました。その時、この同修が私に何かをしてほしいと期待しているのを感じました。しかし、彼女の具体的な要求を理解できなかった私は、後でメッセージを送って何をしてほしいのかを尋ねました。
彼女の返答は、「すべての同修について、その一人一人の求めや悩み、心配事をそれら同修たちと共に、あなたに抱えてほしい」というものでした。
同修のこの返答に込められた私に対する期待と要求は、当時すでに無理をしていた私にとって、私の体にさらに山を押しつけようとしているようなものでした。私の心は動揺し始めました。「日々、これほど多くの困難を解決し、厄介なことに対処しなければならないというのに、ではいったい私自身の悩みは誰に相談したらいいのか」と、思ったのです。
同修はさらに、「あなたが慈愛に満ちた母親のように、だれにでも優しくなれることを願っている」とも言いました。修煉者は本来、洪大な慈悲の心を修めるべきです。しかし、こう言われた瞬間、私の忍耐力は限界に達し、心のプレッシャーは爆発寸前だと感じました。感情を抑えようと努力しましたが、それでも心の底から恨みの気持ちが湧き上がってくるのを感じました。そのせいで、心の中で不平を言いました。「私も皆と同じ修煉者なのに、なぜすべてを私に押し付けるの? あなたたちの私への要求は高すぎる」
ここしばらく、修煉があまり進んでいないと感じていた私は、心を落ち着けて修煉の状態を調整する必要がある、と切実に感じていました。
怨みと不満が私の心を占拠しました。まるで癇癪をおこした子供のように、私の心は叫んでいました。「私だって他の人と同じように学法と煉功がしたい! なぜ私はこんなに多くのプロジェクトのまとめ役をしなければならないの? なぜ私は普通の学習者のように家で着実に学法と煉功の時間を持てないの?」。私は常に多くの仕事を担当してきました。その間、自分のことを考える余裕がなかったせいで、心に不平不満がつのっていたのです。これが邪悪が私を妨害する口実となりました。
その後の数日間、私の頭の中は、いくつかの仕事をどのように他の人に任せるか、ということばかりでした。指を折り一つ一つのプロジェクトを数えあげては、専門性が高くて人に一気に任せることができないため、段階を踏んで進める必要があるのはどのプロジェクトか、と算段しました。
さあ、どのプロジェクトを人に任せることができるでしょうか。そのとき、私の心の中には2人の自分がいました。1人は「早くいくつかの仕事を任せて、自分のための時間をもっと作らなければ」と言いました。もう1人は「今はまだ法難の時期だ。師父はすでに私たちや衆生のために、あまりにも多くのことを引き受けてくださっている。あなたがこのように責任を放棄すれば、師父にご迷惑をかけることになるかもしれない、ということを考えたことがあるのか」と言っていました。
自己中心的な自分と、師父が法を正すことを手伝って衆生を救い済度する責任を理解している自分が、あたかも走馬灯のように私の頭の中をくるくると交互に回っていました。
当時の私は、時間の問題をどう解決するかということばかり考えていて、何が自分の心をこれほど不平不満で満たしているのかを自問することはありませんでした。実は、プレッシャーから逃げ出したいという私の心が、邪悪につけ込ませたのです。
邪悪は恐らくこう考えたのでしょう。「仕事を減らして、学法と煉功の時間をもっと作りたいんだろう? いいだろう! 病気になって毎日家で療養していればいい」
邪悪の按排は破壊的でした。私の体にできた小さな水ぶくれは、すぐに一つに繋がった大きな水ぶくれになりました。最初の数日間、体内に3本の太い鎖が引っかかっているような感じがし、息を吸うたびに、その鎖の1本が内臓を引っ張り、激しい痛みを惹き起こしました。
呼吸をコントロールし、ゆっくりと息をすれば痛みの間隔を延ばせるかもしれない、と私は考えました。しかし、効果はありませんでした。すぐに、心臓が1回鼓動するたびに、その鎖が引っ張られ、痛みが襲ってくるようになりました。時には、足を1歩踏み出すのさえ非常に困難でした。
邪悪は私の家を、私を閉じ込めるための牢獄に変えてしまいました。数日後、ズキズキする痛みは灼けるような痛みに変わり、腰はまるで烈火に焼かれているかのように、24時間絶え間なくその痛みが続きました。やっと横になれる姿勢を見つけても、せいぜい1時間ちょっと眠れるだけで、またすぐに痛みで目が覚めてしまいました。
私は師父が『北米第一回法会での説法』で説かれたことを思い出しました。「修煉は最も良い休息です。あなたが睡眠で得られない休息を得ることができます」
そこで、私は「修煉は最も良い休息です」という言葉を何度も何度も心の中で繰り返し唱えました。夜中に痛みで目が覚めたら、起きて座禅(第五式の功法)をし、座禅が終わると再び横になってまた少し眠りました。そして、また痛みで目が覚めたら、再び起きて座禅をしました。
以前の私は夜が短すぎると感じ、寝ればすぐに起床時間が来てしまうと思っていました。今、私は長い夜がどういうものかを実感しました。
この時の私は、これが全て自分の業力によるものだと考えていました。自分の業力は自分で消すしかないと思い、どうしようもない、耐えるしかない! いつかは消え去る日が来るはずだ、と考えました。
このようにして、私は一日一日を耐え忍びました。毎日、学法と煉功以外に、明慧ネットの交流文章を大量に読み、自分の問題を探しました。過去6カ月間の修煉過程を振り返ると、最大の問題は修煉を緩めてしまったことだと気づきました。
今年の初め頃は、私たちの国での神韻公演スケジュールが、非常に密集している時期でした。私は、国内の神韻公演プロジェクトの調整チームの一員として、幸運にも神韻とともに、会場から会場へと移動する機会を得ました。
同時に、プロジェクトのプレッシャーが大きく、限られた時間の中で、心を落ち着かせて学法と煉功をすることが、大きな課題となりました。
普段、家にいる時は、通常の勤務時間に合わせて学法と煉功する時間を設定するのが比較的容易でした。それに比べて、ツアー中は突発的な事態が常に発生して、それに即座に対応する必要があります。
これによって、通常の生活リズムを維持するのが難しく、修煉と仕事のバランスを取ることも、突発的な事態に対応する必要があるために難しくなりました。
毎日煉功、学法をしていましたが、しばしば心が落ち着かず、頭の中でふと「後で誰々にメールを送らなければ」「誰々に電話をしなければ」「これやあれやしなければ」という考えが浮かんでしまいました。
徐々に、法を学ぶ際に悟るものが少なくなっていきました。大法の本を何十ページも読んでも、特定の言葉やフレーズに心が揺さぶられ、突然明確になるような感覚がなくなっていったのです。
その時は気づきませんでしたが、法を学ぶ時に心が静かでないことは、実は法に対する敬意が足りないことの表れであり、法理から得られる悟りが少なくなるのは当然のことだったのです。なぜなら、法は人が得たいと思えば得られるようなものではなく、修煉者の心性が修煉によってしかるべき境地に達した時にのみ、得られるものだからです。
数カ月の間、私は毎日走り回って疲れ果てました。私たちのチームには人手と車が足りなかったため、地元の神韻公演のサポートに関する手配をすること以外に、神韻グッズ部門の貨物運搬も担当していました。
そのため、電車で公演都市から次の公演都市へ移動し、電車内で法を学んだり休憩したりすることができず、常に貨物を満載した車で走り回らなければなりませんでした。
高速道路は頻繁に渋滞し、1人で9時間、10時間と運転することも珍しくありませんでした。4月末、神韻の国内ツアーが終わる2週間前、私は発熱し、全身が痛み、運転中に背中を伸ばすこともできず、ハンドルに伏せてしまいたいほどの辛さでした。これは大法弟子のあるべき状態ではありません。自分の修煉に問題が生じていることは明らかでした。
神韻ツアーが終わって、私は通常の生活リズムを取り戻しました。学法と煉功の時間が増え、より安定した生活を送るようになりました。しかし、(ツアー中に感じていた問題に関して)修煉によって実際に突破できたとは感じられませんでした。自分がどこで行き詰まっているのかさえ分かりませんでした。
しかし、時間の問題に関することに出くわすと、私は異常に敏感になり、時には強い反応を示していることに気づきました。
ある同修が毎日法を暗唱していて、とても良いから早く法を暗記し始めるべきだと明るく私に勧めてきたとき、また、別の同修が毎日朝晩、異なるグループと一緒に法を読み、昼間も他の同修と一緒に法を暗記していると話すのを聞いたとき、これらの同修のために喜び、彼らを尊敬する一方、心中穏やかではありませんでした。なぜなら、私の仕事が多すぎて、これらの同修のように多くの時間を取ることができなかったからです。
1999年7月20日に中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害した後、私は他の多くの大法弟子と同じように、反迫害と真相を伝える活動に専念し、多くのプロジェクトの調整役を担当しました。
この25年間、ほぼすべての休日を仕事に費やし、私の生活には「休暇」というものがありませんでした。とても忙しかったけれど、私の人生はシンプルで充実していました。時間と睡眠以外に不足しているものはない、と常に感じていました。他の同修が休暇を取ったり、家族と休日を過ごしたりすることを羨むこともありませんでした。
しかし、今では他の同修が私よりもはるかに多くの時間を、法を暗記したり学んだりすることに使えるのを見て、心のバランスを崩しています。私の心には嫉妬心と不満が同時に湧き上がってきました。
時間を節約するため、普段から物事を素早く行うよう自分に要求してきました。そのため、ある事柄や人物が私の時間を多く占めていると感じると、心の中で思わずイライラし始めます。重要だと思う事が捗らず、それに時間がとられれば、やきもきもしてきます。
当初、この状態は旧宇宙の利己的な特性が私の心に反映されているものだとは気づかず、積極的にこの面で自分を修めようとしませんでした。
昨年の夏、この自我への執着が、私の心の中にネガティブな思考を雑草のように蔓延させました。それは自分の感情をより重視し、頻繁にイライラや不安、さらには不満を感じる、ということを表面に生じさせました。
調整役を担当しているので、同修たちが私のところにやってくる時は、解決しなければならない問題を抱えている場合がほとんどでした。自分が自動販売機のように機械として扱われているように感じることがよくありました。誰であれ、メールやメッセージ、電話をくれれば、この「機械」はすぐに解決策を出さなければなりません。出せなかったり遅れたりすると、時には非難や叱責を受けることもありました。
徐々に、逃げたいという考えが生まれました。このことが最終的に、邪悪に付け入る隙を与えることになってしまったのです。
(続く)