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【永遠の21歳】翼の折れた金色の鳳(一)(写真)

(明慧日本)中国北部の冬の寒風が、ガラスもないぼろぼろの小屋の扉の隙間から吹き込んでくる。部屋には、ただ土で築いたオンドルとベッド一つしかない。小太りで動きの鈍い女性が何の表情もなくオンドルに座っている。身体の下にあるのは尿で濡れた布団だ。部屋に充満している異臭を彼女は少しも感知することができず、ただ独り言を言っていた。
 
 カラスの巣に生まれた鳳凰
 
 一見して中年にしか見えない彼女が、実はまだ30歳にもなっていないことを誰が想像できるだろうか。彼女は柳志梅さんと言い、かつてこの農家に生まれた「金色の鳳」だった。
 
 志梅さんは、山東省莱陽市団旺鎮三青村の一般農家に生まれ、幼少から頭脳明晰で、成績は飛び抜けて優秀だった。親戚と隣人の記憶では、志梅さんが小学校から高校卒業まで必死に本を読んでいるのを見たことはないが、成績はいつもトップだった。1997年、選抜試験で17歳の志梅さんは「山東省第一位の成績」で中国屈指の大学・清華大学(日本の東京大学に当たる)の化学工程学科に推薦入学した。
 
 法輪功の修煉を放棄しないという理由で、2001年3月、彼女は清華大学を除名され、北京で不法に連行され、12年の懲役を下された。故郷の山東省女子刑務所に監禁されていた間、一時期、精神状態が異常になった。2008年11月、出所直前に刑務所に毒物を注射され、家に帰った3日後に毒物の影響が現れ、志梅さんは突然、精神状態が異常になった。しかも、容態は日ごとにおかしくなり、あれこれとでたらめを言ったり、手足を変に振ったりして、記憶も失った。現在も、依然として好転の見込みがない。
迫害を受けて精神異常になった志梅さん。誰かが近寄ると、彼女は両手を握って壁の隅へ逃げる

 
 林の中の煉功場所
 
 劉文宇さんは清華大学熱エネルギー研究科の博士。法輪功の修煉を放棄しないため除名された上、3年の懲役を言い渡された劉さんは、1998年7月に清華大学の法輪功の煉功場所で志梅さんに会った時の印象をこう語った。「彼女はとても純粋な娘で、とても頭が良くて顔立ちも良かった」その時、志梅さんは大学2年生だった。
 

 中国共産党が1999年7月に法輪功を迫害する前に、清華大学内の煉功場所は9カ所あり、志梅さんと劉さんはともに「林の中の煉功場所」によく行っていた。学生寮の中央に位置する面積が数百平方メートルのこの小さな林に、1995年に法輪功修煉者の姿が現れた。風の日も雨の日も、厳寒であろうと酷暑であろうと、毎朝6時もしくは7時に、林に煉功音楽が鳴り響いた。煉功する人がだんだん多くなるにつれ、林では午後と晩の煉功時間も増設された。
 
 「彼女は口数が多くないが、いつも黙々と真面目に自分の事をしていた」と劉さんは語った。林に煉功に来ていたのは、主に清華大学の学生たちだった。みんなが真・善・忍に対する信仰のためここに集まったので、ここには腹を探り合う暗闘とか、人間関係のもつれなどは見られず、真・善・忍で自分を律して良い人になろうとする努力が多く見られた。その頃は、本当に人生の中で最も輝かしい思い出だった。
 
 志梅さんは1998年に法輪功の修煉を始めた。当時、その煉功場所に来る修煉者が多かったため、彼女はいつも新しく学ぶ人の煉功動作を直してあげていた。ある清華大学の学友が当時の志梅さんを振り返り、「とても純真で善良な娘で、ふだんから厳正に法輪大法の基準で自分を律していた」「志梅さんは謙虚な人で、自分を誇示せず、純真で自分の意志をしっかり持っていた」と語る。
 
 煉功したため清華大学を除名される
 
 1999年7月、江沢民グループが法輪功に対して迫害を始めた。10月末、2年生の志梅さんを含む清華大学に在学中のすべての法輪功修煉者は、休学処分を受けた。休学の間に、法輪功を中傷する宣伝が天地を覆い尽くす勢いで現れた。学業を続けられず、学位を取得できない心配を抱えながらも、生活のためにゲームセンターでアルバイトを続け、彼女の法輪功に対する確信が揺らいだことはなかった。2000年2〜3月の間、彼女は復学の希望を持って北京に帰った。
 
 今後は法輪功を修煉しないという保証書を書けばすぐに復学できる、と清華大学化学工程学科の教務係は明確に志梅さんに言った。彼女は書かなかった。法輪功の修煉は間違っていないと思ったからだ。その上、法輪功は「真を修める」ことを提唱するので、自分が法輪功を放棄したくないなら、嘘の保証書を書いては駄目だと、きっと彼女は思ったのだろう。劉さんは、「私は彼女に感心している。当時、彼女はまだ19歳だったが、自分が正しいと思うことを守り通して、ずる賢い手段で逃れようとはしなかった。これは私に深い印象を残した」と話す。
 
 数回の連行、殴打、短期間の拘禁を経験しても、志梅さんは断固として信仰を放棄せず妥協もしないため、2001年3月、とうとう清華大学を除名された。
 
 魔難に置かれても他人を助けていた
 
 1999年7月に迫害が始まってから、志梅さんが清華大学に除名される2001年3月までは、法輪功に対する迫害が非常に深刻な時期だった。その時期に法輪功を放棄しないために中国共産党の迫害を受けて死亡した人数は、明慧ネットに記録されただけで183人にも及んだ。
 
 その中で、北京工商大学の教師・趙昕さんの死は国内外で大きな波紋を起こした。当時、32歳の趙昕さんは公園で煉功したため、2000年6月、北京市海淀区警察に拘留された。趙さんは殴打を受けて頸椎粉砕骨折になり、頸椎以下の身体が不随となった。清華大学と北京の他の大学の法輪功修煉者は交代で趙さんの面倒をみており、志梅さんも中の1人だった。
 
 中国人がこれ以上、中国共産党のデマに騙されないようにと、志梅さんは他の同修と一緒に法輪功の真相を広めた。劉文宇さんによると、「2000年、志梅さんは我が家にしばらく住んでいた。彼女はよく明慧ネットから法輪功の真相資料をダウンロードして、印刷し配っていた」
 
 迫害が始まったばかりの時期、このような真相資料の入手ルートはとても大きな役割を果たした。当時、多くの修煉者がまだインターネットを使えないため、中国で起きている迫害の実態はまだ広く知られていなかった。現在、10年以上の迫害を乗り越えて、法輪功修煉者は倒れるどころか、かえって強くなって進歩し、真相資料を作る資料拠点が至る所に現れた。法輪大法に対する信仰のため、農民でさえ鋤を持つ手でマウスを動かしたり、コンピュータを触ったことのない年配の修煉者でさえ幾多の困難を克服して熟練し、資料をダウンロードしたりしていた。迫害の実態を暴露するメッセージは、中国各地から続々と海外に伝わった。
 
 留置場の中の拷問と輝く日差し
 
 2001年5月、志梅さんは北京市海淀区にある借家から連行され、いくつもの留置場を転々として、最後に北京市公安局第7処の留置場に拘禁されることになった。
 
 「北京市公安局第7処」の留置場に入った大半の囚人は重刑もしくは死刑囚で、どの刑務所にも無表情に処刑を待つ受刑者が何人もいた。そこで耳にするのはただ足かせを引きずって歩く時の「ガラッ、ガラッ」という音と警官の罵声で、重苦しい空気に誰もが窒息しそうになった。
 
 志梅さんの存在は、一筋の微かな日差しのように、刑務所に温もりをもたらした。
 
 当事者によると、はじめて留置場に来た時の志梅さんは眉目秀麗で、すらりとして美しかったそうだ。「第7処」の留置場に拘禁されたある女囚は志梅さんから法輪功について知り、修煉を始めた。彼女の記憶によると、志梅さんは他の囚人と違って、彼女の優しさ、楽観と強さから囚人たちは法輪功の素晴らしさを知ったという。「自由に活動できる時になると、彼女はすばしこく行ったり来たりして、みんなに法輪功を教えていた。刑務所には経済犯が数人いて、比較的高い学歴と役職を持っていた。以前、法輪功修煉者が言ったことに彼女たちは振り向きもしなかったが、志梅さんの言ったことに対して、彼女らは『とても理にかなっている』と言った。麻薬密売で入獄した若い女性が日用品を買うお金がないのを見て、志梅さんは自分の日用品を彼女に分け、彼女に『洪吟』を教えた」
 
 実は、志梅さんは留置場の中で多くの苦難を受けていた。殴打されて彼女の頭部は変形し、胸にケガを負い、いくつも爪を剥がされた。
 
 以前、北京市豊台留置場に拘禁されていた時から、志梅さんは残忍な拷問を受けていた。警官らは椅子の1本の足を志梅さんの足の甲に置いて、椅子に座って力を入れてよじったり、彼女の足を殴ったりした。そのため、2カ月ほど彼女はずっとびっこを引いていた。
 
 さらに残酷なのは、数人の男が志梅さんを吊るして、「ほかの同修の名前を白状しないと、お前の服を全て剥がしてやる」と言った。当時、わずか20歳だった志梅さんは泣きながら男たちに、「私の父の年齢と近いあなたたちにお願いします、止めてください」と懇願した。
 
 ある日、彼女は両目を覆われてある秘密の場所に連れて行かれ、長さ2メートル、幅1メートルの独房に2カ月監禁された。経験しない人は想像し難いが、外部とまったく接触できない、面積わずか2平方メートルの閉鎖空間に長期間にわたって拘禁されるのは、まさに人間の神経を充分に破壊する残虐な拷問である。中に2カ月監禁されて精神状態が異常になった人は多くいたが、20歳の志梅さんは独房の中で、法輪功の創始者・李洪志氏が書かれた詩を暗唱して、長い2カ月を耐えた。2カ月後、再び刑務所に戻った彼女は、依然として楽観的で元気だった。
 
 (続く) 
 
2011年02月14日

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