日本明慧


三つの事を同時にしっかりと行うことこそ師父の按配した道である

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2006年1月20日】最近、真相資料を配る時いつも邪魔がある。人が階段を下りて来るとか、上がっていくとか、突然ドアを開けて出てくる人がいるとか、いつも警備員に出会うなど。自分でも修煉状態がよくないと思っていた。同修たちと一緒に法を勉強したり、自分で自分の問題に合わせて法の勉強をしたりし、よく考えてやっと気づいた。わたしは法を守る中で法を実証し、衆生を救い済度する問題と正法修煉との区別と関係についてはっきりしていなかった。そして結局、問題にぶつかると、いつもこの二つの問題を混ぜ合わせていた。

 ひとつの問題は邪悪の邪魔と迫害にあった時、わたしはそれを完全に修煉の関だと思っていて、結局邪悪はいつも私にいわゆる関を配置して通り抜けさせた。それによって邪悪に、わたしを邪魔し、迫害する機会を与えた。幸いにわたしは修煉の出発点を、迫害に反対し、法を守ることに置いていた。そうでなかったら結果は想像もつかない。

 もうひとつのことは法を実証し、衆生を救い済度し、真相を伝える事を常によく行えず、或いは足りず、しかも継続時間も長く、ひいてはよくやれなかったため、意気消沈状態に陥った。実は長い時間よく行えない、或いは足りないということは、すでに自分を正法修煉者だと思うかどうかの問題である。しかしわたしはよく行えない、あるいは足りないことを邪悪の邪魔や迫害と見なし、旧勢力の存在を完全に否定し、迫害に反対する前提で内に向けて探さすことができなかった。迫害に反対する中で自分を証明する執着があるのではないか、法輪功への迫害と自分への迫害に対して不満に思う常人の心をもって迫害に反対したのではないか、ひいては「修めた慈悲」を持って大法を守るという威厳の中で大法を守り、衆生を救い済度する目的に達することが私にはできなかった。個人の理解では、三つのことをよく行い、更によく行うことは自分を正法修煉者として思えるかどうかの正法修煉の問題である。

 わたしたちは様々な環境の中で法を実証しなければならない。大法を実証する三つのことを全てしっかりと行うことこそ、師父が按配した道である。わたしたちが三つのことをしっかりと行う中で境地が高まってくるその過程こそが、師父が私たちに按配された、法を実証する本当の正法修煉の道であり、真に法を守る中で法を実証し、衆生を救い済度する道である。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/20/118969.html