【明慧日本2025年4月15日】最近の私の修煉体験についてお話ししたいと思います。
中国共産党がいわゆる「ゼロ行動」を実施していたとき、私はコミュニティの女性職員から何度も電話がかかってきて嫌がらせを受けました。面会した際、私は、法輪大法は人に親切にすることを教えるもので、違法でもカルトでもないと説明しました。違法行為はせず、中国の公務員法に従うべきだと伝えました。ところが、彼女は法輪大法を誹謗中傷する発言をしました。私は、彼女に最終決定権はなく、すべて師父次第だと思っていました。私が協力しないのを見て、彼女は地元警察に通報すると言い張りました。「彼女(私のこと)は精神異常者なのか?」と警官は電話口で怒鳴りました。
警官は若い男性で、電話の時と同じ口調と態度でした。彼は私にまだ法輪功を修煉しているかと尋ねました。私は答える必要はありません、法輪功は違法ではありません、信仰の自由は憲法で保障されています、新聞出版総局は法輪功書籍の出版を禁じる文書を廃止しました、そして政府職員が事案の処理に責任を負っています、と答えました。
私は彼に言いました。「あなたはまだ若いです。これから長い人生が待っているのに、そんな風に振る舞うべきではないです」。彼は声を落とし、ずっと柔らかい口調になり、私を見なくなりました。
派出所に行く前に、私は自分に言い聞かせました。心配していたのは、自分自身のことや、自分に何が起こるかではなく、彼らが私を迫害したらどうなるかのことでした。正しい心構え、優しさの力、そして彼への真摯な思いやりによって、彼の善意が浮かび上がりました。だから、私が去った後、彼は私を追いかけませんでした。この問題は解決しました。
後になって、彼に幸運が訪れたと話に聞きました。彼が正しい選択をして、より良い未来を選んだからこそ、それが実現したのだと分かりました。本当に嬉しくて、安心しました。
苦難は解決された
中国共産党の政法委員会、地元警察、そしてコミュニティの職員が私の家にやって来ました。彼らは大法に関する物品を目にしたため、母を不当に連行し、家宅捜索を行いました。しかし、師父の慈悲深い保護の下、母はその夜帰宅することができました。
振り返ってみると、警官らが家に押し入った時、私の正念は揺るぎなく、利己的な考えは全くありませんでした。母がドアを開ける際に不注意だったと責め立てて責任転嫁することはしませんでした。旧勢力につけ込む隙を与えるわけにはいきませんでした。彼らが何を言おうと、彼らに決定権はなく、すべては師父が決めることだと固く信じていました。私が法の観点と利他主義の根本から考えていたからこそ、師父は私たちのために災難を解決してくださったのだと思います。
母は警察に法輪功の素晴らしさを伝え続け、違法行為をしないよう警告し続けました。その間ずっと、私の母は喧嘩をしないように気を配り、警官には善行と思いやりを常に心がけるよう繰り返し促しました。警察官の一人が不適切な行動をとった時には、私の母は悪事を働かないようにと警告しました。釈放後に、母の話を聞いた時、母は警官への憎しみを見つめ直し、それを打ち砕いたと話してくれました。
私たちは警官を憎んでいるわけではありません。師父は『二〇〇三年元宵節での説法』の中にこう説かれました。「法は確かに衆生に慈悲深いのですが、しかし威厳のあるものでもあります」。警官は大法と大法弟子に対して悪事を働いたので、処罰されるべきです。これは私たち自身の復讐のためではなく、警官と常人への警告です。人々は報いを受けて大法の威力を実感し、大法と大法弟子に対する態度を変え、大法に対して罪を犯さないようにすれば、救われるチャンスが生まれます。これが彼らを救う道であり、世界への最大の慈悲ではないでしょうか。
これらは私の見解の一部です。法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。
【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです。】