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法をよく学び、師を手伝って法を正す道をしっかり歩む(二)


文/遼寧省の大法弟子 求実

(明慧日本)
 
 三、師を手伝って法を正し、発正念を重視する
 
 1999年7.20以降、江沢民の集団は法輪功に対する、史上類をみない残酷な迫害を中国で発動しました。全国のラジオとテレビは毎日、師父と大法を誹謗中傷する番組を放送していました。私は、天安門焼身自殺事件と傅怡彬による殺人事件の番組を見て、これは偽りだと確信しました。大法書籍の中に、大法弟子は生き物を殺してはならず、自殺もしてはいけないと明確に書かれていましたから、あれらの番組は大法を中傷するものだと判断しました。
 
 法を多く勉強し、よく勉強することは私たちが師を助けて法を正す道程で、しっかり歩むための根本的な保証です。私は毎日、午前中に1〜2篇の説法を拝読し、『明慧週刊』と真相資料を読みます。師父も明慧ネットを見ることを推奨されていらっしゃいます。私は最初、1人で真相資料を自転車のかごに入れたり、電柱に貼ったり、住宅の廊下、窓台、ドアのハンドルに置いたりしていました。私には恐怖心が全然なく、いつも正しい念で正しく行ないました。『九評共産党』が発表された後、私たちは人と面と向かって真相を伝え、三退を勧めて、衆生を救い済度しました。
 
 2006年4月、私たち学法グループの4人は鞍山観光地に行き、歩きながら真相資料を配ったり、貼ったりしました。私たちが旅館に戻るとき、警官に連行され、拘禁されました。当時、私は恐れる心が全くなく、正念もしっかり持ち、心の中で「ここは私が居る場所ではありません。私は大法弟子ですから、外へ出なければなりません。多くの衆生は私たちの救い済度を待っています」という念を発しました。師父は、私の正念が十分であると見られて、私の血圧を100から180まで上昇させられました。そのため、私は市の大きな病院に再検査のために移されました。病院で私の血圧は200まで上昇し、冠状動脈心臓病を発病したため、留置場は私を釈放しました。これは師父が私のために演化してくださったものだと、私には、はっきりと分かりました。
 
 留置場の所長が師父を侮辱したので、私は「私の師父は海外でも人を救い済度し、大法を広めていらっしゃいます。世界100カ国以上の国と地区の人々は法輪大法を修煉しています」と、はっきり説明しました。彼が天安門焼身自殺事件に言及したので、私は「あれは江沢民が人々を騙そうとしたものだ」と説明しました。彼は「このような時期に、どうしてこのような話をするのか。この警察署で拘束するぞ」と言ったので、私は「それはあなたが決めることではなく、私の師父が決めることです」と言いました。
 
 また、彼らは「このことは、この地区で大きな騒ぎになり省にも報告されて、省の書記は処罰されるだろう」と言いました。すると、警察所の所長は「そのようにはならないかもしれない。むしろこの件を通して、彼は上層部に取り入り、賄賂を使って昇進をはかるかもしれない」と言いました。私は「中共(中国共産党)の腐敗はひどく、村の村長という小さな官職すらお金で買うことができます」と話しました。すると、その所長は黙って話さなくなりました。しばらくして、ある警官が私と同修に「2人を帰しましょう。車を用意しました。車は旅行会社にあります」と言って私たちを旅行会社まで送りました。旅行会社の2人のガイドは、私たちを密告した人たちで「私たちは法輪功修煉者を車に乗せたくありません」と言いました。すると、警官は「法輪功修煉者は皆いい人です。テレビの宣伝を信じないでください」と言ってくれました。
 
 帰宅後、娘は私を診療所に連れて行き、検査を受けさせました。すると、私には異常が全くなく、すべてが正常だったので、私の家族は皆、大法の不思議さと威力を実感し、私の活動を妨害しなくなりました。
 
 鞍山から帰ってから、わたしたちの学法組は解散しました。私には知り合いの同修が少なく、これからどうしたら良いか分からず、市場を歩きながら師父に助けを求めました。すると思いがけず、以前一緒に学法したことがある同修に出会い、私は他の学法グループに参加しました。師父はいつも弟子を見守っていてくださいます。
 
 (続く)
 
2011年03月28日

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