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河北省滄州:法輪功学習者・王明鐸さんが受けた迫害

 【明慧ネット2006年2月23日】河北省滄州の法輪功学習者・王明鐸さんは、元滄州建設銀行の職員であり、健康で優しい人であった。悪らつな警察官・劉坎華らに84日間苦しめられて死亡した。幸福な家庭が壊された、道義上許されることではない!

 王明鐸さんは真、善、忍を堅信していたので、2001年、不法に3年間の判決を下され、唐山冀東刑務所に拘禁され、殴打され、毎日強制的に重労働させられた。2001年運河支局の不法な警官・劉坎華と運河区の悪党裁判所の徐昭和は王さんを審理する名目で、王さんの家族から1万元ゆすり取った。金を手にした後も、悪党の不法役人は続けて王さんを迫害し、お金も勝手に使って、返さなかった。

 2005年後半、王さんは経済的にとても困り、運河支局へ行き、劉にお金を返すように求めた。しかし、劉は返さないだけでなく、逆に、自分が学習者の金を着服したことを、王さんが多くの人の前で暴露したと怒り出し、2005年11月23日の夜、王さんを不法に連行した。11月25日、劉は家族にも通知せず、如何なる手続きもなく、王さんを唐山開平労働教養所に拘禁した。途中で劉は憎々しげに言った。「今回は絶対釈放しないからな。死ぬかもしれないが、その中で死んでもかまわない」。労働教養所は最初受けつけなかったが、彼らは頼み込んで、やっと一時的な拘禁を承諾した。

 王さんは連行された日から抗議の絶食をした。危篤状態に陥ったので、労働教養所は責任を逃がれるため、何回も劉に電話し、王さんを迎えに来るようにと催促したが、劉は電話に出なかったり、言い訳したりした。王さんの妻は劉に釈放を求めたが、結局釈放されなかった。

 王さんが危篤状態に陥り、労働教養所は責任を逃がれるため、2006年1月25日に釈放した。家に帰った王さんは皮と骨ばかりに痩せて、座る力もなく、横になることしかできなかった。労働教養所はこんなに弱っていても、薄着の王さんを車の後ろに乗せて凍えさせ、4、5時間もかかってやっと家に着いた。まったく人の道にはずれている。

 家に帰った後も、王さんは相変わらず非常に衰弱しており、食事をすることもできず、足が脹れ、お腹も膨れ、尿は失禁状態であった。結局2006年2月17日午前8時に死亡した。44歳であった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/23/121476.html