文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月30日】この前、私は北米の300人以上の学習者が参加するチャットグループでの議論を見ました。議論の中で、多くの人が、神韻に対する最近の訴訟に関与した元学習者と中国共産党の工作員が悔い改めたなら、彼らにチャンスを与えるべきだと述べていました。これらの学習者は、彼らに真相を伝え、考えを変えさせることが大法の威徳を証明することだと信じていると述べました。
これらの同修の認識に対して、私はこう考えました。許そうとする学習者たちは、実は悪人を守るために学習者を装った中国共産党の工作員なのではないかと思います。このような辛い教訓は数多くあります。私たちの地域の610弁公室の責任者・白(仮名)は、法輪大法の迫害に積極的に参加していました。ある学習者は、学習者への迫害をやめさせるために、私たちは正念を発してすぐに白を消滅することを提案しました。
もう一人の学習者は、白はかつて天体の王だったのだから、私たちは慈悲深く真相を伝えて白を救うべきだと反対しました。その結果、白は残りの任期中に100人以上の学習者を刑務所や労働教養所に送りました。もっと早く白に対して正念を発していれば、私たちはこんなに大きな損失を被ることはなかったでしょう。
明慧ネットの記事「悪事を働く者に現世で報いを受けさせることは神の慈悲である」という文章の中で、作者はこう述べています。
「悪事を働く者に現世で直ちに報いを受けさせることは神の慈悲です。師父や大法、大法弟子に対して悪行を働く者に現世で直ちに報いを受けさせることは、その者への懲罰であると同時に、彼ら自身や衆生への慈悲でもあります。悪事を働いた者がその報いを受けることで、自らの行為が招いた結果であることを分かるようにさせます。それが恐怖によるものか、迷いから抜け出すきっかけとなるかは別として、彼らが悪の道をさらに進んでいくのを防ぎ、罪を犯すことを減らし、最終的に完全に滅び去ることを免れさせるのです。悪事を働く者が少しでも悪行を減らし、あるいは悪事をやめ、さらには善に転じることができれば、それは大法弟子にとって迫害や妨害が減ることを意味します。また、世人や衆生にとっては、救われる機会が増えることになります。これこそが、神の大いなる慈悲ではないでしょうか?」
師父は「法は乾坤を正し、邪悪を全滅する」「法が天地を正し、現世で直ちに報いがある」(『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」という口訣を教えてくださいました。
一部の同修は、口訣の後半部分(法が天地を正し、現世で直ちに報いがある)を控えめに使っていました。
師父はこう説かれました。「この人はたびたび悪いことをし、わたしが大法を伝えるのを妨げるので、わたしはとうとう彼を徹底的に始末しました」(『轉法輪』「第五講」)
修煉者は法を正すことを念頭に置くべきであり、個人の修煉を念頭に置くべきではありません。観念にとらわれてはいけません。法を正すために必要であれば、私たちはいつでも修煉した能力を使うことができます。
農民は、ジャガイモの山の中に腐ったものがあったら、すぐに捨てなければ他のジャガイモが汚染されてしまうことを知っています。元学習者は師父を訴え、その悪影響はかつての王であった人々を惑わしました。木を救うために森を荒らすべきではありません。
ある学習者の親戚が最近学習者になりました。彼女は最近アメリカに行き、ニュースでこの訴訟のことを知りました。中国に帰ってから、彼女は親戚にこう言いました。「バカね、法輪大法はあなたが思っているようなものではないのよ。アメリカでは訴訟が起こってるのよ…」。彼女はチャットグループで大法と師父の悪口を言いました。その元学習者(元神韻の出演者)の行為は、確実に人々に干渉してしまいました。
師父はこう説かれました。
「昔のことはさておいて、まず最近のことについて話します。神韻はギリシャに到着したら、劇場に入ることを禁止され、公演の中止を命じられました。政府から劇場までこの決定を下し、公然と契約破棄したのです。翌年、ギリシャの経済は全面的に崩壊しました。これは本当のことですね? 去年、エクアドルは神韻の公演を禁止し、物資輸送まで妨害し、次の国での公演が危うく影響されそうになっていたのです。非常に邪悪でした。中共邪党が裏で妨害しているとはいえ、決定は政府が下したのです。翌年に起きたことは皆さんも見たのですが、今年、全国で地震が起き、国まで崩壊の崖っぷちに立たされたのです。たくさんの人が死亡しました。他にもあると皆さんは知っていますが、そうではありませんか? なぜこのようになったのでしょうか?」(『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」)
もし人々が大法を聞いて救われることを望まなければ、最終的に神は彼らを排除します。もし修煉者が邪悪な妨害を排除しなければ、神は最終的に邪悪を排除します。しかし、こうすると、修煉者は誓いを果たせなくなる危険があります。
個人的な認識ですが、法に基づいていないところがあれば、指摘をお願いします。
【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです。】