日本明慧
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同修よ、申し訳ありません


文/河南省の大法弟子 浄梅

(明慧日本)週末、私はパソコンに詳しい同修Aさんと会いました。Aさんは釈放されたばかりですが、私はすぐにこれまで解決していない技術の問題をいろいろ聞きました。Aさんが根気よく教えてくれた後に、同修のBさんはLANカードを渡して使用方法も教えてくれました。この時に、AさんはBさんにカードのメーカーを質問しました。Aさんは「このメーカーのカードは使えません。もし使おうと思ったら必ず技術ウェブサイトから訂正したプログラムをダウンロードしなければなりません」と言いました。私はすぐに、「それならダウンロードしてください」と頼みました。Aさんはちょっと困っているようで「家ではインターネットにつなげません」と答えました。Bさんはこの話を聞いて、「それなら今夜、家に来てください。家でアクセスできます」と言いました。Aさんは躊躇してから承諾しました。しかし、Aさんはちょっと無理しているように見えました。
 
 Aさんが帰った後に、私は3年前のあることを思い出しました。ある週末の夜、現地の同修はAさんと一緒に私の資料拠点まできました。Aさんは翌日の仕事に間に合うように、4時間続けて、水さえも飲んでいませんでした。パソコンやプリンタの点検をすると、もう22時になりました。当時、私はとても申し訳ない気持ちを持っていましたが、時間が経つにつれて忘れてしまいました。しばらくして、Aさんが中国共産党に監禁されたことを聞きました。悲しかったのですが、深く自分のことを反省しませんでした。
 
 3年後の今日、再びAさんと会いました。困っているAさんの表情、そして「家ではインターネットにつなげません」という話が私の心を打ちました。もし、私が早く技術のことを勉強して、自分でできたら、もし私が同修に依頼する心がなければ、もっと早く同修のために思いやりが持てたら・・・と私は後悔しました。もっと深く掘り出すと、その根本的な執着心が出てきました。それは私心です。
 
 同修よ、申し訳ありませんでした。私は、あなたの魔難を大きくしました。私はあなたの学法の時間を奪いました。私はあなたの煉功の時間、あなたの発正念の時間を奪いました。私があなたの家にインターネットが入らないようにさせました。考えれば考えるほど、私は同修に申し訳ありません、と言いたくなりました。そこで、私は今度自分のことは絶対に自分で解決し、依頼心、面倒臭がる心、安逸心その他の私心を絶対に取り除こうと思いました。私のところを資料拠点の一つにしたいのです。
 
 この文章を書き出したのは、もう一つの目的があります。それは、条件を備えているものの、資料を作らない同修は早く資料を作りましょう。また、インターネットに入れる同修は早く入りましょう。もう同修に依頼しないよう、私のようにしないでください。師父は、私たちに万能の神々になることを期待されていますので、師父はいつも知恵を与えてくださっており、同修に与える機会も同じです。私たちは同修を待つ理由がありません。待つばかりでは同修に害を与えるのです。自分にもよくありません。自分の修煉の道に遺憾を残す行為です。
 
 次元が限られていますの、不足のところはご慈悲に指摘してください。 
 
2010年12月31日

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