文/潇哥
【明慧日本2025年4月6日】『後漢書』の「方術列伝」に、費長房の物語が記載されています。「方術(ほうじゅつ)」とは、中国古代の専門的な法術の総称で、祭祀や祈祷、呪術、占星術、不老長生術、煉丹術、医術などを指します。方術を駆使した人々を「方士」といい、方士はたいてい修煉者です。
費長房は漢の時代の人で、市の役人として働いていた時期に、市場で薬を売る老人をよく見かけました。老人は毎日、薬売り場にいて空の酒つぼに掛けて、日が暮れると自分がつぼの中に飛び込むのでした。市場の人々は誰もその光景を見たことがないのですが、費長房は建物の二階からそれを目撃していました。
費長房が酒と肉の干物を持って老人に会いに行くと、老人は費長房が自分の不思議な力に引かれて来たことを知り、「明日また来てください」と言いました。
翌日、費長房がまた老人のもとを訪れると、老人は彼を連れてつぼの中へ入りました。中には美しい建物があり、まるで別世界のようでした。費長房は自分が仙人に出会ったと分かりました。老人はこの体験を他人に話さないようにと念を押しました。
修行の世界では、いつも師匠が修煉の素質を備えている弟子を探すもので、弟子が師匠を探すわけではありません。費長房は素質が良く、修行に縁があると思われたため、老人がつぼに飛び込む場面を彼に見せたわけです。つぼの中の世界まで見せるのは、彼の既存の固定観念を破って、宇宙の真理を肉眼で見る必要がないことを示すものでした。
老人は費長房に、「私はもともと神仙ですが、過ちを犯して処罰されました。今はその処罰を終え、帰る時が来ました。あなたも私と一緒に行きますか。別れの挨拶として、下に少し酒を用意しました」と伝えました。費長房は部下に酒を取りに行かせましたが、持ち上げることができませんでした。さらに10人の部下を遣わせても、やはり持ち上げられませんでした。このことを老人に報告すると、老人は微笑んで下に降り、一本の指で簡単に酒つぼを持ち上げました。
これは、老人が費長房に再度、人間と仙人の違いを理解させ、世俗的な考えを捨てさせようと教育したのでした。
酒を入れる容器はたった一升しか入らないように見えますが、二人で一日中飲んでも飲みきれませんでした。費長房は仙人になるための道を求めたいと思いましたが、家族が心配するのを恐れていました。そこで、老人は費長房の身長と同じくらいの長さの竹を一本切り取り、彼の家の外に掛けるように言いました。家族がそれを見た時、目に映ったのは竹ではなくて、費長房の身体そのものでした。彼が自ら首を吊って命を絶ったと思い込み、家族は驚きと悲しみでその竹を埋葬しました。
それから費長房は老人と共に山奥へ行き、荊棘(けいきょく)を踏みしめ、虎の群れの中へと入りました。老人は費長房に一人で留まるよう命じると、彼は全く恐れませんでした。そして、老人は費長房に空き家で寝るよう命じ、彼の心臓の上方に腐った縄で万斤もの重さの石を吊るしました。多くの蛇が縄を噛みに来て、縄が切れそうになっても費長房は微動だにしませんでした。生死をかけた試練を彼はすべて乗り越えて、素質の良さを示しました。老人は戻ってきて、「あなたは本当に教える価値のある人材です」と言いました。
さらに、老人は費長房に糞を食べるよう命じますが、中には数匹の蛆虫が這っていました。この試練は、費長房の何らかの業力や執念に対して設けたものかもしれず、具体的な記録はないため、その理由が分かりません。
費長房は気持ち悪さを感じ、それを食べることができません。老人は「あなたはもうほとんど成就できるところですが、この試練を乗り越えられなかったらどうしますか」と言って、結局、費長房を人間社会に戻らせて、さらに修行を続けさせるしかありませんでした。
老人は符を一つ描いて彼に渡し、「これによって地上の鬼神を支配できます」と言いました。また彼に1本の竹杖を与え、「これに乗って、好きなように走らせれば、自然と家に帰れます」と言いました。
費長房は老人に別れを告げ、竹杖に乗ってすぐに家に帰りました。家をたった10日間だけ離れたと思っていましたが、実際には10年以上が経っていました。家族は彼がとっくに死んだと思い、生きて帰ってきたことが信じられませんでした。費長房は「以前に埋葬したのは私ではなく、1本の竹だったのです」と言って、家族に墓を掘り起こさせて棺を開けると、竹がまだそこにありました。
その後、費長房は百病を治すことができ、鞭を使って鬼を追い払うことができるようになりました。時には一日のうちに、彼が千里も離れた数カ所に現れるのを人々が目撃することもあります。彼の奇跡は広く伝わりました。しかし後に、老人が描いた符を失ない、費長房は多くの鬼に殺されました。
北宋の有名な文学者である蘇轍が『後漢書』を読んだ際、費長房が符を失い、多くの鬼に殺されたことに注目しました。蘇轍は自分の著作に、「実は、費長房が法術を持っていられたのは符の力ではないと思う。法術を使って人を救うが、人には何も求めないので、符にはじめて彼を守る力を持つだろう。道士が法術を使う際、たいてい最初は清廉であるが、最終的に貪欲に包まれる。これは費長房が符を失い、死んだ理由である」と記しました。つまり、費長房が鬼を追い払い病を治すことができたのは、符自体の力ではなく、彼が道法に従い法術で人を救い、人から何も求めなかったからです。修煉の過程で、費長房は最初は道法に従って何も求めずに行動できましたが、名声が高まるにつれて、人々から賞賛の声が増え、彼に名利を求める心が生まれました。貪欲が生じた時点で、そこまでの修行は台無しになり、これが費長房が符を失い、殺された理由です。
老人が符を描き費長房に与えて、彼に鬼を退治し病を治す力を与えたのは、彼に修煉させるためです。人々に邪を除いて病を治す中で、みんなから賞賛や金銭の贈り物がありました。名声が高まるにつれて、修煉者は自分がどれほど能力があり、他人にはできないことができると思い込みがちですが、実際は、最初に、彼は真剣に道を求める心があったため師匠のご加護を得たのであり、普通の人にはない能力を発揮できたのです。しかし、一度名利心が生じると、常人の境界に滑り落ち、常人の生老病死の状態に戻ります。常人は師匠が残した符を使う資格がありません。そのため、費長房が符を失ったと言われています。師匠の保護がなくなったら、業力の返済ができず、最終的に鬼に殺され、修煉を続け、レベルを上げる機会を失いました。
修行の過程で、成果を出して名声を手に入れたら、すぐに求道の初心を忘れて修行を最後まで続けられない例は、歴史上の小道修煉に多く見られ、後世に教訓を残しました。修煉者が「符を失う」教訓は、後世の修行を志す人々にとって、重要な参考となるべきです。