文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月2日】明慧ネットに掲載された記事を読んで、この事件に対してあまりにも怠慢で、事の重大さを理解していなかったことに気づきました。根本的な原因は、やはり私心が重く、常人の快適な生活に陥り、修煉を怠ったことにあります。このような深刻な法難に直面した時、ただ象徴的に四つの時刻に、発正念の時間を10分ほど延長する対処をしているだけです。しかも、自分の周りの同修は大体このような状態にあります。旧勢力が師父を陥れるために画策したことが、実は私たち大法弟子と宇宙の衆生に対する迫害であることを深く認識していません。
私たちは旧勢力の思い通りにさせません。さもなければ、すべての衆生が危険にさらされることになります。私は学法グループの同修と話し合い、毎日学法後一緒に正念を発することにしました。一緒に正念を発することは一人で行うよりもずっと強力で、入静の状態も良いことがわかったからです。
私たちは、一度に30分間から1時間の正念を発することにしました。毎日、常人の家庭や日常の事柄を脇に置き、正念を発することにできるだけ多くの時間を費やしました。このように数日間続けました。師父は私が正念を発する間、何度か他の空間の光景を見せてくださいました。ここに書き留め、同修が正法の進展に早く追いつくように励ましたいと思います。
集団発正念の初日、約1時間が経過した頃、突然、煙が充満した戦場の光景が目の前に現れました。広々とした場所で、まるで戦いがすでに終わったかのように、対戦する双方は見えませんが、突然、場所の中央に焚き火が現れました。次第に、ぼろ服を着た大勢の人が火の周りに集まっているのが見えました。みな虚ろな目で、ぼろぼろの服と乱れた髪をしていました。小さな火を見て彼らはまるで希望が見えたように、輪になって火の周りに集まっていました。
この光景を見たとき、どういうことか理解できませんでした。しかし、翌日、正念を発していたとき、私たちが長時間にわたって正念を発したことで、ある空間の戦場において、絶望した人々にとって、希望の火種が光り、力が増し、生きる勇気をもたらされたことを、師父が示してくださったことに突然気づきました。
二番目の場面は、古代の衣装を着た女性が大きな器を持っている場面です。器には汚い黒い下水、泥、そして無数の白いウジ虫やミミズがいっぱいです。女性は嫌悪感もなく汚水の中に手を入れ、ミミズが全部なくなり、底には泥と砂だけ残るまで掴み出し続けました。
この光景は、私たちがその日、長時間の正念を発し、別空間の多くの汚物や虫が滅ぼされ、その空間の一部を浄化しました。しかし、まだ水がきれいでないため、さらなる努力が必要となります。
さらに2、3日が経ち、私が1時間近く正念を発していたとき、再び水を盛った器が見えました。ただ水はよりきれいになり、底が一目でわかりました。泥や砂、虫はいませんが、水は黄ばみ、黒い不純物がたくさん浮いていました。場面は変わり、浜辺に人間ほどの大きさのピンク色のひょうたんがあります。底部から金色の箔が生まれ、徐々にひょうたんを包み込んでいき、やがてひょうたんはピンク色から金色に変わりました。
これらの光景はすべて師父が私たちに、継続的に正念を発するように激励してくださっていることを私は知っています。学法グループの人数は少ないのですが、発正念の効果は非常に強力で、別空間の邪悪を消滅させるのに大きな役割を果たしています。そのひょうたんは、まるで別の次元から師父が授けてくださった法器のようでした。長時間の発正念の中で、ひょうたんは「黄金のひょうたん」に進化し、エネルギーもますます強力になりました。
長時間発正念への妨害も非常に大きく、主に、邪悪によって入静出来ず、イライラしたり、落ち着かなくなったりすることです。このようなことが起こった場合、自分の経験では、毎日法をよく学ぶという前提で、周囲の同修と一緒に発正念をすることで良い効果が得られます。グループの二人の同修は、一人で発正念すると、落ち着かずイライラしますが、皆と一緒に発したときはとても良く、エネルギー場も大きく感じると言いました。
次に、1時間の発正念が必要だと思います。1時間近くなって初めて、師父は私にいくつかの場面を見せてくださいました。それは私への励ましだと思います。最初は継続するのが本当に大変でした。自分は発正念をするときすぐに入静できるほうですが、通常はせいぜい30分しか入静できません。ある時、もう我慢できず、発正念をやめようと思ったのですが、師父が『轉法輪』の中で説かれたことを思い出しました。「大法無辺という言葉があり、どこまで修煉できるかは、あくまでもあなたの心の修煉次第で、忍耐力と苦しみに耐える力にかかっています。」私はこの節を暗唱し続け、次第に落ち着きました。
私の周りの同修が一般にこの問題を真剣に受け止めない理由は、主に私心、安逸、自己満足、そして発正念の力に対する、理解の欠如によるものであることがわかりました。
師父はこのように説かれています。「皆さん知っているのでしょうか? 大法弟子よ、皆さんの正念は作用があるのです。一人ひとりが働いた作用が合わさると、巨大無比なものになります。それほど大きな作用が現れなかったのはあなたの信念が足らず、正念が足りないからです。これほど多くの大法弟子は同じ時間に全世界で正念を発し、一億以上の大法弟子が全世界で同じ時間に正念を発していますが、邪悪と旧勢力にとって恐ろしいことではありませんか? 神にとっても非常に壮観な光景です。なんと強い力でしょう! 一人の大法弟子は正念が非常に強ければ、山を切り分けることができ、一念でやり遂げてしまいます。」(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)
今は法を正す最後の瞬間です。環境が緩和したからといって、修煉のペースを落とさないでください。常人の安楽な生活に陥り、三つのことをまるで任務をこなすかのように形式的に行い、内に向け非を探すのも表面上であれば、このような怠慢も修煉に対する真剣さの欠如の現れです。
師父が「実は法難は地域の違いによって終了するということはありません。表れ方が違うだけです。法難の中で最後に残る生命と淘汰される生命を選択しているだけで、大法弟子の中で合格できる人とそうでない人も選択しています。」(『法難』)と説かれました。
大法弟子の主体は中国にいるため、私たちは邪悪を滅ぼし、衆生を救い済度し、師父の法を正すのに手助け責任を当然負わなければなりません。この法難の中で衆生が騙され、滅ぼされることを許してはなりません。私たちは師父の名誉を守らなければなりません。同修の皆さん、この問題を真剣に受け止め、師父が私たちに与えてくださった発正念の能力を使い、この戦いに勝利してください。
上記は私の個人的な理解です、不足があればご指摘ください。