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「80後」の修煉の道——これ以上迷わない(三)

(明慧日本)嫉妬心をなくすことはとても難しいです。師父は法の中でこの問題について具体的に話され、私はこの問題の厳重性を知っています。母との電話の後、私はこの汚い常人の心をなくすことを決意しました。嫉妬心がわきあがると、いつも心がむかむかして勝手に悪いことを考えてしまいます。さらに抑制しなければ、どんどんひどくなり、結局、頭の中は自分で抑制できなくなってしまいます。嫉妬心は人の心の中の毒草のようで、好き勝手に成長し、人から理性を奪い、善良な所すべてが失われてしまいます。これはまさに魔性であり、本当に怖いものなのです。
 
 私は真っ先に源を絶ち、パソコンで話すのをやめました。そして真剣に本を読み、発正念してきれいに取り除きます。そのような考えが出ると正念の力を強くし、さらに、自分はこの心をなくさなければならない、私は大法を修煉している者で、このような汚い心があってはいけない、他人のことは自分には無関係であり、私のすべては師父が見てておられる、修煉者は何も求めず、常人の心をなくすべきだと自分に言い聞かせます。
 
 この心をなくす課程はとても難しく、時々またぶり返すことがあります。少しでも油断をすれば、また出てきます。三尺の氷は一日の寒さで形成されたものではない、と言いますが、この汚い心も日々の積み重ねで少しずつ巨大になり、最後にはなくすのも困難になったのです。本を読み発正念するにつれて、しばらく時間が経ち、自分の嫉妬心がだんだんと弱くなってきたのが分かりました。たまにまた出てきますが、そのときはすぐにそれに反対し、師父の法をもって取り除きます。心が徐々に穏やかになってきて、ゆっくりとその妨げから抜け出しました。
 
 生活の方面でも法を基準にして自分の行動や考えを判断するようになりました。絶えず自分自身を正し、自分の本性を素晴らしいほうに正していきます。物質の方面で何か損失をこうむるかと悩むこともなくなり、自分は他人より良いという心もなくしました。
 
 ある時、偶然明慧ホームページに上がり、世界各地の同修たちの交流文章を見て心から感動し、満たされました。自分はもっと法を正す中に入り、自分を修めるにつれ、時間を無駄にせずに衆生を救うことを決意しました。
 
 現在、私はまた他の町に来て、新しい環境の中で私は引き続き真相を伝え、衆生を救っています。街を歩くとき、タクシーに乗るとき、仕事探しで面接に行くとき、私は機会を見逃さずに縁のある人に真相を伝えます。
 
 明慧ホームページで同修たちの真相を伝える体験と経験を学び、実際の状況に応じて活用します。地元の同修を知らないので、今は独自で真相を伝える状態で、使う資料も自分の家から持ち出したものです。
 
 真相を伝え終えたあと、縁のある人が救われたのを見て心の中は師父の慈悲に感動され、内心の高まりを感じて、読書と発正念にも心を注ぎ、「三つのこと」がしっかりとできて本当の向上になります。家の中で法を読むだけでは大法弟子とは言えず、根本的な昇華にはなりません。
 
 自分の怠惰が原因で長年の歳月を無駄に過ごし、やっと修煉の門に入れました。大法弟子たちが寝ることや食べることも惜しんで衆生を救っているのに、私は未だに常人の物質の追求の中にいて、個人の情に絡みつき、自分の誓約を忘れ、自分が背負うべき重大な責任を忘れ、本当に慈悲で偉大なる師父と顔を会わせられなくなります!
 
 私は14歳の時から母に連れられて大法に出会い、時間が経つのが速く、今はもう30歳になりました。このようにして、十何年間もの時間を無駄にし、危うく帰らぬ道に陥る所でした。慈悲なる師父は私を諦めず、何度も何度も私に悟りを開かせ、私を呼び戻してやっと修煉の道に戻ることができました。慈父なる師父に感謝いたします! 今度はもう迷わず、戸惑いません。
 
 自分の修煉に限りがあるため、気付かない所は、同修たちの修正を願います。
 
 (完) 
 
2011年02月27日

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