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柳志梅さん迫害事件についての解析(二)

(明慧日本)
 
 二、柳志梅さんの精神病について
 
 柳志梅さんはどのような拷問を受けたのか。公に報道されたのは、彼女が正式に判決を下される前に北京の留置場で手錠をはめられたこと、椅子の脚で足の甲をよじられたこと、2カ月の独房監禁だけである。山東省女子刑務所に移送された後の遭遇については、精神病にかかった以外、我々は何も知らない。この精神病のため、彼女が受けたその他の迫害は空白になったのだ。明らかに、刑務所は「精神病」でその罪を隠したいわけだ。
 
 それでは、志梅さんはどのようにして精神病にかかったのか。出獄前の1本の注射が唯一の原因なのか。
 
 志梅さんの内心の苦しみは、実に転向の後から始まった。彼女をより深い転向の淵に落とすために、警官はわざと他の法輪功修煉者の転向を彼女に手伝わせ、彼女に転向の策略を考え出すよう強要した。これは刑務所のより陰険かつ悪辣な計略だった。出獄した後、介護してくれる法輪功修煉者たちに、志梅さんはよく「◯◯の首を打ち折ったのは私ではない」と囁いた。
 
 この一言から、当時、きっと警官が彼女に罪を着せる行為があったと推測できる。さもなければ彼女はこのような発言をしないはずだ。このような無実の罪を着せられ、彼女の精神上のプレッシャーは倍増した。これは、彼女がその後、心神喪失となった一因とみてもよい。
 
 志梅さんが受けた恐怖はもう一つある。彼女はきわめて恐怖に満ちた声で「私、柳志梅は死んだ! 彼らは私の臓器を摘出した! 」と叫んだことである。
 
 彼女が刑務所できわめて厳しい刑罰を受けたことは、下記の二例から分かるだろう。一つ目は、出獄後、法輪功修煉者は進んで彼女を助け、彼女も日ごとに快復していた。2010年4月16日、莱陽市公安局柏林荘鎮派出所の警官は突然、彼女たちが住んでいた借家に突入した。その一瞬、声を出す人はいなかったが、突然、志梅さんは別人になったように、一文字一文字はっきり発音して、とても流暢に「警官さん、私は柳志梅といいます。法輪功を修煉した私は有罪で、12年の懲役を言い渡されました。私に死刑もしくは死刑猶予を下しても宜しい」と、まるで教材を暗唱するように話した。
 
 二つ目の例は、警官に尋問された時、志梅さんは彼女を看護していた法輪功修煉者の状況をあらいざらい白状した。まるで、彼女は山東省女子刑務所に戻って依然として「犯人」であるかように、刑罰を逃れるために、全力で警官に奉仕した。
 
 この時の志梅さんは快復に向かう途中で、まだ正常な状態ではないが、警官の前で彼女はすぐ「正常」になった。これを見て、志梅さんが獄中でとても残酷な虐待を受け、すべての虐待が警官に関連があると分かるはずだ。そのため、志梅さんの精神病は山東省女子刑務所にいた時からすでに患っており、彼女の精神病は刑務所の虐待と密に関係があると確信できる。
 
 下記の二段落は明慧ネットの報道を引用したもので、筆者の推測の裏づけになると思われる。
 
 「2002年末から2008年出獄前まで、山東省女子刑務所警官・鄧済霞(40代、副課長)はほぼ毎日志梅さんを連れて、刑務所構内の診療室に行って注射をさせた。理由は精神病で、1日3本の薬、約50CCを注射する。刑務所で『私は病気にかかっていません、注射したくありません、薬を飲みたくありません!』という志梅さんの泣き叫ぶ声がよく響いた」
 
 「『注射された薬物にはクロザピン、スルピリド、バルプロ酸ナトリウムなどがある(注:いずれも精神病治療の薬物)。注射後のどが渇く、頭が重い、視覚がもうろうとする、幻覚が出る、大小便が出ない』と、志梅さんは刑務所のほかの囚人に話したことがある」
 
 また、次のような詳細情報も裏付けになるはずだ。「2005年10月〜11月の間に、刑務所は志梅さんの実家に電話をかけて、志梅さんが脳神経損傷のような症状を呈していると言って、家族の面会要求を断った」明らかに、志梅さんは2005年の段階ですでに精神病にかかっていた。
 
 では、志梅さんの早期釈放から、刑務所は精神病になった彼女に対してどのように扱う方針をとったか解析してみよう。
 
 彼女は不当に12年の懲役を言い渡されて、2008年10月に出獄した。服役期間は計7年あまりだった。明らかに志梅さんは「早期釈放」された。どうして彼女は「早期釈放」されたのか? まず、早期釈放は刑務所による転向の成果だと解釈でき、刑務所にとって有利な結果である。1人の精神病患者をずっと刑務所に残して何のメリットがあるのか? 彼女はすでに精神異常になって、いずれ彼女を家に帰さなければならず、しかも刑務所はずっと「転向の良い模範」として彼女の早期釈放を申請していた。彼女がしばらくの間、正常な人間として振るまえるように、出獄前に注射を1回すれば、すべての罪が隠蔽でき、刑務所は迫害の責任から逃れられるのである。
 
 上記の推理でしか、志梅さんが帰宅3日目に精神病の症状を呈したことを説明できない。つまり、刑務所にいた時期から彼女がすでに精神病患者になっていたという解釈は、出獄後の彼女の発病と一貫性があるからだ。
 
 また、2010年4月に警官に連行され、尋問された時に言った「警官さん、私は柳志梅といいます。法輪功を修煉した私は有罪で、12年の懲役を言い渡されました。私に死刑もしくは死刑猶予を下しても宜しい」をみると、獄中にいた時の彼女は精神病にかかったとしても、刑務所のようなきわめて厳格な環境の中で、もちろん高圧な暴力のもとで、彼女は大体「正常」な状態を保っていたと見られる。
 
 精神病患者にある程度の「正常状態」を保たせることができるのは、精神病院で強制措置をとる以外、恐らく中国共産党の刑務所の「訓練」しかないだろう。
 
 しかし、いったんその厳格な環境を離れたら、帰宅からわずか3日の志梅さんはすぐに彼女の常態−−精神病の状態に戻った。
 
 「家に着いた3日目から志梅さんに突然、精神異常の症状が現れ、しかも病状は日ごとに重くなっていった。いらだって落ち着かず、でたらめを言って、手足は乱れた動きをし、腕はランニングの姿勢で絶えず上げたり下げたりして、一晩中眠らない。志梅さんはすぐに記憶を失って、自分の年齢さえ覚えていない。言うことは支離滅裂で、ひとり言をよく3回も繰り返す。その上、大量に水を飲み、1日に魔法瓶6、7本分の水を飲んでいた。布団に尿を漏らしても知覚がなく、濡れた布団に眠っても知覚がない」
 
 志梅さんは精神病になるまで迫害され、また「正常」に振るまえるように「訓練」された。その中にいったいどれほどの罪悪が隠されているかは、私たちは彼女の片言からしか推測できない。推測して得た結果がたとえ真実に近いとしても、彼女をめぐって本当に発生した罪悪の厳重さに及ばない!
 
 (続く) 
 
2011年02月19日

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