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自分を実証する考えを取り除く

(明慧日本)今日の午後、私は自分の修煉の過程を改めて考えてみました。何かが欠けていて、正しくないところがあると思いましたが、どこが欠けているのか分かりませんでした。私は根本を探すべく、自分の一つの考え、一つの念にまで注意をはらって調べ、ふるいにかけてみました。すると、すべての考えの奥深くに「私」があるのを見つけました。これは法を実証するのではなく、すべて自分を実証しているのです。私は驚きました。
 
  ここ数年、私は修煉によく励んでおり、あれこれに忙殺されていました。いつも同修と切磋琢磨し、協調し、技術も習得していましたので、同修の目には私はよく精進しているように見えていました。私はまた、小さな資料拠点を持っています。今日、角度を変え、突き合わせて考えてみると、法を実証する心が不純だったということを発見しました。例えば昨日、同修Aさんは、「同修のBさんが電話をかけてきて、『彼女のため発正念してください』と言います。彼女はまた邪魔されて、いつも呼吸困難を引き起こし、咳が出て眠れないそうです。これまで何度も彼女と切磋琢磨しましたが、やはり良くなったり悪くなったりしました」と言いました。それを聞いて、私は恨み始めました。ここは一日中忙しくて、さらに、手伝いが必要です。私が用事で彼女を探した時にはいなくて、自分に用事がある時だけ思い出すのです。
 
 修煉の過程で、私は落ち着いて自分の心を探し、面倒を恐れる心、人を非難する心、責める心、人を見くびる心、他の人が気に食わない心、いらいらする心、自分はできるという心を見つけました。これらのどこが法を実証しているのでしょうか。高い立場で、人より修煉が良くできているという姿勢で人を叱責し、自分を実証しています。長い間会っていない同修がいて、何度も探しましたが見つかりませんでした。彼女は切磋琢磨すべきです。こんな時期にまだしっかりしていないのです。このように、内心の奥深いところに隠れて、自分を実証していたのです。
 
  私はすぐに心がぱっと開きました。自分を実証する心は一つの最大の私心であり、とても深く隠れており、またとても狡猾です。法を実証する看板を掲げて、実は自分を実証しているのです。これは変異した観念です。旧勢力がこのようにしました。師父を手伝う名目で、それらのいらないものを師父に投げ、自分が残したものはまだ動かそうとせず、その結果、正法に困難をもたらしました。同様に、私達がこの観念を変えなければ、修煉の上で障害となり、同修の間に隔てをつくり、法を実証することに挽回できない損失をもたらします。
 
  次元に制限があり、適当でない所は同修の慈悲なるご叱正をお願いします。 
 
2011年01月15日

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