文/台湾の大法弟子
【明慧日本2025年4月15日】私は明慧ネットの文章【特別報道】私たちの師父を読んで、台湾の人がで神韻と飛天を訴えた理由は、台湾の学習者が人を手本にしてしまい、法を勉強しないという深刻な環境と深い因果関係があることに気づきました。
上記の文章にはこう書かれています。「子どもたちが李先生へ差し上げた手作りのプレゼントの数々を見ていると、退団後に中共に協力して法輪功と神韻を誹謗中傷した人々を思い浮かべます。これについて、李先生は『彼らは自分の意思で神韻に参加したのではなく、親の圧力で仕方なく来たからです。このような子どもはここでの振る舞いは良くなかったのです』」
師父はこう説かれました。
「あなたが修煉をやめようと思えば、誰も強制的に修煉させるわけにはいかず、強制すれば、悪いことをすることになります」(『轉法輪』「第一講」)
親として、子供にとって一番良いと思うことを子供に強制するのは、子供への愛情からして問題ないかもしれません。しかし、神韻に参加して師父の法を正す手伝いをすることは、法によれば、間違っていることになります。その仕事は自発的に行う必要があります。もちろん、法の教えに基づいて子供とコミュニケーションをとったり、説得したりすることはできます。
台湾の元神韻ダンサーが神韻と飛天を相手に訴訟を起こしましたが、これは過去の誤った観念や行為による業力の蓄積の結果であると私は考えています。
台湾の修煉者にとって、自分の子供が神韻に参加することは大きな名誉です。しかし、この名誉の感覚が大法の中で修めた神聖さから来るのか、それとも人間の追求の表れなのかは疑問です。親の中には、台湾の修煉者による強いお世辞や賛辞に影響され、法の観点から自分の子供が神韻のダンサーにふさわしいかどうか合理的に考えない人もいます。
これは実は子供の人生を台無しにしているのです。そして、この台無しは親が大法に従って子供を神韻に行かせたからではなく、逆に親が大法に従わずに子供を神韻に行かせたからなのです。
師父はこう説かれました。
「実は法難は地域の違いによって終了するということはありません。表れ方が違うだけです」(『法難』)
台湾のこのような人間の感情が、この法難の一部を引き起こしたと私は信じています。
これは私の次元での理解ですので、法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。