文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月5日】「明慧週刊」1218号の「同修の皆さん、『地方版週報』の制作と配布を重視してください」という文章を読んで、大変啓発されました。私の地域では多くの面で不足があると感じています。特に法輪功迫害に関する資料の配布において、「明慧週報」や私たちの省の週報、市の週報がほとんどありません。
師父の「現地の人々に現地の邪悪を暴露する」という言葉を学び、地域の住民に真相資料を配布し、地元での迫害状況を伝えることの重要性を理解しました。それによって人々に明確な認識を持たせることができますが、現在、私の地域では資料拠点がますます減少しています。
新年を前に、法輪功迫害の真実を知っているという同僚に会い、彼女に現在の情勢や大災難を避けて平安を保つ方法について話しました。そして、中国共産党がまだ法輪功を迫害していることを伝えました。彼女は驚いて言いました。「まだ迫害が続いているの? あなたたちはもう寛大に扱われ、自由になっていると思っていました。全く知りませんでした!」私はさらに伝えました。「実は迫害は一度も止まったことがないのです。表面上は人々に偽りの現象を作り出し、公開から隠蔽へ、現在は外見上は緩やかだが内部では厳しい状況です」。この出来事から、生きとし生けるものが依然として中共に欺かれていることが分かります。
私が理解し、見てきた状況では、多くの同修の考えの中で、これらの資料をあまり重視せず、必要ないと考えています。もう一つは、法輪功迫害の実態を伝え人を救う際に、もし通報されたら安全ではなく、それが迫害の口実になると考えていることです。
これは私が見た状況であり、必ずしも正しいとは限りませんが、注意を呼びかけたいと思います。大法弟子の思いはすべてエネルギーを持っており、もし私たちの多くが真相資料は重要ではないと考えれば、世の人々は真相を受け入れ理解しようとしなくなります。しかし、時には真相を伝える際に慌ただしく過ぎ去り、はっきりと説明できないことがあります。もし私たちが衆生に一冊の真相資料を渡し、自分で帰ってよく読んでもらえば、人々に真相を本当に理解させ、本当に救われることになるかもしれません。それは単に三退(党・団・隊からの脱退)をさせるだけではありません。
もう一つの点は、私たちは無私無我で、自分より他者を先に考える生命になろうとしているということです。もし自分が迫害を受けないようにするためであり、本当に衆生のことを考えないならば、このような考え方も正しくないと思います。私たちが触れたものはすべて輝いているのに、どうして迫害の口実になりえるでしょうか?それは大法弟子が真相を伝える武器なのです。おそらくこの二つの誤解が、資料を配布する同修がますます少なくなり、資料拠点もますます少なくなっている主な原因でしょう。
もちろん、私たちの地域には人を救う実効性を特に重視している同修もいます。真相資料を配布する際には、いつも丁寧に自己密封袋に入れ、異なる読者層に異なるタイプの真相資料を配布しています。そして配布前に、まず正念を発して自身と外部の空間場を浄化し、師父に加持を請います。
さらに、同修たちは多くの提案を思いついても、地元のコーディネーターに伝えることができません。コーディネーター同士がコミュニケーションを取らなければ、それぞれが勝手に行動し、結束力を発揮できず、ばらばらな状態になるかもしれません。実際、現在の中国では、誰もがコーディネーターであり、待ったり、頼ったり、求めたりすることはできません。しかし大多数の同修は互いに様子見をしています。このようにして、大多数の世の人々が迫害の真相を理解できなくなっています。
今、同修たちは私たちの地域が全体的な協力において昔ほど良くないと感じています。昔の私たちは、集まれば形になり、散らばれば点になりました。しかし現在、重大な事態に直面したとき、同修がやりたくない、行動したくないのではなく、明確な目標がなく、全体を形成できず、より大きな役割を果たせないのです。
同修の皆さん、誰にも頼らず、思い立ったら、法に照らして、主体的に行動しましょう。誰もが自分自身を修煉しており、師がおり法があります。本当に師父を信じ、大法を信じ、間違いがあれば改め、法の中で絶えず向上すれば、必ずうまくいきます。
以上は個人的な理解です。法に合わない点があれば、同修の皆さん、慈悲深くご指摘ください。