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遼寧女子刑務所:王秀霞さんが死に至った迫害の情況

 【明慧ネット2006年2月13日】瀋陽の法輪功学習者・王秀霞さんは、遼寧省女子刑務所で4年近く残酷な迫害を受けた。そこで彼女はめった打ちにされたり、セメントの床に寝かせられたり、身体に冷たい水を十数回もかけられたり、重労働を強いられたりして奴隷のように酷使された。2005年12月、監獄は全身傷だらけで、やせこけて骨と皮になり、命が危篤状態に陥った王秀霞さんを家族に押し付けた。ひどく迫害を受けた王さんは、2006年1月24日に41歳の若さで亡くなった。

 王秀霞さん(女性)は、1965年4月12日生まれで、もと瀋陽鉄道の公務員であった。7.20後、動揺なく法輪功を修煉し続けたため除籍された。 2002年2月6日、王さんは法輪功の真相資料を配ったため、瀋陽市公安局平和支局の河北派出所に不法に連行された。河北派出所の警官・蔡某(40余歳男性)は和平区玉屏二社の主任(女性)二人と一緒に家宅捜査を行い、家財を差し押さえた。悪らつな警官は包丁を使って王さんの家の洋服だんすを叩き壊し、土足でベッドの上をあちこち踏みつけながら、家の中をひっくり返してぐちゃぐちゃにした。

 その後、王さんは不法に4年の刑罰を受け、不法に瀋陽市安康病院(瀋陽市麻薬戒毒所)に拘禁され、最後には遼寧省女子刑務所(もとは瀋陽大北刑務所に位置し、2003年10月に瀋陽刑務所に移る)に移送され迫害を受けた。王さんは不法に2大隊に拘禁された。コードナンバーは2164であった。

 信仰を放棄しないため、王さんは遼寧省女子刑務所で心身ともに深刻な迫害を受けた。女子刑務所の迫害事情は封鎖されているため、下記は王さんが受けた迫害のわずかな情報である。いわゆる「転向書」を書かなかったため、王さんはめった打ちにされた。悪らつな警官は彼女の手をつかんで強行に書かせようとしたため、王さんの手はひどく傷ついた。悪らつな警官は彼女と他の人が話をするのを禁止して、毎日奴隷のように10数時間も強制的に働かせた。王さんがベッドに入るのを許さず、彼女を氷のように冷たいセメントの床に寝かせ、ただ一枚の薄い掛け布団を与えた。王さんの腎臓などに問題が起きて、足はひどく腫れた。にもかかわらず遼寧省女子刑務所の悪らつな警官と悪人は、また王さんの身体に冷たい水を10数回もかけた。

 2005年7月、家族が遼寧省女子刑務所へ見舞いに行って見たら、王さんはたいへん憔悴していた、面会の時二人の女性警官が身の回りで監視していた。王さんは、ただ自分はご飯が食べられないと言った。家族は彼女の足がひどく腫れているのに気付いた。その後、王さんの体は日に日に悪化した。家族はずっと「重病のための服役中の一時出所」を要求した。監獄側は罪と責任から逃れるため、2005年12月に王さんを女子刑務所から押し出した。その当時、王さんはすでに命が危篤に陥り、腹は大きく腫れ、気が遠のき、門歯はすべて落ちて、両足はむくんで、やつれて力がなかった。 家族は王秀霞さんを瀋陽市胸科病院(別名「瀋陽市第10人民病院」)に連れて行って診てもらったが、最終診断によれば両肺結核、左肋膜炎、心機能衰弱、貧血などの、重い症状で、すでに命が危篤状態に陥っていた。王さんは2006年1月24日に亡くなった。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/13/120688.html