日本明慧
■印刷版   

魔難を突破し、法の中で昇華する(二)


文/遼寧省の大法弟子 潔晶

(明慧日本)
 
 苦しみを突き破って、法の中で昇華する
 
 (一)情の関を乗り越える
 
 修煉を始めた後の多くの変化は私を幸福に浸らせ、人に会うと法輪大法は素晴らしいと言い、世界観はすべて変わりました。しかし、骨まで浸み込んだ後天的な観念は山ほど残っていて、私の修煉の道に横たわって邪魔するので、強靱な意志がなければ、それらを乗り越えることができません。修煉者の辛くて苦しい思いは本当に実践の中で体得することです。特に、情はなおさらです。
 
 今のように道徳が滑落し、気風が日増しに乱れ、人は悪いことばかり習い、または自分の生き方を自慢しています。私も情を重んじるので、いつも自分は他人よりましだと思っており、他人も私は良い人だと言っていました。しかし、夫は私に対する心が変わり、外科の診察中に知り合った女の人と付き合うようになったため、修煉前の私たちはいつもけんかし、殴り合うときもあって、彼のこれらの恥知らずな行為は私の心を激しく傷つけました。
 
 修煉後は法理に照らして、情を重んじる心を取り除きました。しかし、最初の頃は悟りが深くなくて、常に心が苦しくなりました。私は同修に、「師父が私に如何なる難を按排されても乗り越えることができるが、この難は本当に難しい。なぜ私はこの難に遭うのか」と言ったことがあります。彼のこれらの汚い行為を同修の皆に知らせて議論してみようと思ったことがありましたが、口には出しませんでした。この難は、私が自ら悟って乗り越えなければならない関門だと、今は悟っています。その時は、彼を見るだけで嫌な気持ちになり、相手にせず、話す言葉も冷たかったのです。ある日、彼は夜中の2時に家に帰ってきたので、私はつい自分の気持ちを抑えきれずかんかんに怒りました。彼は私を無視して寝床に入ったので、私も眠るしかありませんでした。それから私は夢を見ました。
 
 夢の中で、私は母の家のオンドルに横たわって窓から外を眺めていました。目の前に白い雲が漂ってきて窓の前に止まり、白い雲の中から黒い雲が吐き出され、その黒い雲が急に私の顔に落ちてきました。私は叫びながら力を入れてそれを落とそうと思いましたが、できなくて苦しくなりました。目が覚めてみたら夜中の4時でした。急いで起きて煉功場に行って煉功しました。夢のことを思い出して、これは私が心性を守らなかったから、業力が消去されずにまた私の身に帰ってきたことではないかと悟り、自分が心性を守ることができなかったことを悔しく思いました。家から煉功場までずっと悔し涙が流れ、それを見た同修からわけを聞かれたので、話すと皆が私を指摘しました。
 
 修煉過程で、私は男女の情を少しずつ取り除くようになりました。私は前生の業を返している、今は大法を修煉しているのできれいに返さなければいけないと思っています。私が遭うこれらの苦しみは偶然でないのです。心を修めて執着を断ち切って、本当に人から抜け出なければいけません。私は次第に、心の奥に隠されたいろいろな執着を放棄して、心から自分を変えています。ある日、彼はまた小さな事で私に喧嘩を売ってきました。私は彼と争わず「もう出勤しないと遅刻しますよ」と言いました。彼は何も言わず、私を見てから行きました。心にぶつかる数回の魔難の中で、私は執着心を取り除きました。大法は私を変えて、情から抜け出るようになりました。今は、さらに大きい試練が来ても乗り越える自信があります。師父は「あなたは心の中に放下できないものを持って天国に行くつもりですか」(『精進要旨』「真修」)とのお教えで自分を励ましています。
 
 人間の情は私達の全ての生活の中にしみ込んでいるので、修煉者は法に則って一つの思い一つの考えを律し、それらに対して淡白になり、次第にそれらを取り除き、慈悲心を修めるのです。私は絶え間ない学法と煉功により、心性が高まり、体も健康になり、修煉認識も強くなり、体から発散するエネルギー場も強くなって、家族をも制約することができました。家の環境もますます良くなって、正しい場により良くない場が正されてきました。
 
 (二)「病業」の形での迫害を突き破る
 
 私は1999年7.20以前、修煉の中での全ての病業の関はうれしい気持ちで乗り越えることができました。師父のおかげで病業は消え、体は浄化されて健康になりました。修煉を14年間続けてすでに62歳になりましたが、疲れることなく、仕事をするにも歩くときも自転車に乗るのも若者に負けることがなかったので、常人はうらやましがっていました。
 
 私は2004年に住宅を買いました。すぐ利益を求める心が生じて、毎日新しい家の装飾に使うお金の計算で頭がいっぱいになりました。一番大事な修煉の事を片隅に置いたため、すぐ旧勢力が隙に乗じ、死の境地に置かれました。2004年、10月のある日、突然頭がおかしく感じ、気分が悪くり吐いたり下痢したりして、天地がぐるぐる回り、体は動けなくなりました。家族の者はこれは大変だと思い、すぐ私を病院に運び緊急措置をとりました。病院でのCT検査で脳出血と診断され、すぐ省の大きい病院に緊急入院させられました。検査を受けた結果、脳腫瘍が発見され、すぐ手術を受けなければならない状況になりました。その時、私の思惟は明晰だったのですが、体は動けませんでした。家族と兄弟達は恐れて、早めに手術を受けさせるつもりでしたが、私の血液型が特別だったので、血液蔵庫に血がないため、すぐにはできませんでした。息子は私にどうしたらよいかと聞きました。私は早く家に帰ると言いました。その時、頭に浮かんだことは、すぐ家に帰って師父の説法を聞こうということでした。
 
 旧勢力と邪悪が私に無理やり押し付けた病業の幻想により、家に帰った後も、私は生死の間を何度もさまよいました。しかし「私は師父のお教えだけを聞き、旧勢力がどんなに私を苦しめても恐れることはない」と、しっかり一念を守りました。目を開けることができないときは目を閉じて師父の済南での説法を聞き、目を開けることができたときは『洪吟』を暗唱し、立つことができたときからは煉功をしました。頭には生死も、金銭も、これも、あれも、全てがなく法しかありませんでした。師父の慈悲のもとで、私の回復は早くて、一週間で立つことができ、二週間で屋外に出て歩くことができ、1カ月で全快しました。私のことを知った人は皆驚きました。脳出血は常人だと死ぬか後遺症が残って体が不自由になるかですが、私は後遺症も残らず生き生きとした健康な人になりました。人々は私の状態から法輪大法の不思議さを目にして驚きました。
 
 修煉はとても厳粛なことで、師父はいつも私達を守っており、私達を保護してくださいますが、邪悪はいつも虎視眈々と私達を狙っています。もし、修煉者がいつも法に則っていれば、師父はいつまでも加持してくださいます。しかし、修煉者が法から離れると、すぐ邪悪の隙に乗じられて、死の境地まで陥れられます。これらの「病業」形式の迫害から、修煉は少しもいい加減なことをしてはならず、いつも法に則って修煉することこそ最も安全だと分かりました。私の命は師父により救われましたので、着実に修煉して、少しでも師父の負担を軽減し、師父が安心できるように修煉することで、師父のご恩に応えようと思っています。
 
 (続く) 
 
2010年12月15日

■関連文章
魔難を突破し、法の中で昇華する(一)
「病業」状態が長引かないように
旧勢力の「病業」の迫害を否定する
魔難に陥った同修に慈悲をもって接する(三)
「病業」の関からの悟り(二)
魔難は向上するチャンス、修煉の歩みを止めてはならない(二)
常人の忍から修煉者の忍へ昇華
病業の魔難の中、深く執着を探した経歴(二)
病業の魔難の中、深く執着を探した経歴(一)
師を信じ、法を信じて、正しい道を歩む(二)