文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月15日】毎年恒例の「5月13日」修煉体験の投稿活動は着々と整然と進められていますが、修煉者の修煉環境、修煉状態、および文化背景が異なるため、修煉体験を書きたくない同修もいれば、書けない同修もいます。 最近、私に大きな感動を与えた出来事がありました。
ある日、同修が書いた修煉体験の原稿を私に持ってきて、それを整理して明慧の編集部に送ってほしいと頼んできました。見てみると、6枚の紙に白黒でびっしりと書き込まれ、誤字脱字は紙面のあちこちにあり、各フレーズや熟語には1文字しか書かれておらず、残りの文字は空白のままでした。 私は何も言うことができず、仕方がなく、心の中でこう思いました「仕方ない、校正するか!」。正直なところ、心の中の面倒なことに対する恐怖心が私を憂鬱にさせ、目がくらみました。自分はすでに76歳であり、もともと字を打ち込むことがおっくうな私は、何とか半分以上を入力し、翌日に残りの半分を完了させることにして、 ファイルを保存し、片付けをして、パソコンを閉じました。
翌日、パソコンを開くと、どうしても昨日保存したファイルを見つけることができません。間違いなく、ファイルは確かに保存されていると私は確認しました。妻は「これはあなたがトラブルを恐れているから、あなたをもっとトラブルに巻き込み、 あなたのトラブルへの恐怖心を取り除くためだと思います。師父に自分の非を認めてください!」と私に指摘しました。 この言葉は焼け付くように熱く私の胸に突き刺さりました。 私は心の底から師父に「師父、私は間違いました!」と謝りました。そして原稿を初めから校正し、仕上げて送りました。
私たちがいる町は県レベルの都市で、大法修煉者は少なく、師父の経文を持っている人は数十人いますが、人々を救う真相を伝える人は十数人にも満たないのです。また、数年前まではインターネット上で法輪功迫害の資料を作成する者は数人いましたが、近ごろ作成する人は私しかいないため、なおさら心の中で不平不満を感じていたのです。 我々は現在、高齢者の同修にしても、若い同修にしても、年齢は関係なく、そのうちの何人かは、家庭環境によって理解されていない状態があり、また、何人かは、真相を伝える勇気がなく、逃げ隠れしています。深く隠された「恐怖」が本当の家に戻れる円満成就への道をふさいでいるのです。
内に向けて探さなければ、悟ることもできません、内に向けて探し、悟ってみると、かなり驚きました。トラブルを恐れる心の背後には、まだ怨恨心、安逸心、名利心、焦る心、闘争心、人を見下す心、歓喜心、多かれ少なかれ嫉妬心など、たくさんの人心が隠されているのです。修煉者として、 多くの重い「枷」のような人心、洗い流せない常人の観念を帯びていては、どのように世俗を抜け出すことができるのでしょうか。
師父が私を悟らせて下さったことに感謝します。これから、私は修煉において正直でありながら、確実に修めたいと思います。