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共に精進する中で自分を修める(二)


文/中国の大法弟子 浄心

(明慧日本)最初は自分を高い位置において、自分が悟った理がなぜ他の人は悟らないのかと理解できませんでした。その表れとしては、同修の執着を見るやいなや、気になってたまらなくてすぐに取り除いて欲しくて、そのときの言葉もきっと他人には耐えられないものでした。しかし、自分では心の中でどうしてそんなに精進しないのかと愚痴っていました。その後、これは同修への執着で、根本的には同修への情だと認識できました。そこで心配する心や、不満の心、顕示心、急かす心、恐れる心など自分の多くの執着心が暴露されました。それから、私は同修と接することにおいて変わりました。彼女の欠点に執着しなくなり、彼女が法さえ学べばいいと思って、あなたは自分のことを修煉すればよく、私は私のことを修煉すればよくて、私たちはただ学法すればよいと考えるようになりました。それは、実はまた別の執着心の現れで、人の感情を害することを恐れる心、無責任、自己中心などです。これはすべて自分に執着する心で、師父はいつも、何かあれば内に向かって探すようにと説かれています。どうして自分はそうしないのでしょうか? 自分の執着がどこにあるか分かれば、それを修煉して取り除きます。しかし、そのとき私はまだ一体という概念がなく、師父がおっしゃった、私たちがグループで学法することは、私たちが互いに比較しながら、互いに促進し、共に向上させるためだということを認識していませんでした。そこで私たちは、同修の執着を見たら、自分が内に向かって探すと同時に、同修が受け入れられる能力の中で、善意をもってそれを指摘し、同修と一緒にみんなでこのようにすれば、私たち全体はきっともっと早く向上できるはずです。

 師父は最近の説法の中で、協調や協力のことをたくさん指摘されました。私は同修と接することについて、もっと分かったような気がします。人それぞれ修煉する道が異なり、修煉状態が異なり、現れた執着もまた異なります。だから私たちはみな同修の良い一面をみて、同時に自分の足りない一面を見て、みんなこのように比較しながら修煉すれば、自分を正すのに大きな力となるのではないでしょうか? 学法することで、同修がどうしても執着を悟らない、あるいは難関を超えられないとき、互い助け合い、全体の力を発揮すれば良いのではないでしょうか?

 協調、協力して、衆生を救い済度する

 ある全体の行動の中で、私は師父の慈悲と全体の作用を悟りました。ふだん真相を説明するとき、どう始めればいいかずっと悩んでいました。他人が私をどうみているのか気になっていました。どうやって他人が聞き入られるか、理解できるかなど悩んでいました。自分の執着のために、助けるべき人とたくさんすれ違ってしまいました。

 ある日、私たち6人は地元の派出所で発正念し、そして近くの市場で真相を説明し、効果は非常に良かったのです。みんな普段よりよくできました。私自身も説明するとき、なんの障害もなく、心が非常に純粋で、ただただ人を救うのみでした。会った人はみな話を聞きたいようで、私は再び、師父の慈悲と大法の威力を実感できました。ある老人は真相を知り、私の手をとって、「あなたはどこに住んでいますか? 名前は何ですか? 私は法輪功を学びたいです!」と絶えず感謝しました。ある若者は近寄ってきて、「CDはいくらですか?」と聞いてきた。私たちが無料で渡していると知ると大喜びで『九評』も受け取りました。若い女の子はお守りをもらって、両手で包み込み、「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」などの言葉を真剣に唱えていました。

 突然、遠くから若い男性が来て、『九評』がほしいと手を伸ばしてきたとき、私は最初ためらいました。そして、恐れる心を取り除いて、彼も救うべき生命だと思って、『九評』を彼にあげました。若い男性は喜んで本を受け取って行きました。ある中年男性は、バスで年配の同修に席を譲って私の隣に立っていました。彼は私が救うのを待っているのではないかと私は思いました。そこで、自己を突破し、彼に真相を言いました。同じバスにいる他の二人の同修が私のために発正念をしていました。最初にその男性は少し恐れていました。しかし、同修たちの発正念で、私たちができた平和的な場の中で、彼は最終的に共産党の関連組織を脱退することを決めました。彼はさらに自分が疑問に思っていることを質問しました。私が彼の質問に答え、彼はバス停に着いて降りました。

 実はその日、私は自分から説明する予定はありませんでした。ただ外に出て他の同修たちはどう真相を説明しているのかを勉強し、隣で発正念するつもりでした。だから私はペンも持っていませんでした。後でまとめてみると、少し残念でした。資料を渡すべき人が漏れて、真相を受け入れなかった人もいました。

 私は弟子の向上のために、衆生が救い済度できるために、師父の我々に対する按排を感じました。その日は天気がよく、自分の気分もよく、法に溶け込んでいる感覚を覚えました。邪悪の迫害や、密告などまったく考えることがなく、桃源郷にいるようで、ここはただ大法弟子が人を救い、人々が済度される場所なのです。

 以上は自分の次元での悟りで、同修のご指摘をいただき、共に向上できれば幸いです。

 (完)

 2010年6月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/30/224459.html

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