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レンちゃんの修煉体験(一)

(明慧日本)レンちゃんは1997年7.20、母と一緒に師父の説法を聞いた事があります。話し始めたばかりの頃、母と一緒に『洪吟』を暗記し、4、5歳の時、『転法輪』を読み始め、数段落から、一講、数講まで読めるようになりました。レンちゃんは煉功することが好きで、自分は生まれるのが遅く、早く法を得るべきだったと言っています。
 
 1999年7月、レンちゃんを抱いて遊んでいたおばあちゃんが警官に連行され、おじいちゃんは修煉を放棄しないため連行されました。2000年、レンちゃんは母と一緒に北京で横断幕を広げて、お母さんが連行されました。一度もお母さんのそばを離れた事がないレンちゃんは泣かず、とても利口で「私は情を捨てなければならない」と言いました。
 
 2002年、大法に対する認識が異なり、おばあちゃんとおじいちゃんの口論が続いたとき、レンちゃんははっきりとこう言いました。「誰でも自分が正しい時と、間違っている時があるよ」これを聞いた2人は落ち着き、反省しました。
 
 2004年、公安局が家の電話を盗聴し、町で何度もおばあちゃんとおじいちゃんの会話を聞いていました。お父さんとお母さんはとても心配しましたが、レンちゃんは「何事も良い方に考えるようがいいよ」と言いました。彼らは正念に満ち、かなり楽になりました。レンちゃんは学校でとても優秀な生徒で、勉強をとても頑張っています。成績は3番目です。子供たちはお菓子を食べるのが好きで、特に正月、たくさんのお菓子を買いますが、レンちゃんはお金を使わず、他人の物をもらいません。レンちゃんは天目が開いているからです。『転法輪』の一つ一つの字が佛、道、神で、字の偏は小さな神童の姿です。飛という字は飛天の姿をして、とても美しいのです。
 
 レンちゃんは自分の夢を書いて発表したいと言っています。大法弟子が大法を固く信じ、三つのことをしっかり行なってほしいと望んでいます。私たちは二つの夢『洗脳班から大法弟子を救出』と『法輪世界の旅行記』を発表したいと思います。レンちゃんが法輪世界で経験したことはあまりにも多く、一部を選んで発表します。
 
 洗脳班から大法弟子を救出
 
 夢の中で、私はスローガンを貼りに行きました。小さな椅子の上でつま先をたてて、電柱、壁、門に貼りました。約2メートルもある数人の警官が私をつかんで、手錠をかけ、洗脳班に連れて行きました。
 
 洗脳班の大門は暗い赤色をして、上には暗い金色の尖っている丸い釘、とても醜い灰色と赤色の龍がいました。洗脳班の中に入ると、地面にはいろんな動物の糞がいっぱいで、悪臭が漂っています。壁は尿、糞、泥で固められています。黒い煙と不潔な空気、暗くて、冷たく、地下にいるようです。私は体が震えました。
 
 廊下の左側に牢屋があり、いくつかの広い部屋が大法弟子でいっぱいです。前に子ども弟子がいます。右側に警官が食事をする食堂があり、中から怪しげな笑いが聞こえます。すべての部屋に大きな窓があります。警官は連行した大法弟子を牢屋に入れ、小さな椅子に座らせ、背中に手錠をかけ、そして、牢屋の大きな鉄門にさびている大きな錠をかけ、警官は狂ったように笑いました。このとき、廊下から火が出ました。私たちを脅し、苦しめようとしました。しかし、私たちは全く怖くなく、熱く感じませんでした。「面白い事はまだ後にある、まだ笑うのは早い」と私は思いました。
 
 私は、手が痛いので少し動かすと、手錠は「パッ」と開きました。私は手を振りました。すべての警官は私を見て、驚きました。ズボンのポケットにいつの間にか石が入っていました。私はその石で同じ牢屋に閉じ込められた大法弟子の手錠をたたいて、開けました。そして、牢屋の門の鍵を石でたたいて開けました。ほかの牢屋の門と大法弟子の手錠も開けました。そして、皆は私の後ろで一列になり、私はとても嬉しくなり、大きな息を吐きました。その息で、廊下の火が二つに割れて道が現れました。私はみんなを連れて大きな門の前に来ました。門にある龍の目をたたき落とすと、門に穴が現れました。穴に手を突っ込んで鍵を開けました。外の看守が私を見て、捕まえようとしました。私は門を開け、「止まれ、私を見ないで」と心の中で言いました。看守は動けなくなって目が真っ白になり、私と数人の子ども弟子は彼らの周りをぐるぐると回って遊びました。これで大法弟子は自由になり、家に帰りました。私は小さな川辺で友達に会いました。
 
 (続く)
 
2011年03月21日

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