文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月9日】私は法輪大法を修煉してから29年が経ちました。その過程を振り返ると、まるで行脚のようなもので、この世間という大きな修煉場で、心を修め、境地を高めると同時に、師父が法を正し衆生を救うのを手伝ってきました。ここで、自分の経験と知見の一部を師父に報告したいと思います。
一、 大法が私に新しい人生を開いた
私は幼いころから、なんとなく苦しみを感じていて年齢を重ねるにつれて、誰もが生きていくのは容易ではないのだと思うようになりました。「自然界の春夏秋冬の循環や人間の生老病死など、これらすべては誰の段取りなのだろうか? また、人はどこから来て、どこへ行くのか?」これらの問いには、誰も答えてくれませんでした。
私は仕事のプレッシャーや様々な欲望が満たされない中、長期間にわたり抑うつを感じ、体に異常が現れ始めました。胸の圧迫感や息切れ、めまい、疲れやすさが続き、仕事を終えて帰宅したら、しばらく休んでからでないと家事をこなせませんでした。人生の目標を見つけることができず、また平凡なまま一生送るのが悔しいというのが、その当時の私の心情でした。
1995年8月、私は『轉法輪』を読んだことがきっかけで、人生観に大きな変化がありました。
「私はこの世に生まれてきたのは、大法に救われるためだったのだ!」と人生の目的と生きる意義を知りました。私がずっと解けなかった疑問は、『轉法輪』の中で全ての答えが見つかりました。自分は世界で一番幸運な人間だと感じました。
私は毎朝煉功場に行って煉功し、その後仕事に向かいました。数日間煉功をしただけで、私の体に大きな変化があり、歩くと風のように軽やかで、頭痛、胸の圧迫感、息切れの症状がすべて消え、とても元気になりました。それは師父が私の体を浄化してくださったおかげだと知っています。
私だけでなく、煉功場の同修たちも身体にさまざまな変化を感じており、早い段階で多くの病気が消えました。修煉後の心身の劇的な変化は、周りの人々にとても羨ましく思われ、その喜びは、その中にいない人々には永遠に感じることも想像することもできないものです。
二、観念を変え 名利に淡泊である
私は医療従事者です。現在の社会では人間関係が非常に複雑になり、利益のために奪い合うことは社会規範となっています。私は内向的で純粋な性格で、争いごとを避け、他人と争いたくないタイプです。職場では、上司や同僚たちから「良い人だ」と褒められ、私自身も自分が悪い人間ではないと思っていました。
しかし、大法の「真・善・忍」の法理に照らし合わせると、あまりにも遠くかけ離れていることに気づきました。私は、表面上の忍耐や争わないという善良な一面がある一方、負けるのを恐れる意気地のないところ、そして、他人の前で品位を保ち、見栄を張る心理があることに気づきました。実際、何か不公平な扱いを受けたとき、心の中では非常に不満に思っており、嫉妬やイライラが生まれ、消極的に対抗していました。口には出さないものの、顔色に表れることもよくありました。
私たちの科で1人の副職を抜擢することがありました。若くて学歴もある私が第一候補でした。しかし、私より年上で、学歴や業務能力が私に及ばない1人の女性同僚は、私に対して陰で競り合い、あらゆる手段で私を妨害し、上司に悪口を言って私を貶めようとしました。友人が私に上司への贈り物を勧めてきましたが、私は「そんなことはできません。何かを得るために上司に媚びたり、コネを使ったり、そんなことを私はしません。自分の能力と実力だけで努力したいです」と断りました。しかし、名利心を取り除かない限り、それに囚われてしまって苦しんでいたのです。そんな葛藤の中で、私はとてもつらく、体調もどんどん悪くなり、数年にわたり私たちは互いに競い合い続けることになりました。
そんな中、法輪大法を修煉を始めてからは、大法の法理は私の心の束縛を解き放ち、明かりのように私の道を示してくださいました。私は「自分がこの世に生まれてきた目的は、出世や名利、いわゆる人生の幸せを追い求めるためではなく『返本帰真』のためである」と理解しました。
法輪大法は、「どう生きるべきか、何が良い人で、何が悪い人なのか、それは『真・善・忍』で測るのだ」と教えてくださいました。たくさん法を学ぶことで、私は少しずつ常人との関係を正しく保つようになりました。真の修煉者として、名利を求める心を捨てなければならず、名利は人々が追い求めるもので、われわれ修煉者は自然に任せることを重んじるべきで、自分のものなら、無くなることはないし、すべては徳によって得られるものだと分かりました。
大法の導きによって、私はもはや自分とポジションを奪い争った同僚に対して恨みを感じなくなり、名利に対する執着心も薄れました。そして、損得のために苦しむことも、名利心に左右されることもなくなりました。心から争うことをやめ、名声を求める心を取り除いたことで、言葉で表現できないほどの解放感を感じ、まるで体から重い荷物を下ろしたようでした。
私の観念が変わると、数カ月後に、私は新しく設立された科に異動となりました。
三、仕事の中で「真・善・忍」を実践し、大法の真相を広める
医療従事者として命を救うのは私の職責ですが、大法弟子として、私は大法の素晴らしさと迫害の実態を伝える使命があります。新しく設立された科は特殊な治療技術を提供しており、患者やその家族と接する時間が比較的長いため、さまざまな社会階層の人々に出会うことができます。一般市民のほかに、警察や検察、裁判所関係者、各業界の要職、教師、記者など、多くの人々に大法のことを伝える絶好の機会を提供してくれました。
この治療チームの中で、私は主に技術的な操作を担当しています。私の業務能力と思いやりの態度が評判になり、多くの患者が私に治療を依頼してくれます。患者同士の情報伝達によって、他の病院で治療を受けた患者も私を慕ってやってきます。
私は「私のもとに来る人々は大法のことを聞き、大法に救われるために来たのだ」と考えています。私はできる限り機会を見つけて彼らに真相を伝え、大法の資料やディスクを渡しました。大多数の人々はそれを受け入れ、大法のことを理解し、三退(中国共産党の各組織からの脱退)をしました。それによって、たくさんの人が恩恵を受けました。
ある日、重篤な患者が入院治療に来ました。その患者は以前、北京のある大病院で診断を受け、「治療の価値はないので、帰りなさい」と言われたそうです。家族は患者の病状があまりにも重いため、途中で亡くなったら困るので、私のところに来て、少しでも症状を緩和してからまた家に帰ると考えていました。運ばれてきたその患者は40代で、半昏睡状態でした。私はすぐに彼の耳元で「私の声が聞こえますか?」と尋ねました。彼はかろうじてうなずき、言葉を発する力もなく、まさに命が危険な状態でした。
私は彼に、「心の中で『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』という心からの九文字を念じてください。これが命を救えます」と言いました。そして、再び彼に「学校で共青団と少先隊(中共の組織)に入ったことがありますか?」と尋ねると、彼は「あります」と答えました。「それを脱退することが、あなたの健康に良い影響を与えますが、了承しますか?」と聞いたところ、彼は「はい」と答えました。
本来ならば、治療は2時間ほどかかりますが、彼は症状がひどくて耐えることが難しいため、1時間で終了しました。その後、私は彼の妻と妹に病状を説明し、彼女たちにも「心からの九文字」を唱えるように伝えました。
家に帰った後も、私はその患者のことが気になりましたが、翌日仕事に来ると、その患者の妹が廊下で私を迎え、嬉しそうに「心からの九文字はとても素晴らしいです! 兄は生き返りました!」と報告してくれました。私は「法輪大法は人を救う佛法です。マスコミの宣伝に騙されないでください。天安門焼身自殺事件は政府が仕組んだ法輪功への罠で、焼身した人物は法輪功学習者ではありません」と伝えました。その患者と家族は大法の良さと迫害の実態を知り、患者の回復は非常に順調で、状態もとても良好でした。再度私の病院に来る際には、付き添う必要がなくなり、患者自身が自分で交通機関を利用して来ることができました。私はその患者にきれいな大法のお守りのカードを渡しました。彼はそれを大事にして、毎日身につけています。
また、ある高齢の患者が私たちの病院で治療を受けており、普段は娘が付き添っていました。患者の息子は時々顔を出し、話し方がとても丁寧で、市の政府機関で勤務していると言いました。私は何度もその娘に大法のことを伝えたことがあり、彼女は非常に理解を示し、三退もしました。お正月に患者の娘は私にお金を渡そうとしましたが、私は断りました。私は彼女に「私は信仰を持っているので、お金に執着してはいけません。あなたの気持ちはありがたく思いますが、お金は受け取ることはできません」と説明しました。彼女は少し考えた後、「それなら、最も必要なところに使ってください」と言いました。つまりそのお金を大法に使ってほしいという意味でした。私は笑いながら断り、感謝の気持ちを示しました。
その2年後、私は大法のプロジェクトに参加したことで迫害され、警察に連行されて留置所に入れられました。ちょうど国慶節の日に、市の政法委員会と公安の指導者たちが連携して留置所を視察に来ました。その中には、あの患者の息子がいました。彼が市の政法委員会で働いていることを後で知りました。
私が病院で働いていたとき、ある政府機関で会計の仕事をする女性患者がいました。彼女の夫と息子がよく見舞いに来ていました。彼女の夫は検察院に勤務しており、私が何度か大法のことを伝えましたが、最初、彼は非常に反発し、中共の言い訳ばかりしていました。しかし、接することにつれ、私は彼に大法の資料を渡すことができ、徐々に彼は変化していきました。ある日、患者の息子は私に「あなたが話してくれた法輪功のことを聞くと、とても納得できるところがあります。母にもっとあなたの本や資料を見せてくださいませんか」と言ってくれました。私は師父の広州での説法のディスクを渡しました。その後、私は何度か彼女の夫に検察院の中で、迫害に関わっている人物の情報を尋ねると、彼は私に必要な情報を提供してくれました。
また、ある労働教養所の警察官がいました。彼女の息子が私たちの病院で治療を受けていました。
そのころ、労働教養所はまだ解体されておらず、そこでは法輪功学習者への迫害が非常に深刻でした。接する中で、私は彼女に何度も大法のことを話し、「大法弟子を大切にすることは、あなたに福報(良い知らせ)をもたらします。大法は素晴らしいと信じることは、あなたの命運を変えることになります」と伝えました。彼女の生活も大変で、夫はすでに亡くなり、息子も重病にかかっていました。息子の治療のために、多くの借金を抱えていました。
大法を伝える中で、私は人には善良な一面があることが分かりました。労働教養所に不法に監禁されている同修を助けるように頼むと、彼女は職権の範囲内でできることをしてくれました。時には、迫害されている大法弟子の状況を私に伝え、また大法弟子を解放して家に帰らせるために機会を作ることもありました。私は彼女に「あなたの困難は一時的なものです。大法弟子を善良に扱うあなたには、必ず良い知らせが来ます」と言いました。
私たちの日々の言動が、大法の真相の一部であることを忘れてはなりません。私は仕事や日常生活の中で、修煉者として自分を厳しく律し、人々に大法弟子の正しいイメージを与えることを心がけており、大法弟子の名を汚さないように努めています。私の仕事環境、スキル、それに大法の真相を伝える知恵は、すべて大法から与えられたものであり、それをしっかりと実践しなければ、修煉を導いてくださる師父に申し訳なく思います。
(続く)