法輪功学習者・杜兆財さんが刑務所で受けた迫害

 【明慧日本2025年4月23日】山東省膠州市の法輪功学習者(以下、学習者)・杜兆財さん(50代男性)は2018年、膠州市膠莱鎮派出所の警官によって不当に家宅捜索され、連行された。2020年7月5日には山東省の刑務所に移送され、同年8月7日には第11監区に収監された。そして殴打や、小さな木製の椅子に座らされる拷問、拘束帯の装着、暗室への監禁、「眼開け」と呼ばれる監視、さらには飲水やトイレの制限など、さまざまな虐待を受けた。

 第11監区では、杜さんは「転向(法輪功の放棄)」を迫られた。殺人犯の鹿国保らが連日、杜さんにいわゆる「談話」を行い(学習者への迫害手段の一つで、邪悪な言葉で絶え間なく攻撃し、相手の頭を混乱させ、眠気や不快感を引き起こす)、法輪功を誹謗中傷する映像の視聴を強要した。朝6時に起床させられ、昼寝は禁じられ、夜は11時から12時まで小さな木の板に座らされて動くことを許されなかった。

 9月中旬、監区長の王伝松が第11監区に異動してきた。この人物は冷酷で残忍であり、拷問を好んだ。彼は詐欺犯の呉金大に「あいつらは痛みを知らなければ転向できないのか?」と言い、尋問室をきれいに掃除させた。

 10月5日午後、杜さんは殺人犯の孫友達、麻薬犯の徐超、職務犯罪者の呉可軍により、一階の尋問室へ連れて行かれた。そして刑務官の陳爍の指示によって、杜さんは拷問を受けた。

 この3人の犯罪者はいずれも凶暴で、拷問の経験が豊富だった。孫友達が言うには「ここの監視カメラはちゃんと動いてない。好きなようにやってやるよ。お前を痛めつける手立ては一万通りあるんだ」

 そして孫友達は木製の椅子を持ってきて、杜さんに無理やり拘束帯を着けさせ、椅子に押さえつけ、胸の前で膨張ボルトをきつく締めた。杜さんが抵抗すると、身長1.91メートル、体重100キロ以上、ボクシング経験のある孫友達が拳で杜さんの腰を激しく殴りつけた。さらに、両腕を椅子の背もたれに縛りつけ、両脇を椅子の角に押し込んだ。ほどなくして両腕はしびれ、紫色に変色した。さらに両脚の膝下を後ろに折り曲げて椅子の脚に縛りつけた。

 杜さんの全身は、椅子に完全に固定された。孫友達はタバコに火をつけ、杜さんの顔に煙を吹きかけ、徐超と呉可軍は杜さんの腕をつねった。しばらくして孫友達が「もう30分くらい経ったな。いったん下ろすか」と言い、3人は杜さんを椅子から下ろし、刑務官の陳爍を呼び入れた。

 陳爍は、杜さんに怒りの表情で「最後に聞くぞ! 『五書(法輪功を放棄させるために強制的に書かされる書類)』を書くか?」と問い詰めた。杜さんが拒否すると「(虐待を)続けろ!」と言って出ていった。

 孫友達ら3人は再び杜さんに拘束帯を装着しようと汗だくになって縛りつけた。今回は椅子の前脚を持ち上げて後脚を床につけ、杜さんの体を水平にし、顔を上に向けた状態にした(下絵参照)。そして額に一本のロープを押しつけ、その両端を別の物に結びつけて頭が持ち上がらないようにした。

 およそ1時間が経過すると杜さんの頚椎は限界に達し、ついに「五書」の記載を不本意ながら受け入れた。

中共酷刑示意图:约束带捆绑

中国共産党による拷問:拘束帯を装着

 その後も杜さんには「転向」の強制が続き、仏教の映像や書籍の閲覧も強要された。こうした行為は2カ月間続き、その後は労働への参加を命じられた。

 もともと体格のよかった杜さんだったが、長期間の拷問によって血圧は200近くまで上がり、1階から4階まで登るのに4度も休まねばならなくなった。心電図検査を受けた際、医師は「いつ死亡してもおかしくない」と診断した。それ以降、杜さんは書籍を運ぶような重労働には就かなくなった。

 なお、監区長・王伝松の規則を無視した過酷な管理の結果、2021年4月の清明節前後、受刑者・王興強が耐えきれず自ら命を絶った。さらに1週間後には青島の学習者・公丕啓さんも迫害によって死亡した。

 同年7月5日に第11監区と第14監区が入れ替わったが、直後の7月10日、杜さんは「もう労働はしなくてよい」と告げられ、代わりに再び「談話」が始まった。それは、労働現場で他の学習者と交流したこと、また普段から「思想報告」や「思想同意書」などを書かなかったことによるという。

 杜さんは毎日、受刑者の史偉、王貴団、陳生生らによって深夜まで「談話」を強いられ、遅い時には午前2時半まで続き、昼休みにも行われた。

 10日後、杜さんは6階の厳重警戒区に移され、15平方メートルにも満たない暗室で、食事も排泄もすべて室内で行うようにされた。共に寝泊まりする相手として受刑者・張光衛がつけられ、杜さんはこの区に収容された最初の学習者となった。

 厳重警戒区は重罪犯を収容する場所であり、そこはすべて独房である。独房には複数の強い照明がつけられ、窓は非常に小さく、壁はクッション材で覆われている。

 ここで受刑者の王貴団は、たびたび杜さんの家族や法輪功の師父の家族を罵倒し、杜さんの目の前で法輪功の書籍や師父の肖像を踏みつけた。受刑者の呉金大と孫友達は、拷問を加えると脅迫した。さらに王貴団と陳生生は、杜さんの目の前で監区長の王伝松に「杜兆財には少し手を加えなければ(つまり拷問なしでは)無理だ」と告げ、杜さんに1週間の罰として、朝から夜の11時か12時までの長時間の立ちっぱなしを命じた。

 この間、杜さんの顔色は黒ずみ、血圧は高く、心臓や胃の不調に苦しみ、夜も眠れなかった。ある日、夕食後に呉金大が大声で、「王伝松監区長が言った。今夜から杜兆財を3日3晩立たせろ。それが終わったら孫友達に引き渡して拷問を加えさせろ。法輪功を批判する文章を書かせるんだ。心にもない内容でも構わない」と叫ぶと、すぐに当番の手配が行われた。

 最初の当番のとき、杜さんは少し立っただけで体調の異変を訴えた。すると当番が受刑者の衛生係・李文達を呼び、杜さんの血圧を測らせた。李文達は王貴団を室外に呼び出し、小声で「降圧薬を飲ませろ。1時間おきに血圧を測れ。もし異常が出たら、救心丸を一度に8粒飲ませるように」と指示した。

 しばらくして、呉金大がやって来て「もう立たせなくていい」と言い、罰は解除された。

 10月4日、杜さんは強制された「五書」を否定する厳正な声明を作成し、それを監区長の王伝松に渡した。半月後、王伝松は異動となり、「新疆で1年間、支援する」として去った。その後、第14監区の監区長・梁敬達が11監区の監区長に任命された。

 2022年元旦、梁敬達は11監区の全ての服役者と学習者を1階に集め、血の旗を前にして罪を認め、悔い改める誓いを立てさせた。杜さん、王亮さんなど8名の学習者は手を挙げなかったため迫害され、他の者よりも長時間にわたって小さな木製の椅子に座らされ続けた。他の者が座らなくなっても、彼らは座り続けなければならなかった。王亮さんはさらに、4人の受刑者にトイレに連れて行かれ、殴打され、歯を1本落された。

 その後、杜さんら十数人の学習者はワクチン接種を拒否したため、梁敬達は激怒し、受刑者を指揮して彼らを病院に連れて行くよう命じた。例えば70歳を超える学習者の王忠実さん(後に迫害により死亡)は、担架で無理やり運ばれ、その際、孫友達が腰のベルトを引き裂いてしまった。

 2022年11月、パンデミックの際には杜さんら十数名の学習者は5階に移された。食事も足りず、物資も不足し、運動を禁じられ、ただ小さな木製の椅子に座らされることとなった。

 2023年の新年後、パンデミックが終息すると杜さんは再び6階の厳重警戒区に移され、この時期は杜さんにとって最も過酷な時期となった。朝は30分早く起き、夜は30分遅く寝かされ、昼休みも取れず、木製の小さな椅子に朝から晩まで座らされ、夜は2時間「眼開け」をしなければならなかった。4月頃、杜さんは迫害で右顔面麻痺を発症し、頭部に激しい痛みが十数日間続いた。神経性の頭痛となり、顔が歪み、目が斜めになり、寝床に横たわると天旋地転のような感覚に襲われ、右耳はほとんど平らになり、左耳よりも明らかに大きく、痛みを伴い、聴力も失われた。歩行が困難で、直線的に歩けなくなった。それでも杜さんは他の者と同じように座り、「目開け」をされ続けた。この学習者たちへの迫害は6月まで続き、杜さんは約4カ月間で肉体的にも精神的に限界を迎えていた。

 2023年10月、厳重警戒区が解体され、杜さんら学習者は通常の監房に移された。毎日座って過ごし、昼間は休息を取ることができ、夜は「目開け」もなくなり、鶏卵も支給されるようになった。しかし長期間の迫害により、杜さんの血圧は常に高く、最低血圧は130、最高血圧は200を超えていた。時には夜眠れないこともあり、身体は深刻なダメージを受け、とても衰弱していた。病院は杜さんに薬を服用するように言ったが、杜さんは拒否した。そこで病院は治療を拒否する書類にサインさせようとし、その様子の録画も求めたが、その目的は病院の保身だった。杜さんは「私は迫害されているので、サインはしません」と言った。刑務官の王棟は罵ったが、杜さんは監禁規則第一条を指さし「服役者の人格は侮辱されるべきではありません、あなたは人を罵ってはいけません」と言った。しかし、王棟は受刑者に指示して、治療を拒否する杜さんの様子を録画させた。

 その後、杜さんは点呼に応じず、血旗を掲げる際に立ち上がらなかったため、刑務官の陳爍に脅され、法輪功を学習している家族のことで脅迫された。陳爍は杜さんを脅迫した後、しばらく出勤しなかったが、後に3本の足の指が骨折していたとわかり、10日後に杖をついて出勤した(悪い報いを受けたか)。

 2024年8月8日、杜さんは地獄のような場所から釈放され、帰宅することができた。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/7/492385.html