文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月6日】「同修は鏡」とよく言われます。相手の言動を通して、自分の修煉の足りなさに気づけるからです。最近の同修とのやりとりから感じたことを、同じような経験をしている方に少しでも参考になればと思い、書いてみます。
ここ2年ほど、同修Aさんには「大きなことを言うけど、実際はやらない」癖があることに気づきました。たとえば、他の同修が法を書き写す際に間違えていると、「私は昔、一文字でも間違えたら1ページまるごと書き直していた」と話しますが、実際には彼女の字は誰よりも乱雑です。他にも、ある同修が「家が雨漏りして修理が必要」と言えば、「それは心性の漏れよ。内に向かって探すべきだ」と言いながら、自分の家が雨漏りした時には、何千元もかけて屋根を徹底的に修理しました。また、長く病業の難にある同修に「うちに来たら? 一緒に関を乗り越えよう」と言っていたのに、実際にある同修が一晩泊まっただけで、すぐに不機嫌になってしまいました。さらに、地元で同修が連行された時は「正念を持って救いに行こう」と言っていたのに、噂や緊張感が高まると、子供に連れられて外地へ避難してしまいました。
私は前からAさんのこうした言動に気づいていましたが、次第に彼女を見下すような気持ちが出てきて、彼女を見るたびにモヤモヤしていました。でも、それは自分の心が揺さぶられていた証拠で、本当は「自分の中にも同じような問題があるのでは?」と気づくべきだったのです。ただ、その時は表面的にしか見れず、深く自分を掘り下げようとしていませんでした。
最近、ある同修が転んで骨の位置がずれるほどのけがをしました。Aさんは「認めちゃダメ、否定するのよ」と言いました。けれど、自分がぎっくり腰になった時は、眉をひそめてうつむき、正念がまったく見えませんでした。私は思わず笑いながら(でも内心は問い詰めるような気持ちで)、「人にはあれだけ言ってたのに、自分の時はどうしたの? 正念はどこ行ったの?」と口にしました。その時の私は、彼女に早く乗り越えてほしいという気持ちもありつつ、「いつも人に偉そうに言ってたけど、今度は自分の番だな」と、ちょっと面白がる気持ちもありました。そんな自分の複雑な心に気づいた時、「これはおかしい」とハッとしました。私はすでにAさんに対して「観念」を作り上げていて、それが私たちの間に「壁」を生んでいたのです。これは単なる反感ではなく、修煉における重大な問題です。Aさんの言動は偶然ではありません。なぜ私はそれを目にし、心が反応したのでしょうか? それは、自分自身の中にも同じ心があるからです。今はそれがはっきりと分かります。
ある日、私は自分にも同じ問題があることに気づき、衝撃を受けました。地元では、現在の法難や同修の救出に向けて、リレー形式で発正念を行うことになりました。参加者は自分の都合に合わせて時間帯を選ぶことになり、私は夜10時から10時半を担当することにしました。子どもの宿題を見たあと、10時には寝かせる習慣があるからです。ところが、ちょうどその夜から、別々に寝ていた娘が急に「一緒に寝たい」と言ってきました。それが2日続き、発正念は結局できませんでした。その瞬間、「言ったのに実行していない。Aさんの言動と同じではないか」と、ハッとしました。思い返すと、集団学法のときにも、自分はよく「今の法難を正しく捉え、発正念の重要性をもっと理解しないと。同修の救出も他人事ではない」と言っていました。しかし実際、ちゃんとできていたのでしょうか? 本当に理解が深まったのでしょうか? 同修のことを自分のこととして見ていたのでしょうか? 他の同修の修煉体験を話すときも、「あの人は毎日『轉法輪』を三講学んで、法も何度も書き写している。私たちとは全然違う」と、口ではあれこれ言っていました。けれど、自分は何も変わっていないのです。学法も増えていませんでした。「今は法を正す最後の段階。私たちは標準に達しないといけない。師父が時間を延ばしてくださっているのは、まだ多くの衆生が救われておらず、大法弟子が基準に達していないからだ」とよく同修に言っていました。しかし、自分は本当にその基準に達しているのでしょうか? 煉功は毎日続けられていませんし、スマホも完全には手放せていません。名誉、利益、情も捨てきれていないのです。「真・善・忍」に完全に同化できていないのが現実でした。
自分の言動を思い返して、私は思わず顔を覆って泣いてしまいました。「これでは、師父を裏切っているのと同じではないか。こんな自分で、本当に申し訳が立つのか」と反省しました。同修の前では立派なことを言いながら、裏ではいい加減なことをしていました。これは恥ずべき行為であり、言い方を変えれば「師父を欺くこと」です。私はAさんのことを「口では立派なことを言って、実際には行動が伴わない」と批判していましたが、実は自分の方がもっとひどかったのです。Aさんは、問題があればすぐに内に向けて探し、いつも心性を修めようとしています。彼女の言動は、私に「自分を見直せ」と教えてくれる鏡でした。それなのに私は、2年もそのことに気づかずに過ごしていました。悟性が本当に低かったと思います。今、心からAさんに感謝しています。自分でも気づけなかった問題を、たくさん気づかせてくれました。
師父に感謝いたします!
同修の皆さんに感謝いたします!