日本明慧
■印刷版   

中国の茶文化(四)

(明慧日本)

 (一)茶道の「苦

 お茶を飲む人はお茶の苦さを味わいながら、人生の苦しみを味わうという。人生はどれほどの苦しみがあるのか? 佛家では、生老病死の苦、怨憎(えんぞう)の苦、愛と生別離(せいべつり)の苦、求めようとも得ることができない苦などがあると考えている。しいていえば、人類の存在に当たるあらゆる物質と生きるための精神的要素はすべて「苦悩」をもたらす。だからこそ、佛は「苦しい境遇は限りなく、悔い改めさえすれば救われる」という。これは道家の返本帰真と同じく、人生、生死を見抜き「苦」から解脱することができる。李時珍の著作『本草綱目』ではお茶に関して次のような記載がある。「お茶は陰性、寒性苦味という物で、最も火をさますことができる。火は百病の元、火をさますと病気が治る」 お茶の苦しみの後に甘さ、苦しみの中に甘い特性があって、人間は人としての生き方、節約、淡泊、苦を楽しみとするなどを体験して悟る。

 (二)茶道の虚、静の美

 茶道には「静」へのこだわりがある。しかし、この「静」は黙って何も話さない静ではない。中国の茶道文化にある虚と静は心の虚、静を指している。外界環境の静はその次に配慮する。心の中に虚と静を失わなければ、雑談しても、談笑しても、芝居などを見ても構わない。お茶を飲む前に、悩みと執着を放して心を静かに、ゆっくりと茶の色、香、味、形の美感を楽しみながら、人生を再認識し心を癒して、虚と静の美しさを体験する。

 (三)茶道の平凡

 日本の茶道聖人とも称される千利休は「茶の元は湯を沸かして茶を入れるだけ」と述べた。茶道の本質は確かに日常生活の繊細なことから宇宙の奥義、人としての生き方を感じる。佛、道家も普段の生活の出来事から「修と煉」を通して、平凡な出来事から大道を悟るという。古代の人は「どんな小さな良いことでもやる、いかに小さな悪事もやらない」という。善行を一つするために、必ず福徳を積む。当然、小さな悪いことでもすると、その積み重ねで福が減って行き、最後に命を落とし、身内に害をもたらす可能性もある。少しずつの積み重ねで、世間の善し悪しの報いの因果となる。

 (続く)

 2010年7月8日


(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/2/217321.html

■関連文章
中国の茶文化(三)